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実家がホームじゃなくなった時に感じた「なんとも言えない気持ち」と「親のありがたみ」

実家がホームじゃなくなっていた。実家を出る前と、居心地が違う。
ホームじゃないからといって、別にアウェイというわけでもない。

よく「実家に帰る」と表現するが、いまの感覚は「実家に行く」に近い。

「〇日に帰るよ」と親に伝える。すると、その瞬間に、親には”おもてなしの精神”が芽生えているようだ。親の脳内では、「息子が帰ってくるぞ!ほら、おもてなしをせんか!」という指令が出ている。

母親には「おかあさんスイッチ」が、父親には「おとうさんスイッチ」が入る。
ちなみに、おかあさんスイッチ "あ"は、「あんた、ご飯ちゃんと食べてる?」だ。

「せっかく帰ってくるんだから、桃も用意しておこう。」

「タンパク質多めのヨーグルトが好きだから、買っておいてあげよう。」

「晩ご飯も豪華にしてあげよう。」

そんなことを考えてくれていたようだ。実家にいたころよりも、数段グレードアップしたおもてなしをうける。無課金なのにレベルの上がり方がすごい。

ありがたい。自分では大人になったと思っていも、親にとってはいつまでも子供なんだ、と実感する。それと同時に「客人扱い」であることにも気づく。

もう実家の住人ではないから、たまに行くとゲストだ。

「ほら、お父さん、息子が帰ってきてるわよ!」となる。実家にいたあの頃は、たいして口数の少なかった父も、はりきったトークで食卓の場を回してくる。味噌汁をすすりながら、あれやこれやと聞いてくる。DJみそしるとMCおとんだ。たまっていた話題をぶん回す。

僕はもう、明らかに実家の住人ではない。いないことが普通になっている。

毎日いた場所だったのに、ゲスト扱いなのが不思議に思えた。

実家で暮らしている猫も、今では僕に人見知りをしている。あ、猫見知りをしている。

実家では緊張もしないし、気を遣うこともない。だが、居心地がいいのは妻と二人で暮らしている家の方だ。何時間も実家にいれば、我が家に帰りたくなる。

もう、実家はホームではなかった。

「結婚するとさ、新居の方が居心地よくなるもんなんだよね。」と母親が言った。言ったというか、静かにつぶやいた。

車で家まで送ってもらっていて、ちょうど我が家に到着したところだった。

車から降りつつ、僕は返事をした。なんて言ったらいいか少し考えたら、シートベルトを外す手が、少しまごついた。

「晩ご飯も桃も美味しかったよ、猫ちゃんにも会いにまたいくね」

居心地の良さについては答えなかった。妻との家の方が居心地がいいことは多分、親もわかっている。

母親はさみしそうに「はい、いつでもどうぞ」と答えた。

僕のスマホのGoogleアシスタントの言い方とそっくりだったので、心の中でツッコミを入れた。

「おかん…AIかよ」

今となっては、自分の家の方がホームだ。そう感じる。実家に行ってしばらくすると、我が家に帰りたくなる。

僕が全然連絡をしていない時も、ずっと僕の心配をしてくれていて、たまに帰った時には、できる限りのおもてなしをしてくれる。

何も返せていなくても、いつでも無償の愛をくれる。実家は多くの人にとって、竜宮城だと思う。感謝しかない。

そして、母親には、こう言いたい。

「おかん…愛かよ」

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