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ヤコブソン・バレエ団 ダンサーインタビュー No.2 大塚カレン【ワガノワ留学時代編】

こんにちは!

前回に引き続き、ヤコブソン・バレエ団ダンサーインタビュー企画・第2弾として、現在唯一の日本人ダンサーでアーティスト(コール・ド・バレエ)、大塚カレンのインタビューをお送りします!

今回は【ワガノワ留学時代~ヤコブソン・バレエ団入団まで】についてお話を伺いました。

★プロフィールと前回のインタビュー(日本時代編)はこちら★
https://note.com/impresariotokyo/n/na41738ad202b


~Vol.2 ワガノワ留学時代編~

Q1.ワガノワへは何年間留学されましたか?
ワガノワへは2年間留学しました。ワガノワは1~8年生までありますが、私は7年生からのスタートでした。クラスは16,17才の子が多く、その当時19才だった私は年長組でした。

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Q2.担任の先生はどなたでしたか?
担任はユリア・カセンコワ先生で、マリインスキーバレエでかつてソリストを務めていらっしゃいました。現在ボリショイ劇場で活躍しているアリョーナ・コワリョーワや、マリインスキー劇場のマリア・イリューシュキナもカセンコワ先生の教え子です。
先生は細かいところまで大事にし、とても丁寧な指導をする方で、ロシア語が不慣れな日本人の生徒に対しても熱心にご指導くださいました。

Q3.カセンコワ先生にはどのようなアドバイスをもらいましたか?
先生に特に注意されたのはアン・デオールでした。
私は元々脚が開きやすい骨格ではなかったのでずっと苦労していましたが、ロシアでよりその欠点を強く感じてしまいました。ロシア人の多くは、意識しなくても元々外向きの骨格を持っているので…。毎日毎日、先生に「開いて!開いて!」と日本語で言われ続けて、時々しんどくなっていましたが(笑)、そのお陰で今もロシアで踊ることができていると思います。
それと、カセンコワ先生は、「いつでも笑顔で、綺麗でいなさい」と常々私たちに言っていました。それは、メイク、髪型も含めて、つまりは美意識を大切にということでした。

カセンコワ1

(卒業試験終了後、カセンコワ先生と)

Q4.クラシック・バレエ以外のレッスンは何がありましたか?
クラシックの他には、アクト(演技)、キャラクター・ダンス(民族舞踊)、デュエット、コール・ド・バレエ(群舞)のレッスンがありました。
アクトでは、古典作品のマイムから、コメディ要素のある作品、現代作品まで、幅広い作品に挑戦しました。時には、生徒が振付をして、それを別の生徒が踊るという課題もありました。
アクトを担当してくださったスチョーピン先生は、今私が所属するヤコブソン・バレエ団でかつて活躍されていた方で、とてもユーモアに溢れた楽しい方でした。とても悲しいことに、先日お亡くなりになってしまったのですが、授業では日本人も分け隔てなく指導してくださる優しくて素晴らしい先生でしたので、先生にご指導いただいたことは大切な思い出です。

スチョーピン

(アクトの試験終了後、スチョーピン先生と)


キャラクター・ダンスのクラスでは、『白鳥の湖』の第二幕の民族ダンスや、バレエが生まれた時代に踊られていたバロック・ダンスなどあらゆる作品を踊りました。
デュエットは、男性と組んで踊る練習です。私は日本でパ・ド・ドゥなど踊っていたので、割と慣れていた方でしたが、学校にいた同世代の男の子たちはまだ不慣れでしたので苦戦することが多かったです。
コール・ド・バレエのクラスは、『白鳥の湖』の湖畔の場面や『ジゼル』のウィリの場面など、女性だけの群舞を練習をしました。こちらは、どれもプロになって最初に踊るものなので、とてもよい練習になりました。

デュエット1

(デュエットの試験)


Q5.ワガノワ・バレエ・アカデミーではよく学校公演が行われていますが、参加されたことはありますか?
ワガノワでは、年に2つ大きな公演があります。
1つはクリスマスシーズンに上演される『くるみ割り人形』、もう1つは学年末に行われる卒業公演です。
『くるみ割り人形』配役は基本的にオーディションを経て決定されるのですが、1年目の時にキャストオーディションを受けて、幸運なことに雪の精のソリストを踊らせていただきました。
ツィスカリーゼ校長に直接ご指導いただいたことや、マリインスキー劇場の舞台に立ったことは今でも忘れることのできない思い出です。
卒業公演にも参加することができ、2年目にはボリショイ劇場の舞台に立つという貴重な経験ができたのも嬉しかったです。『ジョコンダ』『人形の精』『クラシック・シンフォニー(古典交響曲)』など、様々な作品に挑戦し、美しい衣装を着て、歴史ある舞台に立つことができるのは、ワガノワ・バレエ・アカデミーならではだと思います。
それから、留学生だけが出演する公演が毎年エルミタージュ劇場であります。こちらは基本的に自分が踊りたい作品を指導してもらい、発表する形式です。1年目は『眠れる森の美女』のオーロラ姫のヴァリエーション、2年目は『そのような木』というロシアの現代作品を踊りました。特に後者はアクロバティックな要素もありつつ内面も表現する必要があったので、踊っていてとても楽しかったです。

(マリインスキー劇場にて行われた『くるみ割り人形』学校公演で、雪の精のソリストを踊った時の動画)

コンテ1 (1)

(留学生公演で披露した「そのような木」)

カセンコワ2

(『人形の精』で日本人形を踊った後、カセンコワ先生と)

ラーだと

(『ジョコンダ』の衣装を着てクラスメイトと記念撮影)


Q8.バレエ以外の授業はありましたか?
ロシア人の生徒たちは、数学や歴史などのバレエ以外の学問の授業を受けます。その間、私たち留学生はロシア語の授業を受けていました。他にも、学校の隣にある演劇博物館を訪れたり、戦勝記念日の花火をクルーズで見に行ったり、ロシアやサンクトペテルブルクのバレエの歴史を知るためのたくさんの貴重な経験をさせてもらいました。

Q9.ワガノワ留学時代、お休みはどのように過ごされていましたか?
休みは日曜日だけでしたので、疲れて一日中寝ていることが多かったです。たまに日本人の留学生たちと街へ遊びに行ったり、他国の学生も含めてパーティーをしたりと楽しい思い出もあります。
エルミタージュ美術館、大聖堂、劇場など、とにかくたくさんの美しく歴史ある建物が学校から歩いて行ける範囲にありましたし、サンクトペテルブルクの中心地で学生時代を過ごしたことはとても意義のあることだったなと改めて思います。

Q10.就職活動時期はどのように過ごされましたか?
8年生(最終学年)になると、一気に就職活動の空気になります。
ロシア人の学生はマリインスキー劇場やボリショイ劇場への就職を狙う人が多く、最近は留学生もマリインスキー劇場などに入団するチャンスがあるので、オーディションを受けるケースが多かったです。授業中にバレエ団のスカウトマンや監督が突然やってくることもあり、気が抜けない1年間でした。
担任の先生がバレエ団に合った生徒を担当者に勧めたりする場面もあり、私はエイフマン・バレエの担当者に見てもらったことがありましたが、身長が足りないとあっさり断られてしまいました(笑)
オーディションはミハイロフスキー劇場とドイツのバイエルン劇場を受けましたが、オファーはもらえませんでした。

Q11.オファーをもらえないことについて焦りは感じたりしましたか?
あまり感じませんでした。
卒業試験がまだ控えていたからだと思います。

Q12.ヤコブソン・バレエ団へ入団した経緯についてお聞かせください。
ヤコブソン・バレエ団からオファーをもらったのは、卒業試験の終了直後でした。卒業試験は最終学年の4月に行われます。ロシア人にとって卒業試験は国家試験であり、マリインスキー劇場やボリショイ劇場に入団できるか否かの大勝負です。
審査員席にはツィスカリーゼ校長をはじめ、学校中の先生方や関係者がずらっと並びます。マリインスキー劇場をはじめとしたバレエ団の芸術監督や関係者もいらしていて、その中にヤコブソン・バレエ団の芸術監督であるアンドリアン・ファジェーエフもいました。
試験終了後、アユポワ副校長に訳も分からないままファジェーエフ監督の元へ手を引かれ連れられて、ヤコブソン・バレエ団で働かないかというオファーを頂きました。まだロシア語が不得意だったので、その時はオファーをもらえたということしか分かりませんでしたが、一番始めに声を掛けていただいたのが私だったようで、オーディションの結果が鳴かず飛ばずの私にとっては嬉しい出来事でした。
マリインスキー劇場などのオーディションがまだ残っていたので、駄目もとでそちらを挑戦してからという選択肢もありましたが、私にとっては嬉しいオファーだったのですぐにヤコブソン・バレエ団と契約を結びました。

卒業

 (卒業式にて、ツィスカリーゼ校長から修了証を授与された時)


芸術が息づく街・サンクトペテルブルクでの生活、ワガノワ・バレエ・アカデミーでの素晴らしい先生方との出会い、学校公演への出演など、貴重な経験を経る中で、バレエへの思いが自然と高まったと語るカレンさん。

次回【ヤコブソン・バレエ団入団編】では、バレエの聖地・サンクトペテルブルクでプロとして一歩を踏み出した時のお話をうかがいます。

お楽しみに!

★大塚カレンの【Instagram】アカウントはこちら★
↓↓↓
https://www.instagram.com/le_karen_gend/


取材/文:インプレサリオ東京

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