映画好きのための参考書~北村匡平・児玉美月著『彼女たちのまなざし 日本映画の女性作家』~

「映画監督」と呼ばれる人々が一人残らず女性であったなら、当然そこに「女性監督」という呼称は生まれえない。

北村匡平・児玉美月著『彼女たちのまなざし 日本映画の女性作家』(フィルムアート社、2023年。以下、本書)は、こう書き出される。
映画監督だけではない、世の中の多くの職業-特に「専門職」において-、残念ながら枕詞に「女性」と付けられることが、未だ多い。
そしてさらに残念ながら、そういった職業において「女性ならではの」を求められることも、未だ多いのも事実だ。
と、未だ残念なことが多い世の中だが、ただ嘆いていても始まらない。
「女性監督」と括られてしまうなら、いっそのことそれを括ってしまって、その中に「女性ならでは」に縛られない、「監督」の多様性を暴き出そうではないか。それが本書の目的だ。

とはいえ実は、「女性監督」と括らなくても、男性を含めた監督たちを多く紹介・評論した本書のような本は、現代において珍しいのではないか。
それは恐らく、映画産業自体が斜陽であるとともに、だからこそ誰でもが気軽に観られ興行収入が見込めるアニメや大衆娯楽作品に偏ってしまい、だからそれには監督の「作家性」や作品の「物語性」は余計で邪魔なものになってしまったからではないか(あくまで私見)。
だから本書は、「女性監督」に限ってはいるが「映画作品」を男性/女性に拘わらず、監督や物語性、撮影・編集の技術の面から観ることの手助けになる。

と書いている私も、最近まで(見た目の)ストーリーや出演俳優にばかり気を取られて、というか、「映画はそうやって観るものだ」と思い込んでいた。
映画に監督の「作家性」が表出する、と知ったのは、偶然ではあるが本書でも語られる「女性」監督の作品を観たときだった。

それは、山戸結希監督が企画・プロデュースし、彼女を含め15人の「女性」映像作家が監督した短篇のオムニバス映画『21世紀の女の子』(2018年)だった。

パンフレットに山戸は、こんな言葉を寄せている。

この作品を観終わったとき、新しい議論と、待ち侘びた希望が生まれるような、未来の女の子たちのためのオムニバス短篇集としたいと考えています。
(略)
夢物語のような話かもしれません。
いつか、この世界の、スクリーンでかかる映画のうち、どうか半分が、映画の女の子たちの手によって紡ぎ出されたscene/光景になること……
そんな未来のための一歩を、今、たしかに踏み出そうと考えています。
映画を撮らなくては、行きてゆけない女の子たちと手を取り合って、映画を観ることで、はじめて生まれ変わることのできる女の子のために、スクリーンを、鏡のように向かい合わせに見つめながら、21世紀を、切り拓いてゆきたいのだと、気づいています。
(略)
21世紀は、必ず女の子の映画の世紀となります。
-きたれ!21世紀の女の子
「星空に、魂を灼きつけるような映画を撮りましょう。」
うつくしい映画の到来への祈りを、このたった今もやめられぬ、まだ見ぬあなたこそ、21世紀の女の子なのでしょうか?
映画館と、それにまつわるすべての宇宙にて、あなたをこそ、お待ちしています。

企画・プロデュース 山戸結希 2018年春に

(改行は引用者による)

改めて参加した監督の名前を見ると現在第一線で活躍する「女性」ばかりである(200人の監督公募から唯一選出された金子由里奈も、2023年に『ぬいぐるみをしゃべる人はやさしい』で監督デビュー)が、私は「女性」と意識せず、8分以内に収められた短篇が、本当に様々な物語・映像・撮影・編集であることに唯々圧倒されたのである。
その極めつけが、最後(実際にはその後にエンディングのアニメ映像がある)を飾る山戸監督の「離ればなれの花々へ」で、私はそれを観て、彼女の本気というか覚悟というか、言い表せない熱いものを感じて、気がついたら泣いていた。50年近く生きてきて、もしかすると、映画を観て(感動の)ストーリーや俳優の演技ではないもので泣いたのは初めてかもしれない(結局、劇場で3回観た)。
この、スクリーンから伝わってくる「熱」或いは「圧」のようなものが「作家性」なのだと強く思い、以来、男性/女性に拘わらず監督を意識して観るようになった(だから、私の拙稿には必ず監督名を記載している)。

本書において児玉は、「離ればなれ~」で終わる『21世紀の女の子』という作品をこう評している。

この(「離ればなれ~」の)美しい叙事詩で締め括られた『21世紀の女の子』は、「愛されるべき女の子」の雛形に殺されていってしまった無数の女の子へと捧げられた追悼歌さながらだった。

私は本書を読みながら、あの時受けた衝撃を思い出していた。

本書で評されている16人の「女性」映像作家は、実写/商業映画を撮る人ばかりではない。アニメ作家の山田尚子監督(『聲の形』『映画 けいおん!』)やピンク映画を主戦場とする浜野佐知監督なども紹介されていて、とても勉強になった。

そういえば、清原惟監督の項で『わたしたちの家』(2017年)に関する記述を読んでいて、すごく頭の中にイメージが浮かぶのだが、自身が付けている鑑賞記録にないので恐らく何かの映画と勘違いしているのだと思うが、それが却ってもどかしく思っていたところに、2022年の長篇二作目の『すべての夜を思いだす』が多摩ニュータウンの話だと書いてあって、「見逃した」とさらに残念に思ったのだが、本書を読んでいるあいだに、これから全国公開されるというニュースが流れてきた。
さらに、2月17日に「TAMA CINEMA FORUM」主催の先行上映されたベルブホールは、毎年の「TAMA映画祭」で必ず1度は行く会場で、だから、とても縁があるなと思った。
だから、公開されたら絶対に観にいこうと決めた。


本書で紹介された「女性」映像作家作品の拙稿

タナダユキ監督

三島有紀子監督

荻上直子監督

小森はるか監督

瀬田なつき監督

山田尚子監督

本書「女性映画作家 作品ガイド100」で紹介された作品に関する拙稿

(本書掲載順。クレジットと劇場公開年が異なる場合あり)

『ミューズは溺れない』(淺雄望監督、2021年)

『海辺の金魚』(小川紗良監督、2021年)

『はざまに生きる、春』(葛里華監督、2022年)

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(金子由里奈監督、2023年)

『マイスモールランド』(川和田恵真監督、2022年)

『王国(あるいはその家について)』(草野なつか監督、2018年)

『左様なら今晩は』(高橋名月監督、2022年)

『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~』(信友直子監督、2022年)

『幕が下りたら会いましょう』(前田聖来監督、2021年)

『よだかの片想い』(安川有果監督、2021年)

『スープとイデオロギー』(ヤン ヨンヒ監督、2021年)

『いとみち』(横浜聡子監督、2021年)


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