見出し画像

「隣の芝は青く見える」症候群から抜け出すには、自分の足元を見ること No.411

===========
2022年2月16日 「DAYONE日記」No.411
本ブログは、何か新しいことを始めるきっかけになることを書いていきます。365日、1日も欠かさず発信します。プロフィールは以下の通りです。
https://note.com/104007rm/n/nbb31358271e4
===========

最近、平成進化論の鮒谷さんのメルマガを読んだり、音源を聞く中で、自分の意識に残る言葉があります。

それは何か?

それは…

「隣の芝生が青く見える」

という言葉です。

我々は、往々にして「ないものねだり」に陥りやすく、そして、その感情を持ちながら生きることが多いのです。

「隣の芝が青く見える」というのは、何でも他人のものがよく見えるということです。

つまり、自分よりも他人の方が、能力・スキル・経験・学歴・キャリア・生活など、他のことも含めて、あらゆることに対して優れているように過大評価するのです。

そして、一方で、「自分にはそんなものがない」と過小評価してしまうものなのです。その原因は、人間の心理としてやむを得ない部分があるそうです。これは、単に他者と比べてしまっているということです。

ということは、比べる対象を他社ではなく自分に向けるということが大事になるのです。

自分に対象を向けることで、自分と正しく向き合い、自分の手元にある強み(能力・スキル・経験など)の素材に気づくことができるのです。

ここで大事になるのが、素材であって、その素材をどのように解釈するかが大事になってくるのです。

私も振り返ると、学生の頃からずっと、「隣の芝が青く見える」症候群に陥り生きてきました。

それは、ずっと自分と他人を比べてきたのです。そして、その度に、自分に誇れるものが何もないと自己嫌悪に至っていたような気がします。

そんな考えでいるからこそ、ある意味、他人の人生に自分の人生を委ねているような感覚だった気がします。自分の人生ながら自分の足で歩いている感覚はほぼ皆無でした…。

「他人がそれをやるなら、自分もやってみる」というような行動が主だったのです。

これは、主語が「私」ではなかったのです。

でも、ある時から鮒谷さんとの出会いにより、たまたま目標を掲げ日記を書くようになり、少しずつ変化してきたのだ思っています。

それは、ずっと他人に依存していた人生から、ようやく本気で自分の感情と向き合い、自分の感情に素直に行動をとるようになったからです。

目標を考え、日記を毎日書くことは、常に自問自答を繰り返す行動であり、それが日記として書くことで見える化されるのです。その繰り返しが、自分を深く掘っていく作業になるのです。

そんなことを毎日していると、自分という人間を少しは理解できるようになっていくのではないかと思います。

毎日意識的にそれをやっていると、嫌でも自分との内なる対話を行うことができるのです。

こういった行動を俯瞰すると、それは、自分自身を自分が受け入れるという自己受容と表現できるかも知れません。

そこから、「他人は他人。自分は自分」という個人それぞれの考え方を少しずつ持てるようになった気がします。

だから、「隣の芝生を見る」よりも、まずは、自分の足元にある強みを認識しそれを見つけること。つまり、自分の足元を掘るという事の大切な気づけるのです。

加えて、「自分の強み」というのは、自分では見えにくいものです。自分という存在は、近すぎて自分では気づきにくいことも多いのです。

「目はまつ毛を見れない」という言葉があるくらい。

だからこそ、他人との関わり合いや人との出会いにより、新しい自分に気づくのです。

人は、自分では気づかないから他人から自分のことを教えてもらうのです。

だから、自分が当たり前にやっている事は他人にとっては当たり前ではないです。

皆さんも、自分の事は分かりにくいけど、他人を見れば他人の性格や強みが分かるはずです。

そして、もう一つ。自己を深掘りする手段として、過去の自分を深掘りしていくのです。

自分の辛い経験、とても人には言えない経験というのは、本来ネガティブに捉えがちです。でも、その意味付けをいかに付与するかなのです。その意味付け次第で、他人から見れば、それが羨むような青い芝になるのです。

私(井上)でいえば、浪人も一般的に見ればネガティブな感情になりますが、私は今ではポジティブしか捉えていないのです。

本当に学生の時は勉強してこなかった。でも、浪人したからこそ、毎日、コツコツと積み重ねていく行動の大切さに気づくことができたのです。

だから、今、日々、一日も休まずに日記を書く習慣というのが根付いているのです。根底にそれがあると信じているのです。

だから、過去の意味付けを正しく自分の編纂することで、今の自分を肯定することができるのです。

だから、「隣の芝が青く見える」というのは当然という認識の下、でも自分の足元には多くの強みになる素材があるということです。

だから、自分と向き合うこと。
これが何よりも大事になってくるのです。

それが出来る様になれば、自分の人生を自分で向き合う感覚が生まれてくるのもしれません。

まだまだ「隣の芝は青く見える」症候群からは、抜け出せていませんが、日々、自分の対話を深めながら地に足のついた人生を歩んでいきたいものです。

この記事が参加している募集

#最近の学び

181,685件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?