見出し画像

[インドで働く人々] イトウさんの挑戦: 30歳で年収1000万円

こんにちは、宇佐美です。

今回は、インドでの経験を通じて成功を掴んだイトウさんのキャリアストーリーをご紹介したいと思います。
※イトウさんのご希望により、トップに掲載されている写真は、最初のインド滞在当時の年齢や情報をもとにAIで生成されたものです。


インドへの旅立ちと運命の出会い

大学生のとき、公認会計士試験に失敗し、将来の方向性に悩んでいたイトウさん。そんな彼の人生を大きく変えたのは、中央線の特急車両で偶然出会った乗客からの「海外へ行け」という一言でした。その言葉に背中を押され、日本での就職はせず、将来性のある国としてインドを選択。未知の地での挑戦が、彼のキャリアを大きく飛躍させるきっかけとなりました。

インドでの飛躍:営業スキルと財務知識で役員に

インドに渡ったイトウさんは、現地の貿易関連会社に就職します。英語が堪能でない日本人が就職するのは難しい環境でしたが、イトウさんもほとんど英語を話せませんでした。しかし、優れたコミュニケーションスキル、熱意、そして財務の知識を活かし、見事に就職を果たします。

その会社で取り扱っていた製品の一つに、貧困な村向けの泥水を飲み水に変える浄水製品がありました。しかし、販売業者たちは実際にその水を飲むことができず、顧客にとってもその製品の信頼性が疑問視されていました。それを目の当たりにしたイトウさんは、デモの場で自らその浄水された水を飲んで安全性を証明しました。この大胆な行動によって顧客の信頼を得ることに成功し、製品の販売も順調に進みました。

さらに、もう一つのエピソードとして、別の場面でのプール用塩素製品のデモがありました。デモの際、イトウさんは顧客に「このプールを使う一番小さい子どもは何歳ですか?」と尋ねました。顧客が「8歳です」と答えると、イトウさんは「そうですか」と返し、その場でプールの水を飲み始めました。驚いた顧客が「なぜそんなことをするのですか?」と尋ねると、イトウさんは「自分が飲めない水で、子どもたちを泳がせることなんてできません」と答えました。この行動は顧客に深い印象を与え、さらにその場にいたライバルの販売業者に「あなたのところの製品でプールの水は飲めますか?」と尋ねると、ライバルは「無理です」と答えました。

これらの誠実で大胆な行動が功を奏し、イトウさんは入社から数ヶ月で役員に昇進。日本人としては異例の速さであり、彼はこの会社で2年間勤め上げました。この成功は、イトウさんの営業スキルと真摯な姿勢が顧客に強く響いた結果であり、彼のキャリアにおける大きな転機となったのです。

インドでの起業と愛の試練

その後、イトウさんは現地法人を設立し、飲食店向けのサービス「クエスポン」をリリースします。ここでも多くの出会いがあり、インド人はもちろん、現地の日本人起業家とも交流を深めました。その中には、一人の日本人がいて、インドでフリーランスのITエンジニアとして活動していました。彼と協力し、インドの現地IT企業とも提携して「クエスポン」をリリース。当時のインドでは、システムを開発しリリースするまでに至るのは至難の業で、日本の大手企業ですら頻繁に失敗していました。リリースできたとしても、結果的に莫大な費用がかかり、スケジュール通りに進まず大幅な遅延が生じることが多々ありました。そんな厳しい条件下でも、イトウさんは「クエスポン」をリリースし、その敏腕ぶりを発揮。当時、イトウさんと同じ規模で製品をリリースできた人や会社は他になく、彼の功績は際立っていました。

リリースまでの道のりは大変でしたが、残念ながらビジネスは思うように進まず、会社を閉じることに。同時に、インド人女性との恋愛が深まり、二人は駆け落ち同然で日本へ戻ります。しかし、文化や家族の事情もあり、最終的に彼女は親が決めた相手と結婚。深い悲しみを抱えながらも、イトウさんは新たな道を歩む決意をします。

日本での再出発:ITエンジニアへの道

日本に戻ったイトウさんは、システムエンジニアリングサービス(SES)企業に正社員として就職しました。インドで「クエスポン」のサービスを進める中でシステム開発に魅力を感じ、独学でITの勉強をしていた彼。その努力が実を結び、業務未経験でありながらも、ITの知識、営業スキル、そして起業経験が評価され、エンジニアとしてのキャリアをスタートさせることができました。
しかし、最初は開発の経験がほとんどなく、しかもインターネットが利用できない環境下での作業は非常に困難を伴いました。そこで、彼は周囲の協力を得ながらプロジェクトを進行させ、必要であれば建物内の別の企業にも協力を仰ぐなど、インドで培った営業スキルをフルに活用して周りを巻き込み、プロジェクトを完遂させました。このような行動力が評価され、彼は次々とプロジェクトに関与していきます。
3年間で3つのプロジェクトを経験し、実践を通じてコーディングスキルを磨くことができましたが、給与は依然として低く、生活は厳しい状況が続きました。それでもエンジニアとして働けることに感謝し、成長のチャンスを享受していた彼は、その環境に満足していました。

その後、彼はITベンチャー企業に転職し、レガシーシステムを最新のシステムに刷新するプロジェクトに参加しました。SESでの実績と営業力から営業部長のオファーもありましたが、彼はWebエンジニアとして技術に集中する道を選びました。最新技術に触れることができるこの環境での3年間は彼にとって非常に充実したものでしたが、給与面では依然として低い状態が続き、結婚後の生活はさらに厳しいものとなりました。彼は給与が低くても、トレンドの技術に触れる喜びと開発を楽しんでいましたが、結婚を機に現実的な課題である給与面の不安を実感するようになりました。家族を支えるという責任を感じ、次のステップを真剣に考え始めたのです。

経験を糧に:外資系企業での成功

数々の経験を積んだイトウさんは、現在、外資系企業でブリッジシステムエンジニアとして活躍しています。この企業は、アメリカに本社を持ち、世界中に支社を展開する従業員2万人規模の大企業です。イトウさんのこれまでの豊富な経験と実績が高く評価され、入社時の年収は700万円からスタートしました。企業の期待通りに活躍を見せ、残業が多いものの、その成果が認められ、表彰や昇給を重ね、入社からわずか3年で年収1000万円に達しました。これまでの努力が大きな成果となって現れた瞬間です。

特に評価されたのは、エンジニアとしての技術力に加え、インドでの貴重な経験でした。インドに強みを持つ日本人ブリッジシステムエンジニアとして、唯一無二の存在となり、社内外でなくてはならない重要な人材へと成長しています。さらに、他の企業からも多くのヘッドハンティングのオファーが寄せられています。

現在と未来

現在、イトウさんは年収1000万円以上を得て、東京でマイホームを購入。結婚生活も順調で、お子さんにも恵まれています。これまでの挑戦と努力が実を結び、充実した日々を送っています。

イトウさんは語ります。

「失敗や困難は何度もありましたが、そのたびに新しい道を見つけて進んできました。インドでの経験や出会った人々との縁が、今の自分を形作ってくれたと感じています。収入が安定するまでに10年近くかかり、何度も挫けそうになりましたが、あきらめずに続けたことが今の結果につながっています。私はエンジニアですが、他のエンジニアと比べるとコーディングは下手で、現在の収入を得るほどのスキルはないと自覚しています。しかし、エンジニアはコーディングが全てではなく、他にも勝負する方法があります。そのため、これまでの経験が私の強みとなり、評価されていると実感しています。私ができないことはチームのメンバーがフォローしてくれ、メンバーができないことは私がフォローする。誰しも一人では限界があるので、チームを本当に大切にしています。」

最後に

イトウさんのストーリーは、逆境を乗り越え、自分の可能性を信じて挑戦し続けることの大切さを教えてくれます。海外での経験や多様なキャリアが、彼の人生を豊かにし、成功へと導いたと感じました。また、イトウさんは非常に謙虚で、どんな人にも公平に接しようとするその懐の深さには驚かされます。
忙しい中でもインタビューに応じてくれたことに、心から感謝しています。


インド留学プラスでは、単なる語学留学に留まらず、このようなインタビュー活動を通じてインドでの貴重な経験やその魅力を皆様にお伝えしたいと考えています。
また、このようなインタビューを体験できる特別な留学プランやインターンシップもご用意しておりますので、興味のある方はぜひお気軽にお問い合わせください。


宇佐美

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?