がじゃまる@統合失調症ブロガー

ブロガー・統合失調症寛解 今はYouTube中心 noteはエッセイを書いてます 大阪…

がじゃまる@統合失調症ブロガー

ブロガー・統合失調症寛解 今はYouTube中心 noteはエッセイを書いてます 大阪芸術大学文藝学科卒 発信活動一覧→ https://lit.link/gajamarudesu 人に優しく。

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統合失調症と嫉妬と希望と

私は基礎疾患として統合失調症という病気を持ってる。世間では生き辛くこの病気は理解され辛く苦しい生活を強いられる。 16で統合失調症になって私は38歳になった。実に半生の半分以上が統合失調症との付き合いである。この病気は治療に気の遠くなるような長い時間がかかるのだ。 今の時代は便利で旧友が何をしているのかわかる。私は自分で言うのも恥ずかしいが小学生の頃は神童と呼ばれてた。たまたま小学校でIQテストをしたら地域で1番のIQだと先生がこっそり教えてくれた。 そして地元で1番賢

    • 「買う」が辞められない

      初対面から私には違和感がありました。 精神疾患を患ってる私に娘さんとの結婚を許してもらえるのか。ましては相手は手堅い公務員。断られても仕方ないなと思い私はスーツを着て彼女の実家に行き結婚の挨拶に行きました。 バリクソ緊張して道中3回も頓服を飲みました。で、緊張しながら彼女の実家に行くとお父さんは満面の笑み。印象はスタイルのいいオジサン。若いなと思いました。私はひと通り挨拶と世間話をしようとしたら、お父さんは「さぁ、本題を」というモードになり、どんだけせっかちやねんと思い「

      • 本当にお金の不安がなくなったら精神疾患は症状が良くなるのか

        精神疾患とは本当に辛い病気です。色んな精神疾患がある中で私は統合失調症という病気になりました。10年以上かけて寛解しましたがそれでも毎日元気良く働くことはできません。天候やストレスで体調を崩し動けなくなり仕事に行けなくなることも多々あります。 ただ私は幸せ者で妻が「私が稼げば何も問題ない」と身を粉にして働いてくれ金銭的な貧窮はありません。 もちろん若い頃は相当な貧乏生活をしました。大学を卒業した後にクローズで働いて体を壊し職業訓練学校に行き始めた時は私の収入はなく、炊飯器

        • 失った青春と新しく得た青春 1東京編

          私は高校で統合失調症を発症して現在39歳。来年は40歳です。 色々ありましたが今は、結婚して障がい者雇用で働いてます。 2年前に17年振りに統合失調症が再発して今日、療養期間が終わりリワークプログラムを始める事を訪問看護の方や担当医と決定しました。 暇すぎて東京オリンピックをずっと見ていたのを覚えています。療養期間を一言で表現すると寂しかったです。 妻はフルタイムの仕事でステップアップの転職に向けて英語や会計の勉強を家に帰ってもしています。それ以外はゲームをやっていまし

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        統合失調症と嫉妬と希望と

          悲しみの吐露

          私は高校2年生に進級する頃、突然錯乱状態になりすぐさま精神科病棟の保護室に隔離され、何の薬かわからない向精神薬を飲んで精神科に入院した。父が医師である為私の変化に気づき即座に適切な治療を行われた。まだ昔の医療制度だった為に長期入院も可能だったので入院期間は7ヶ月ほどかかった。 病棟内では基本的に被害妄想程度しかでず、その度に保護室に入り。入院は長期化した。私の願いは高校に戻り留年しないことだった。私は進学校にいた為に高いレベルの大学に合格することに固執していた。当たり前だ。

          『ボクらの歴史』から読み解く絶望と挫折で這いつくばっている時に唯一打ち勝つ方法、希望について

          人生とはなかなか上手くいかないものです。嬉しい時もあれば苦しい時もあります。メンタル疾患の場合だと辛さをより強く感じてしまい 「このまま生きていていいのだろうか」 「生きる意味、生きる価値とはなんだろうか」 と自分を責める時というのが必ずあります。 「自分なんて生きていても価値がない」 そんな方に、僕自身も統合失調症という辛い病気を抱える当事者として苦しみに這いつくばってる皆さんに是非聴いてほしい歌があるので解釈を入れながら考察します。 曲と歌手は『ボクらの歴史/坂

          『ボクらの歴史』から読み解く絶望と挫折で這いつくばっている時に唯一打ち勝つ方法、希望について

          春を愛さない人

          春が嫌いだ。 過ごしやすく陽気なのは理解している。長く厳しい冬が終わり春の訪れを感じると心地よい。 でも、私は春が苦手なんです。 それは私の持病である統合失調症が大きな原因かなと思います。個人的に問題があるのです。 1番大きな要因は私が春に統合失調症を発病したからでしょうか。この病気の不思議な所は発症した季節がまた来る度に苦手だと言われる方が多いことです。私の場合はそれが、たまたま春でした。 体や脳が覚えているのでしょうか。22年前の春、私は精神科閉鎖病棟の隔離室にいま

          愛と恋の違いを考えた事ありますか?

          「恋はエゴか…」そう言うと常務は深く納得した様に宙を見つめていた。 次第に常務はご機嫌が良くなってきて酒も進み「恋はエゴ~!」と陽気に歌い始めた。 私たちはそんな童心のある常務を笑いながら楽しく飲み会を過ごしていた。永遠にこの時間が続けばいいと私は思った。 その日はそこにいるみんなが尊敬する常務の送別会だった。 私の尊敬する常務は左遷されて子会社に飛ばされた。体の中のエンジンがF-1のような馬力のあるビジネスマンで軽トラのエンジンを持つ私たちをF-1のエンジンでブルド

          愛と恋の違いを考えた事ありますか?

          他人の不幸を快楽にした結末

          昔話をします。 大学時代、もう10年も前の話ですが。私はフリーペーパー制作のサークルに所属して授業そっちのけでコラム制作や編集をしていました。 私は基礎疾患の統合失調症を抱えてましたが大学はストレスが少なくこの頃とても元気でした。 そのサークルに今回話す女の子の後輩が入部してきました。ここではA子と表現します。A子は愛嬌ある可愛らしい女の子でした。フリーペーパー制作のなので編集やイラストを担当していました。 その頃はどこにでもいるちょっと地味だけど愛嬌あるごく普通の子で

          他人の不幸を快楽にした結末

          夢を諦める資格さえなくても

          2021年のクリスマスイブの昼に僕は映画『フラッシュダンス』を観た。 映画はシンプルなストーリーで夢を諦めない事とそれ以上に夢を叶えることには、前に一歩踏み出す勇気が必要だという内容だった。私にはそう感じた。 私には結婚して7年になる妻がいる。イブの今日もフルタイムで働いている。商社の経営企画部なので責任がとても重たい。彼女は30代前半なのでそろそろ30の壁にぶつかってるだろう。私は30の壁は苦しみながら通過してる、もう40手前だ。 いい大人である私が昼間から30年以上

          夢を諦める資格さえなくても

          私は鬼軍曹に愛されていた

          隠す必要も、もうないだろう。 私は今、障害者雇用で働いており、持病の統合失調症で休む事がしばしばある。 今、現在治療で静養中だ。今日は体調も悪く家でじっとすることにした。お昼寝ができたら常連の喫茶店にでも行きたいけど。 私の生産性はかなり低い。ただ今の会社での頭の回転は私はかなり早い。みんなができない事を私はできる。イラレ、フォトショ、Web制作、ExcelマクロVBA、動画制作……。 うちの会社は総合職の営業マンばかりなので、このICTが得意な私は無双状態である。ちょ

          私は鬼軍曹に愛されていた

          ボヘミアン・ラプソディーがなぜ精神疾患の当事者にとって魂が震え共感するのか

          普通の人生を送ってたらわからないかもしれないが精神疾患の患者にとって療養とはすごくつまらなくて退屈なものである。精神疾患と言っても色々あり今の医学では治せる病気と完全には治せない病気がある。私の患ってる統合失調症という病気は後者にあたる。 そんな精神疾患の患者の一人である私も体調を崩し、とうとう仕事を休むことになった。この病気は天気や些細なストレスで悪くなりやすい。しかし療養と言っても基本お家でゴロゴロ休むだけだ。最初の症状が苦しい時は本当に何もできない、それこそお風呂すら

          ボヘミアン・ラプソディーがなぜ精神疾患の当事者にとって魂が震え共感するのか

          孤独な攻撃的自己愛

          私は統合失調症という病気を持っている。何度でも言うが統合失調症は「あるべきものがなくて、ないべきものがある」病気だ。幻覚、妄想、陰性症状などステージによって色々な症状が出る。 私は高校生の時に発症したが運がよく大学病院で3回の入退院を繰り返し社会復帰も早かった為、病気が進行せず早い段階で寛解したと後にドクターが教えてくれた。それでも残遺症状で苦しみ、色々なトリガーで症状がたまに再燃する。それでもなんとか就職し結婚もしてるわけなので社会生活は送れていると言えるだろう。 そん

          制限される趣味

          私は統合失調症という基礎疾患がある。毎回書いてると疲れるだがこの病気は幻覚幻聴の様な陽性症状と心にポッカリ穴の空く陰性症状がある。そして寛解と言われるほぼ治ってる状態と再発というまた症状が出ることがある。 この病気、陰性症状が辛く感情が失われ何をしても楽しくない、何もできない症状もある。しかし長い療養をしてるといつしか物事に興味関心を持つようになる。 それが趣味だ。 療養中のありあまる時間。いかにこの退屈と付き合うかが社会復帰の礎となる。 ここで述べるが私だけかもしれ

          使わない教員免許

          僕は統合失調症という基礎疾患を持っている。統合失調症は "あるべきものがなくて、ないものがある" 自分としてはこの表現がしっくり来る。 初期は幻覚や幻聴が出て、時間を経て寛解へと向かっていく。 統合失調症を発症して寛解した後に僕は教員免許を取るために教育実習に行った。 小さい頃からは将来の夢がなかった。ただ生きてくためには例え障害を持っていても働かないといけないよな、てことは思ってた。 大学は国語の教員免許を取るためだけに入ったようなものだ。それ以前に私は家庭教師も

          理解できないヒーロー

          数年前、調子が悪かったので緊急に予約を入れてなんばのメンタルクリニックに行った。 私は統合失調症という病気を持ってる為、定期的に薬を貰わないといけない。多くの病気は『全治何ヶ月』とか言われるが、この病気は『全治残りの人生』を覚悟せねばならない。もちろん、限りなく完治に近い寛解というのもあるのだが。 その話はここでは置いておこう。あの診察の日はすごく印象的に記憶している。とても寒い日だった。土曜のなんば駅はコロナ前で多くの人がみな目的地に向かって歩いていた。 大阪の人は田