植物に輪廻する世界を体験する「RingNe」を紐解く②/物語編
2023年10月8日に南足柄市「夕日の滝」で催す体験作品「RingNe」についての連載第2回目です。まだ下記の構造編をご覧になっていない方は、まずはこちら↓ご覧ください🌱
「RingNe」は植物に輪廻する世界を体験する体験作品であり「小説」で描いた物語を「フェスティバル」として現す試みです。今回は「小説」にフォーカスを当てて「RingNe」とはどういう物語なのか、紐解いていきます。
あらすじと本文全文公開URL
まずは簡単にあらすじを。
今回は植物をテーマにしたお話です。ジャンルでいうとSFなのですが、科学的考察や近未来的なサイバー感というよりはS(少し)F(不思議な)な物語なので、大人のドラえもんを読むテンションでどうぞです。
小説は上記URLより全文無料でご拝読いただけます。一年かけて毎日少しずつ書き進め、ようやくできた一作です。「とにかくまずは読みたい!」という方は上記URLへ。「読むべきなのか吟味したい」という方は下記より続くテキスト(ネタバレなし)へどうぞ。ちなみにURL先はカクヨムというサイトで、縦読みやダークモードに変更して読むこともできるのでおすすめです:)
RingNeはどんな物語?
描いた世界は「人が植物に輪廻する世界」
死後、人体から量子(物質の最小単位)情報が散逸し、光合成により植物の一部となっていることが分かった、という設定の未来です。
死後の量子情報が別の生命に転移することを作中では「量子サイクル」と呼んでいます。仏教用語である「輪廻転生」は業が引き継がれ、生まれる変わることを意味しますが「量子サイクル」は量子情報が引き継がれるだけです。(着想の種としてはロジャー・ペンローズのOrch OR 理論からきています)
つまり植物に故人の意識や記憶が宿るようなことはありません。ただ質量保存の法則の元、最小構成物質たる量子が移動していることが分かっただけです。
それでもその時代に住む人々は、そこに故人の残滓を感じてしまいます。今でも故人の遺物に面影を感じることがありますが、それが観念ではなく物理現象として植物に転移していることがわかった時代、植物はより具体的な祈りの対象となっていきます。量子サイクルは輪廻転生やアニミズムを上書きせず、むしろ神仏習合に科学が加わった形で、継承、発展されていきます。
これまでと大きく違うのは祈りの対象が有機体であり、1つの独立した生命体であるということ。かつ、植物とは生命として独立しながらも、根や菌糸を介して他の植物たちと繋がり、個も生死の境界も非常に曖昧な存在ということです。
例えばタンポポに成れば、いずれ100本以上の綿毛となり分散し、本体はその後枯れます。中枢神経のない(つまり意識がない)植物たちにとってこれは死なのでしょうか? そして植物の中に人の魂のようなものを見るようになった時、この流動性は人間社会に新たな生命観をもたらしていきます。
商業においても農業や林業、製紙業、植物を扱う様々な業態に影響が出てきます。つまり誰かのお墓である可能性のある植物を食べることは、材にすることは、紙にすることは、倫理的に許されるのか?ということです。
作中、人が量子サイクルした植物は通称「神花(シンカ)」と呼ばれるようになります。この世界ではオーガニックな作物につけられるJAS認証のように、無神花認証というものが制定され、人々はできるだけ無神花認証のものを選ぶようになります。
そして故人の量子情報の行方を探索し、植物に触れるとその量子情報をシーケンスできる指輪型のデバイスの名前が「RingNe」です。植物主義時代とも言えるこの時代に生きる人々はスマホを持ち歩くようにRingNeを装着し、植物の量子情報を確認しながら暮らしています。
そんな時代に生きる3人と1人のAIの視点で物語は進んでいきます。
1人は「RingNe」の開発者、三田春(ミタ ハル)。幼少期に見た不思議な夢に導かれて「RingNe」を開発するも、変わってしまった世界を見て自らの行いに葛藤を続けています。
2人目は渦位瞬(ウズイ シュン)というイベンター。植物という静的な未来の反動として、この時代はフェスティバルをはじめとした身体的な営みが流行します。渦位はフェスを作るDAOに所属しながら、突如ツユクサとなって発見された妻の死の謎を追っています。
3人目は葵田葵(アオイダ アオイ)。葵は堆肥葬管理センターの職員として働いています。死後、希望の植物に量子サイクルするために遺体を堆肥化して、植物に漉き込む「堆肥葬」が葬儀のスタンダードになっていき、堆肥葬管理センターは日本中至るところに建設されました。
ところがある日、葵の所属する堆肥葬管理センターが管理する、無数の神花が咲く山で森林火災が発生してしまいます。燃え尽きてしまった神花の行方、そして事件のきっかけになったとある一本の植物が、植物主義社会を揺るがす一火となっていくところから、物語は動き出します。
レビューのご紹介
さて、作者があまり語りすぎても良くないので、ここからは先行公開時に読んでいただいた方々からのレビューをご紹介させていただきます。
レビュー中に記載のある『KaMiNG SINGULARITY』とはaiが神になった世界をテーマに描いた前作の体験作品のことです。物語としては独立しているので前作読んでなくてもお楽しみいただけますが、いろいろ繋がっておりますので併せて読むとより愉しいはずです。
『KaMiNG SINGULARITY』の物語は実際に顕在化させたフェスティバルの様子も含めて上記noteにて全文公開中です:)
また「RingNe」は「体験作品」(小説で描いた世界が実際に体験できる世界として現れる作品の形態。詳しくは構造編参照)として描いたので、当日どんなフェスティバルを体験できるのかというヒントも作中至る所に隠されています。
書き始めるまでのこと
RingNeの小説を書き始めるまでの経緯もちょっと語らせていただきます。
それは『KaMiNG SINGULARITY』の次作を考えていた折、逃げBarから横浜駅に向かう歩道橋の上、ちょうど真ん中あたりで「人が死んだら植物になる世界」の話を書こうと決めました。
それは以前から個人的に持っていた直感でした。森に一人で佇むとき、大木に触れるとき、いずれ自分は、人間は、木々に成ってゆくのだと、極めて感覚的に感じていました。そこには何の科学的根拠もないながら、いずれこのインスピレーションは物語にして昇華させたいと思っていました。
そして後日。いざ物語を書き始める前に、この作品で大切にしたいいくつかのことを決めました。1、今回は物理による正しさを超えた、情緒的な美しい世界を描きたいと思いました。なのでサイエンスフィクションというよりは、S(少し)F(不思議)なお話を、と。
もう1つはこの物語があわよくば「新たな生命観」を立脚できるものであれば願いました。一般に生命とは「生」「在」「滅」の三幕構成とされており『KaMiNG SINGULARITY』ではそのように3部作を描きましたが、RingNeは生命を「巡」「祝」「美」とそれぞれに解釈して、主人公3名にそれぞれの役割を与えてみました。
そこからはそもそも植物の基本的な機能であったり、最新の研究であったりをいろいろ読み耽りました。それがまた面白くて。植物が持つ感覚野は一説にとると20もあったり、森では植物同士が根や香りで疎通しあっていたり、既知のはずだった辺りの植物たちが未知なる生命体に一変していく様が、非常に愉快でした。
植物というありふれた未知は、人が知性を発達させ、社会を形成するなど、人類史における革命と名のつくあらゆるフェーズにおいて欠かせない存在であったことも知りました。では、未来ほぼ確定的に起こるであろう生命観の革命において、植物は次に人にどのような気づきをもたらすのだろう?と考えました。
植物のことを本だけでなくて体験でも知りたくて、小説のために農業と林業もはじめました。といっても農業は25㎡区画のシェア畑を借りて農作している程度で、林業は2ヶ月ほど研修させていただきチェンソーで伐木できるようになったくらいですが、それぞれの体験を通してでしか得られない気づきが確かにありました。
あと住処も横浜から物語の舞台へ移り住み、その土地の山から湧き出る水を日々飲んで、身体を物語のために整えていきました。
そんな感じで、日々物語仕様に身体と環境をチューニングし、人と植物の関係性を見つめ直し、学習し、文学的な動力で自由気ままに筆を進ませながら、時にしばらく書けず悩みながら、ああでもない、こうでもないと推敲を重ねて出来上がった、愛すべき作品です。
人、植物、AIと3つの視点で描いたのでちょっと難読なところもあるかもですが、RingNeの世界を体験することで、植物たちと再び出会い直し、生命や社会の新たなまなざし方に出会えるような作品になれば、と願います。
どうぞ10/8のフェスティバルと併せて、お愉しみください。
-ps-
RingNe Festivalの制作に入ってきてくれたメンバーからの読書感想文も届きました!
RingNe Festivalは制作メンバーを絶賛募集中です。現在はLP改修中につきクローズにしているので、RingNeにご興味ある方はまずは1度雨宮TwitterまでDMくださいませ🕊