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磨く結晶体

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わたしの中の大切なもの
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#ふと考える

https://note.com/imogine_note/n/n1b1a2dd30731
↑先日つぷやいたことは日頃考えていることなのだけれど、自分のやってきたsmileへの姿勢はこの本の言わんとしている《ケアの倫理》だったのだな…と涙してしまった…(小川公代さん『世界文学をケアで読み解く』。特に「あとがきにかえて」の所)

私は…やはり…Smileは必要だと思う。それを無理に声や表情に出さなくとも。ユーモアとは…何よりまず自分の内側から処方箋として用意されているものだと感じている。勿論、何かの引き換えに「笑い」があってはいけないと思っている。
卑屈さや駆け引きではない笑いがある。島に育まれた宝物だ。

先日「負の連鎖を自分の所で止めてる人は、そのぶん見えない内側が蝕まれ続けている」と呟いた。その「止めてる人」は、なかなか人に悩みを打ち明けられない。そんな人の想いのはけ口は何だろう?そう考えていて…それは“文学”なのでは?と思った。読(詠)んだり綴ったり。…なんと切ない事だろう…

宮沢賢治が
『春と修羅』
という言葉を遺してくれたから
私は「此処にいてもいいんだ」
「生きてていいのだ」
と思える。葛藤したまま生きる。

さみしいなあ。私は少ない。持ってるものが。/いや充分ではないか。何を贅沢なことを。/(沢山持ってると管理しきれなくて不安になる、だから制限してるのに)/(でも少ないものに頼り切ってるのがわかるから)/おちついて/力いっぱいな蝉の静けさに身を委ねよう/好きな本の中に入ろう寂しさは友

負の連鎖を自分のところで止めてる人は、そのぶん見えない内側が蝕まれ続けているんだよ…(そこからもがこうと必死なんだ…)