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君知るや名酒泡盛

2022年5月30日~6月3日に朝日新聞夕刊で短期連載された記事『泡盛に乾杯』の中に、「君知るや名酒泡盛」という言葉を見つけた。

記事によると、泡盛とは『タイ米を原料に、黒麹菌を使う独特の製法によって生まれる』酒で、現在『酒造所は本島と八つの離島に46カ所ある』という。
『かつて首里(那覇市)に集中していた酒造所は(第二次世界大戦による)沖縄戦で壊滅』し、泡盛を造る材料も無く、『米軍から配給されたチョコレートから泡盛を造ったこともあった』という。

だが1998年、戦前の麹菌が東京・本郷の東大分子細胞生物学研究所に保存されていることがわかった。東大名誉教授で発酵学の世界的権威でもある坂口謹一郎博士(1897~1994)が沖縄各地の酒造所を回って研究のために採取したものが、わずかながら残っていたのである。
発見された菌を培養し、オリジナルの泡盛造りをしている酒造会社があると聞いた。1887年創業の「瑞泉酒造」(那覇市首里崎山町)。(略)完成した泡盛の名前は「御酒うさき」。
(略)
沖縄が本土に復帰する2年前の70年。雑誌「世界」(岩波書店)に博士が執筆した「君知るや名酒泡盛」という随筆が掲載された。

(記事)

この記事を読んで思い出した小説が、広小路尚祈著『今日もうまい酒を飲んだ~とあるバーマンの泡盛修行~』(集英社文庫、2020年)である。
東京でバーを営む主人公が常連客のリクエストに応えるべく、おぼろげな情報を頼りに客の求める泡盛を探すため沖縄へ旅に出る、というストーリーだ。

その最初のきっかけとなるのが「御酒」で、それを取り寄せた主人公は同梱されていたパンフレットに坂口博士の名前を見つけ興味を持つ。
主人公は早速、「君知るや名酒泡盛」が掲載された坂口博士の随筆集を入手し、博士が黒麹菌を集めた理由を探る。

すべての泡盛に黒麹菌が使われているという事実を考えれば、泡盛独特の風味に黒麹菌の力が大きく関与していることは想像に難くなく、坂口先生が黒麹菌を集めて保存した理由についても、なんとなく察しがつく。
坂口先生が「御酒」に使用された、瑞泉酒造の黒麹菌を採取したのは昭和五年ごろ。当時も沖縄の泡盛の他に黒麹を使って酒を造る例は、薩摩や八丈島の芋焼酎などがあったが、薩摩や八丈島ではすでにその頃、特別に選んだ一種、または二種の麹菌を純粋に培養し、それを「たね」として酒造りをするようになっていた。特別に選んだ菌を培養して使うことは、製造上の利点も大きいのだろうが、それは先祖代々、それぞれの家で大切に育て上げられてきた貴重な菌群を捨て去ってしまうことにもなる。そのため坂口先生は、いずれ沖縄もそうなってしまうのではないか、と危惧し、今のうちに沖縄の黒麹菌を集めておこうと考えたようだ。

『うまい酒を飲んだ』

ちなみに記事によると、黒麹菌は『雑菌繁殖を抑える作用があるクエン酸を多く発生させる』効果があるらしく、坂口博士はその随筆に『沖縄の人々は、古来より温暖なる風土に適する、黒麹菌という独特のカビの育成に成功し、世界に類をみない独自のカビ酒造文化を確立した』と記しているそうだ。

ところで、泡盛は焼酎と同じ蒸留酒ではあるが、焼酎と違い出来たてを飲むことは少なく、大抵はかめに入れられ、ある程度の年月寝かせてから飲む。
『3年以上寝かせたのを古酒(クース)と呼ぶが、単に寝かせればいいというものではない』(記事)。

熟成した香りや芳醇ほうじゅんさを保ちながら、酒を劣化させないために琉球王朝時代から伝わる「仕次ぎ」という方法を施す。最も古い酒である親酒をくみ出したら、減った分を2番目に古い古酒からつぎ足し、2番目の甕には3番目からつぎ足して補充するという手法である。
「眠っていた古い酒を活性化させ、熟成を促す効果がある。保存する器は瓶ではなく、しっかりと焼きしめた甕の方が空気の含有量が多く、甕のミネラル分が泡盛の化学反応を促す」
古酒づくりで定評のある山川酒造(沖縄県本部町)の社長、山川宗邦(62)はそう語る。

(記事)

古酒は酒蔵で作る特殊な酒ではなく、一般家庭でも普通に作られていた。
エッセイストの古波蔵保好こはぐらほこう氏(1910-2001)が著書『料理沖縄物語』(講談社文庫、2022年。原書は1983年刊)で、戦前の人々の古酒の愉しみ方を紹介している。

ところで古酒は、酒好きのあこがれであった。(略)
貯蔵の方法はといえば、もちろん話に聞いたことだが-かりに百年を経た古酒があるとしよう。暗くて冷気のある場所がいいとされていたので、床下がもっとも適していたらしく、そこに百年酒で満たされたかめ、隣に八十年酒、五十年酒、二十年酒といったぐあいにならべる。
おそらく最高の賓客には百年酒を汲んでもてなすとか、いろいろと使い分けされたであろうが、百年酒のかめから汲みあげると、汲みあげただけの量を八十年酒からとって補い、八十年酒のかめには五十年酒を足し、五十年酒には二十年酒から-という順序で埋め、かねて用意してあった酒を二十年のかめに注ぐ、こうして古酒は減ることがない。
つごうがいいことに、古い酒はそれより新しい酒を同化してしまう。したがってかめを満たしている酒の味は、百年なら百年のまま、なんの変化もないそうだ。

「古酒一献頂戴仕る」
『料理沖縄物語』所収

保好氏は子どもだった戦前をこう振り返る。

古酒のことになると、男たちの目が輝いたことを思いだす。

(同上)

今、現存している百年古酒はそう多くはないだろう。
先述のとおり、第二次世界大戦で『100年、200年を超えていた古酒が地中に流れて消えてしまった』(記事)からで、個人が保存していたものも『酒の入っているかめをかついで、修羅場を逃れることはできなかったはず』(保好氏)だからである。

保好氏は、戦後の沖縄をこう記す。

いつしか、荒廃していた沖縄が、以前と変わる街や村に復興し、つくられる「泡盛」の質がよくなっていくにつれ、吟味して選んだ酒を寝かせて、「古酒」に成熟させようとする好酒家も現れているようだ。

(同上)

戦後77年が経った2022年現在、「泡盛」は沖縄だけでなく、全国に愛好家を持つまでに広まった。

朝日新聞の連載の最終回は、こう締めくくられる。

今回泡盛を飲みながらさまざまな名言を聞いた。夜の街で聞いた名セリフをいくつか。
うまさ 「この1杯のために今日一生懸命に働いてきたんだ。最初の1杯がいい。でも最後の1杯も捨てられない」
誇り 「沖縄復興への思いと平和を誓うために私たちの先輩は泡盛を造ってきた。泡盛は島民の誇りなのです」
平和 「泡盛を50年、100年、さらには200年と熟成させ、古酒に仕上げるためには、沖縄が平和じゃないとできない。古酒を造り続けるというのは、単なる酒造りではない。戦争をしないという決意表明なんです」

普段、日本酒ばかり飲んでいる私だが、この連載記事を読んで無性に泡盛が飲みたくなり、近所にある沖縄料理店のドアを初めて開けた。
沖縄出身の主人はとてもいい人で、泡盛初心者の私に色々教えてくれた(表紙の写真を撮る際、「折角だから」と飲んでもいないハブ酒のボトルも横に置いてくれた。とてもいい人)。

沖縄本土復帰50年の節目の今年……
私は泡盛の美味しさに感激しながら、程よく酔った頭の中で記事の一節を思い出し、そして、沖縄の平和に想いを馳せた。

沖縄県酒造協同組合(那覇市港町)の建物前には博士が揮毫きごうした石碑がある。「君知るや名酒あわもり」と刻まれている。これほど素晴らしい言葉はあるだろうか。

(記事)


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