歌の力は凄い!~映画『ラジオ下神白』~

震災なんて無かった方が良かった。
もちろん、そのとおりだ。
2011年の東日本大震災では自然災害だけでなく、それ以上に、原発事故や復興計画・復興事業の混乱・不手際といった人災に被災者の方々は翻弄され続けた。
震災なんて無かった方が良かった。
もちろん、そのとおりだ。でも、震災も人災も起きてしまった。
それがどんなに理不尽なことであっても、その過去を変えることはできない。
とても不謹慎な言い方かもしれないが、でも……もし……
震災があったおかげだね。
そう思える事がたった一つでもあれば、過去を変えることができなくても、今を、これからを、変える希望になるのではないか。

そんなことを思ったのは、映画『ラジオ下神白』(小森はるか監督、2024年。以下、本作)で、福島県いわき市にある福島県復興公営住宅・下神白しもかじろ団地に住む高齢者たちと、「ラジオ下神白」を運営する若者たちの温かい交流を観たからだ。
ラジオの収録と称して、高齢者の方々が住む部屋を若者たちが訪れ、好きな歌にまつわる思い出話を聞き、時に一緒に口ずさみ、時に他愛のない話をする。震災の話は一切せず、ただただ思い出を語り、聞きながら、楽しい時間を過ごす。時に誕生日会やクリスマス会も催す。
クリスマス会では、若者たちの生演奏をバックに、マイク片手に好きな歌を熱唱し、聞いている人たちも一緒に口ずさむ。笑顔あり、思い出に涙する顔あり。
スクリーンに映る高齢者の方たちは皆、幸せそうだ。
21世紀の日本でそんなことができているのはやっぱり、震災があったからだ、としか言いようがない。
『いつもこういうことがあるといい』
90歳の誕生日を祝ってもらった女性は嬉しそうに言う。その顔は希望に満ちている。

本作は、「ラジオ下神白」のディレクター・アサダワタル氏を中心としたボランティアの番組スタッフ(及びバンドメンバー)と復興公営住宅団地の住民(主に高齢者)との交流を描いた映画である。

こんな手があったか!
私が驚いたのは、「ラジオ下神白」は実はラジオではなく、「ラジオ番組風CD」という点である。
震災直後、被災地では「災害FM」として多くのコミュニティーFMが開局された。
ラジオは不特定多数の人たちに届けられるというメリットがあり、だからそれらコミュニティーFMに、ラジオに、心を救われ、癒され、勇気づけられたと多くの被災者は語る。小森監督の過去作『空に聞く』(2018年)でも、コミュニティーFM局を扱った。
しかし、そのメリットは「電波」であることによって成立している。
電波は目に見えない、(自身が意識的に録音しない限り)記録に残らない、何度も聞き返せない、後に他人と思いを共有できない。
加えて、2024年に至るまでに閉局したところも多く、思い・想いが更新される機会も少なくなっている。
さらに言えば、ラジオは電波ゆえ公共性が優先され、多くの場合において情報の比率が高くなる。

それを逆手に取ったのが、「ラジオ下神白」という「ラジオ番組風CD」ではないだろうか。
メンバーたちは、下神白団地の部屋を直接訪ね、故郷の思い出や好きな歌を語って(歌って)もらい、それを録音・編集したCDを、団地の全ての部屋に届ける。

その「番組」には情報が一切ない。
「番組」に登場するのは全て、知人か、そうでなくても、顔は見たことがあるかもしれないが名前もどの部屋に住んでいるか知らなくても「確かにこの団地の住人だ」と実感できる人たちだ。
その人たちが自分たちが共感できる話をし、知っている(或いは自分も好きな)歌の話をし、時に口ずさむ。
何より、CDという「実感」がある。
一人で、不安で眠れない夜。
突然襲ってくる、心にポッカリと空いたような、淋しいような、虚無のような時間。
そんな時、いつでも「ラジオ下神白」を聞くことができる。
こんな素敵なラジオ番組は、どこにもないだろう。

こんな手があったか!
私が再び驚いたのは、若者たちの生演奏をバックに歌ってもらうというアイデアだった。
番組では曲をかけたり、口ずさんでもらったり、また時に集会場でカラオケをバックに皆で歌ったり、と、常に「音楽」が傍らにある。
「音楽」の効果は絶大だ。人は「音楽」なしには生きてゆけないのではないかと思ってしまうほどだ。
「音楽」を聞けば、そこから自分の思い出が蘇り、それがまた別の「音楽」を思い出させる。
思い出を語る人たちの顔は嬉しそうで懐かしそうで。
カラオケで歌う人たちの顔は幸せそうで真剣で。
でも、そこには自ずと「話をする人/聞く人」「カラオケをバックに歌う人/聞く人」という関係性が生まれる。
話を聞く若い人の中には、その歌を知らない人だっているだろう。
だったら、いっそのこと「生演奏で歌ってもらおう」。
そうすれば、若い人は演奏を通じて歌を知ることができるし、何より「歌う人/聞く人」の関係性がなくなる。
主宰のアサダ氏は言う。
「歌う人は自分の調子で歌うけど、カラオケはそれに付き合えない。どんどん追いてっちゃう。折角の生演奏なんだから、歌う人にこっち(演奏)側が合わせたい」
そう、「音楽」が寄り添うって、そういうことなんじゃないか。

その生演奏が行われたクリスマス会のシーンは圧巻だ。
演奏曲はこれまで番組に登場して下さった方の中から選び、その思い出を語って下さった方が、マイクを持って歌う。
カラオケではないので、模造紙に大きく手書きされた歌詞を見ながら歌う。
聴衆も皆、その歌詞を見ながら一緒に歌う。
皆、幸せそうだし、自身の思い出が蘇り、涙ぐむ人もいる。
私も映画館の暗闇を利用して、声を出さずに口ずさむ。
1970年生まれの私も決して若くないが、本作に登場する人たちは皆、両親の世代だ。
なのに、ほとんどの曲を口ずさめたことに驚いた。
しかし、節々でメロディーや歌詞が違うことに違和感もあった。それは、決してスクリーンに登場する人たちが下手なのではない。
私の歌い回しは、両親がテレビを見ながら、或いは日常の中で何げなく口ずさんでいたものだった。
そう気づいたとき、両親や幼き日の私自身の思い出が一気に蘇り、映画とは関係なく、いや、スクリーンに映し出させる人たちとシンクロしたように、泣きたくなった。
改めて、「音楽」がどれほど人の力になるか思い知った。

本作には恐らく「これまでの小森監督作品とは違う」という評がなされるだろう。
確かにこれまでの小森監督作品は、対象者と1対1の密な関係を基にした、所謂「観察映画」の体を成していた。
それは小森監督自身が関係を持った人を対象者としたからだ。
対して本作は「既に関係が出来ているコミュニティー」に"記録者"として参与し、対象者が「個人」ではなく「コミュニティー」というのも大きいだろう。

しかし、「違う」のではなく「変遷」と見ることもできるのではないか。
ポレポレ東中野で公開された過去作をみると、『息の跡』(2016年)では震災を語り継ごうと孤軍奮闘する一人の種苗店主を、『空に聞く』(2018年)では上述したとおりコミュニティーFMの一人のパーソナリティーを追った。
その2作は共に被災者を対象者としているが、震災渦中→復興渦中という変遷がみられる。
二重のまち/交代地のうたを編む』(2019年)は、他所から来た若者たちを対象者として、(政府・自治体主導の)復興の現在から未来へ、という変遷がみられる。
そこにはまだ、「被災者」と「非被災者」の関係があり、作品は「非被災者」から「被災者」にアプローチするものとなっていた。
そして本作は、既に「被災者」と「非被災者」の関係がなくなり融合されたコミュニティーから、小森監督がアプローチされている。
もちろん、まだまだ「復興」には道遠いし、そもそも「復興とは何か?」すら明確になっていない(もう13年も過ぎたのに!)中で軽々しくは言えないかもしれないが、それでもやっぱり、小森監督作品の変遷は(「公共」という大きな枠組みではなく「コミュニティー」という小さな枠組みの中において、という前提付きではあっても)着実に前進しているという希望となるのではないか。

そして、それは「復興」という意味での変遷であって、小森監督自身の変節ではない。それは、本作パンフレットに掲載されたアサダワタル氏の寄稿文でわかる。少し長くなるが、一部を引用する。

(2023年12月23日)下神白団地のクリスマス会で、映画に登場する住民さんたちの前で、映画にも度々登場する集会所で(本作を)上映したのだ。(略)
上映会はとてもおもしろかった。「おもしろい」上映会とは何か。みんな映画を観ながら、スクリーンを指さし、終始ぺちゃくちゃお喋りしているのだ。「あの人、いまどうしてんだっけ?」「〇〇の方に引っ越したんじゃなかったっぺか?」(略)話は止まらない。隣同士で映画を囲んで情報交換し、既に亡くなってしまった方や介護施設に転居された方が出てきては「わぁ」っと声があがり(略)
ある住民さんが団地の道路わきにあるプランターの花に水を上げるシーン(略)に、なぜか笑いが起きる。ある住民さんがお饅頭を食べながら喋っているシーンに爆笑する。(略)わたしが麦茶を飲むシーンがあるのだが、「ああ、アサダさん喉が乾いてたんだねぇ」とまた細かいツッコミが入る。これはほかの上映会ではまったく起きないことで、「一体、何を感じ取っているんだろう?」と思わされることが多々あった。ものすごく「日常的な事柄」にしっかり反応する。考えようによってはただの「あるあるネタ」なのかもしれない。しかし、それだけでは済まない、大切なコミュニケーションが存在していると実感した。

小森監督は、「文学界」(文藝春秋)2022年12月号に掲載された「理想の瞬間はなかなか訪れない 小田香×小森はるか×草野なつみ」の座談会でこう語っている。

自分の作品の未来ということを考えると、私の場合は、「最後は、撮らせてもらった人のいた土地に、残っていったらいいな」という気持ちはあります。その土地の誰かが映画を見て、「ここに映っている人に出会えてよかった」「こういう時間が、この土地にあったんだな」と感じてもらえるようになれば、と。記録として残すというより、土地に還っていくものになればいいなあ、という気持ちは常にあります。

上映会で起こったことは、観た方々が小森監督の想いを感じ取った結果だ。

メモ

映画『ラジオ下神白』
2024年5月1日。@ポレポレ東中野(アフタートークあり)

文章の流れで本文には書けなかったが、クリスマス会のシーンが圧巻なのは、それが2019年12月に行われたからだ。本作を観ている2024年現在の我々は、その後何が起こったか知っていて、だから余計に胸に迫るものがある。
そういった意味で、ラストはまさに「そうきたか!」。
東日本大震災、熊本大地震、中国地方の大洪水、能登の大地震、さらにウクライナやガザでの戦争・紛争まで鑑みて、ラストは「いま・ここ」にある『We Are The World』といっても決して大袈裟ではない、と個人的には思う。


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