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いくつになっても。

子どものころはもっと、自然の変化をダイレクトに、全身で感じていたはずなのに。

社会は利益と効率を求める。現在日本で働く多くの大人たちが、そんな社会の中で日々の雑務に追われて生活していることだろう。わたしが勤める仕事も、日々の業務に追われ、毎日多くの人と密着し、多忙な方だと思う。そうした社会に揉まれるなかで、わたしを含め、多くの大人たちは、何か大切なものを少しずつ、どこかに置き忘れていくような気がしている。

ある日わたしは、仕事の合間に、気づけばふと、静まる外の空気をひとりで吸っていることがあった。何でもない移動の瞬間のことだった。

風が吹いていた。
木の葉が揺れていた。
遠くの方で、車が走る音がした。
視界が開けていた。
たぶんそれは土のにおいだった。

夏の終わりだった。
わたしは大きく深呼吸をした。
とても気持ちが良かった。
時が止まったような、
それとも子どものころにタイムスリップしたような、
懐かしい気持ちがした。

そこで立ち止まり、目をつぶり、
自然の空気にしばらく身を任せてみようなら、
どれほど良かっただろう。
もっと色々な音や匂いや感触を
五感で感じることができただろう。

しかし残念ながら、
わたしは次の仕事に早く取り掛からなければならなかった。
そこでわたしは、仕事より今の時間を大切にすることができなかった。
季節の変わり目だった、自然そのものだった空間を、
まるで子どものころ感じていたように、
全身で感じることが出来ないままだった。

そこでわたしが仕方なく仕事を選んだことは、子どもらしくなかったし、
そもそも、仕事の合間のようなひとりの時間をわざわざつくって、感じようとしない限り、子どものころ何気なしに味わっていた感覚を取り戻せないのかと思うと、
自分が歳をとっているという切なさを感じずにはいられなかった。

そうやってどんどん、子どもの頃の感覚を
忘れていって、
自然の変わり目に疎くなっていくのだろう。

そういえば、

恋をしている時って、
目の前の様々なことにときめいているよなぁ。
好きな人のことを考えたり、好きな人と一緒にいたりする時って、その場の空気にとても敏感になれると思うのはわたしだけだろうか。
大人になっても、子どもらしい素晴らしいあの感覚を忘れないことは、恋とも関係があると思う。

恋って、人間としてある程度は本能的なものだと思う。
でも、人間らしい本能的なことは、社会の変化や流行をどんどん吸収してしまうことでもある。たとえ自然離れしていても便利であれば欲しくなることもあるし、欲望は肥大化することもある。望みのためなら争いだって起こしてしまう。

だから人間ってとても恐ろしい生き物だと思う。人間らしくいることが、自然離れになることもあるなんて。


自然のままに、子ども心を忘れずに、
純粋な感覚をとぎ澄ますことが、
大人になっても出来ていれば一番良いなと思う。
そう出来なくても、ふと、時が止まったような、
タイムスリップしたような瞬間や場所を
大切に出来たら良いな。

そういう感覚って、そう感じる瞬間って、
人によって様々だと思う。
けれど、
何かきっかけをくれるスペースとかって作れたりしないかな。

例えば、カフェとかさ。

そこに行けば、まるで時間が止まるような、子どものころにタイムスリップしたかなような懐かしい感覚が味わえる、みたいな。
ほらまた、わざわざ作ろうとしている時点で、子どもらしくない…って?(笑)

おっと、考えていたら、あちこちにどんどん妄想が散らばっていきそうだ。
こんなことやあんなことを考えている今のうちは、わたしもまだまだ子ども心を大切にしまっているということにしておこう。また、仕事の合間を縫って、ひとりで目をつぶって深呼吸してみよう。

長々と、季節の変わり目に何となく感じたことを、雑記してみました。


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