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大学生は希死念慮〜教育虐待の母を、私も愛して〜

これから記すのは、日頃の鬱憤であり、葛藤である。まとまりのない拙い文から、私の脳内のバグを感じとってくれれば幸いである。

私は一浪した大学生3年生である。
地元では有名の進学校である中高一貫校へ通い、予備校を1年間、そして、親の決めた大学、学科へ通っている。何となく入学した大学もコロナ禍で全講義オンラインで先生とのコミュニケーションの取り方が分からず、勉学に身が入らない。母の怒号の隣りで受ける講義はいつも気だるげで、母が居ない時は気づいたら寝てるという始末。案の定、落単と再履修、母の怒号と悲嘆の繰り返しの中で私はただソシャゲの周回をして寝るだけである。大学の課題をやろうとすれば、「アンタはやることなすこととろくさければ終わらないし不出来だ」ということだそうで母が先に片付けている。母が行った科目はSかAで私が辛うじて出来たものはC評価か落単であった。

幼い頃から、母は私に沢山投資をして下さり、私は沢山の体験ができた。習い事も多く、海外旅行や塾、本当に様々な体験をさせてくれた。私は、その事にとても感謝しているし、母の仰ることは全て正しいように聞こえてしまう。合理主義ワーカホリックで多才の母は、私が世界で活躍できるような人物になって欲しいようだった。母のいつも私に語ってくれる夢であった。しかし、その夢はいつも気まぐれであったのだ。ある時期は、医師、そして母と同じ研究職、またある時は弁護士、今となっては教師である。私は、そんな母に、ここまで尽くしてくれた災害な母に答えたかった。しかし、私のやりたい事は幼い頃から変わらず小さな炎として揺らいでいた。それは漫画家になりたいという想いである。

ところで最近の私は、原因不明であるが、近年の記憶が本当にない。高校の頃から何故かモヤがかかったようで、就活のためのエントリーシートやら人生曲線やらが書けぬのだ。瞬間的楽しさを感じることは多々あるが、ライフステージに置ける盛り上がりというのは高校1年から無いのだ。そのようにしているとやってくる災害は、私の情緒不安定と歯ぎしりと睡眠不足を引き起こすのだった。しかし、こうはしてられぬと家の掃除を行った。工作や絵や作文をかくのが好きであった私は、幼い頃の作品が沢山あった。それは全て、私が当時一生懸命頑張った証であり最高傑作であったが、月日が経ち色褪せ脆くなっていた。この機会にと私はガラクタ同然のものは全て捨ててやった。とても高揚したのを覚えている。そんな中、私の夢に関する作文がいくつも出てきた。憎い母の夢を我が夢のごとく語る拙くも元気な文である。しかし、ここで私は気づく。時代によって変わる我が夢ではあるが、夢は1つだけではなく複数あげていたということに。その複数の夢のひとつというのは、お察しの通り漫画家であった(ほかの夢は大豪邸に住んで多くの人を雇う事や医療ロボットの開発に携わる等である)。このとき、私は自分の中で寝ていた炎が少し大きくなったのを胸の奥でグッと感じた。

私は、なぜこの夢を忘れていたのか。私はなぜ今絵を描かずに面白くもないゲームの周回などしているのか。やりたいことが沢山ある中、どれもやりたくなくなっていた。夢と言えば、声優になりたいと言えば罵られ、漫画家になりたいと言えば手塚治虫のやうに医療も学べと言われていたのを思い出す。しかし、今となれば何も手に入れられなかった大きなバグを起こしたAIである。

私には何も無い。
多くの体験を経て、学ぶことは出来た。数学の面白さを語ることは絵を描くことと同等に好きである。しかして、世界はすべて混沌であるが故に単純であるように感じた私は、この世で何を持って生きようというのか。人は単純で面白いが個々は複雑である。1人死のうが人は変わらぬが、身近な個には影響する世界で、どちらに目を向ければいいというのか。

長く生きれば死ぬハードルが高くなるというならば、同じ道路が続くならば、いつ切っても構わないのではなかろうか。



追記
自殺を試みる時の透き通った空、肌を霞む空気ほど美しいものはないというのは意外と記されていないというのは、そういうことなのだろうか。


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