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孤独な攻撃的自己愛

私は統合失調症という病気を持っている。何度でも言うが統合失調症は「あるべきものがなくて、ないべきものがある」病気だ。幻覚、妄想、陰性症状などステージによって色々な症状が出る。

私は高校生の時に発症したが運がよく大学病院で3回の入退院を繰り返し社会復帰も早かった為、病気が進行せず早い段階で寛解したと後にドクターが教えてくれた。それでも残遺症状で苦しみ、色々なトリガーで症状がたまに再燃する。それでもなんとか就職し結婚もしてるわけなので社会生活は送れていると言えるだろう。

そんな私は21歳の3回目の入院を最後にしばらくずっと36歳まで入院せず社会生活を送った。しかし2年前のこの年に15年振りの入院をした。

ただ、今までの入院とは種類が違い、仕事や家庭の悩みで療養したくなり、かつ自分がまた再発した場合の病院探しとして、そこまで体調は悪くなかったが精神科に入院した。

地元を離れ大阪の慣れない土地で入院するとなったらどこがいいか先に下見をしたかったのと、地元の両親も頼れず、また妻が少し発達障害グレーゾーンであったので私の看病が上手くできないという意味でも休養が必要だった。

体調を崩し誰を頼ればいいかわからなくなった私はその時パンクしかけていた。

15年振りの精神科への入院である。

他の人はどうか知らないが私は精神科に入院する時なぜかワクワクしてしまう。

新しい環境がどんな所か体験できるからだ。要は刺激が欲しいのだろう。

私が大阪で入院した病院はクリニックの先生の紹介であった。

家からは少し遠いものも信頼してるクリニックの先生の病院なら問題ないと思った。

今回の入院は心に余裕があったのと精神科の病院に慣れてるということもあり、精神科病棟あるあるの突然人が泣き出したり崩れたり人間関係でトラブったりという生活を第三者として見ていた。

入院して一週間で正直私としてはもう療養は充分だった。高額医療費制度を使って1ヶ月で退院する予定だったので残りの時間にウンザリした。

なるべく院内では人間関係を作らずトラブルのないよう目立たないようにしてたが、地獄の様な暇さである。

なので狙いをつけてコミュニケーションを取る人を探す事にした。

ある程度、数人と面識ができて喫煙所で世間話をし始めた頃、その人は入院してきた。50代くらいの恰幅の良い大河ドラマに出てきそうな男性と私は出会った。

所作や振る舞いで一発で頭の回転が速い人だとわかった。しかも少し違和感があった。芸能人とかによくあるオーラがあったのだ。

この人はおそらくすごい人なんだなと思った私は彼から色々な情報を貰おうとその人、Hさんと交流を持つようになった。

Hさんは私を気に入りよく話すような関係になった。とても良い人で頭の回転もやはり早く賢い人だった。

彼は巧妙だった。
私と出会って初期の段階で次の様な質問をしてきたのだ。

「今、困ってることや不満はあるか?」
「1日で3万使い切れと言われたらどう使うか?」

よく居酒屋トークで相手の力量を試す質問だ。私は無難に答え彼はそれで私の力量をおそらく確定した。普通の患者として判断したのであろう。

しかし、仲良くなってからの彼の話はある特徴がみられるようになった。

自分は誰もが知ってる有名企業にいた。
自分は簿記1級を持っている。
近くの雀荘によく行きランキング上位なので私は有名人だ。
個人事業を成功していたので自分は裕福だ。
自分は早稲田実業高校に合格した。

自慢話のオンパレードである。

しかも特徴があった。

「君は一流ホテルのスイートルームに泊まったことはあるか」「スイートルームとはな…」

「君が人生で食べた1番高いものは何か?」「私は叙々苑で…」

相手に質問してマウントを取り自慢話をするのだ。

自分はすごい。自分はお金を持ってる。自分は贅沢をした。

即気付いた。あっ、この人自慢話しかしない人だと。私はここでHさんと距離を置くようになった。

すると彼は豹変した。
なにかと攻撃的になり病棟内で見かけたら近づいてきて、けなして付き纏う。

彼に病名を聞くと統合失調症感情障害であった。

しかし私は彼が病気とは別に自己愛性人格障害の攻撃型じゃないかと疑うようになった。

ちなみに私は自己愛性人格障害の過敏型だと自分で判断している。正しいかどうかはわからない。だが彼が自己愛性人格障害の攻撃型で私が過敏型だと仮定すると辻褄が合うのだ。

彼の歪んだ自己愛で私は彼から遠ざかるようになったり、適当に相槌をうつようになった結果、彼は私への対応が攻撃に変わってきたのだ。

「君はヘラヘラ笑いながら話を聞く」
「君はお金がないから不幸だ」

何かとつけて攻撃するようになってきた。

なんとか院内で会うのを回避して私はこれ以上入院すると彼がストレスになると判断して少し予定より早く退院した。

退院の日、妻に迎えを頼んだのだが約束の時間になってもなかなか来なくて1時間くらい待っていたので私は「もうタクシーで帰ろうかな」と言った。すると、隣にピッタリいたHさんが「金持ちじゃないとタクシーは使えない、金があるなら早くタクシー会社に電話しろ」と迫ってきた。

「もう少し待ってみます、妻とすれ違いになったら嫌なので」と言った時、妻から電話がかかり渋滞で遅れてすまないけど病院についたよ、と電話があり僕が妻の元に向かった。それを確認した彼は怒った顔をして病棟に帰って行った。

彼の自慢話というのがまた稚拙で自分はすごい存在なんだの繰り返しでとても異常だった。

自己愛性人格障害の人は同じ自己愛性人格障害の人に近づきターゲットにして以上の様な事をする場合が多い。

自己愛性人格障害の人は自己愛性人格障害の人を見つけるのが上手くカモにするのだ。

こういうパターンの人もいるんだなと思いつつ私は無事退院した。

しかし、この話はここで終わりではない。

2年後、彼から電話が来たのだ。私たちは仲が良い頃、電話番号を交換した。話の内容を聞くと電話帳の整理をしているから一応電話してみたと。

私はお久しぶりですと話し当たり障りのない会話をした。その中で彼から提案があった。

もしまた入院してどうしても暇だったら自分に電話してくれたらお見舞いに行くと。私はわかりましたと返事して電話を切った。

あれだけ攻撃的で私が避けてたのも知りながら、最後は怒りながら別れたのにまるでそんなことは忘れたように彼は私に電話をかけたのだ。その事に私は驚いた。

しかしだ。
その時、彼がもし1日3万円使い切るなら何をするかの質問の彼の答えがその時何か繋がった。

彼は「友人を誘って奢りで飯を食べに行く」と答えたのだ。

そう、彼は孤独で不安なのだ。
しかし自己愛性人格障害の攻撃型ゆえに人間関係を保つのが難しい。

だから私にも、もし入院したらという話をしたのだ。

お金はあれど孤独なのだ。

彼は電話で先月また入院したと言っていた。

そうやって精神科病棟で孤独を紛らわし、良き人間関係を構築できる人をおそらく探してるのだ。

アドラーの幸せの3条件に、

1.自分が好きなこと
2.良き人間関係を作ること
3.社会に貢献すること

この3つがある。信じる信じないはあなたの自由だ。

これから類推するに彼は自己愛性人格障害攻撃型ゆえに良き人間関係が構築されていない可能性が高い。

そして自己愛性人格障害の根底には不安や自分の自信のなさがある。

それを埋める為に彼は自慢話やマウンティングをしてしまうのだ。それが原因で彼から人が離れていく。

私としてはターゲットにされて酷い思いをしたなと思いつつ彼がこれから自分を客観的に見れなければ同じ事をずっと続けることに不憫だと思った。

だがもう50代である。
彼は変わらないだろう。指摘してくれる人がいない。

あくまで仮定の話なのだが定期的に彼の事は思い出す。あれじゃ幸せになれないだろうなと……。

せめて両親や兄弟、進言してくれる友人がいればマシだが彼はそこを指摘されると恐らく逆上するだろう。

こういう人は精神科病棟でなくても社会にもたくさんいる。これらは体験してパターンを覚えてその人のタイプを見切るしかない。

悪い人ではないのだ。
それがパーソナリティ障害の難しい所だ。

私はとりあえず彼の電話番号はブロックせず、なるべく関わらないようにする方針にした。

何が彼をそのような人格にしたかわからないがこういう人は直感的にヤバいと思ったら反抗するか回避するしかない。

私は回避するようにしている。

人間関係の難しい所である。10年後、20年後彼はどうなるのかなぁと心配になることがある。だが残念な事に人生は一期一会だ。他人となった彼は私には忘れない記憶として残るのみだ。

あくまで仮定だが可哀想だ。
そう思うより仕方がないのだ。

孤独の辛さは私も知っている。精神科の隔離病棟、隔離室に4回ほど入ったからだ。

本当の孤独とは密閉された空間で寝ることと食べることと排泄を続けることだ。

隔離室は限りなく孤独だった。
一般社会におり、孤独というのはまだマシだ。無限の可能性がある。Hさんのようにお金に余裕はあるが孤独を紛らわせる為に精神科に入院するということは孤独が嫌になる瞬間があるのだろう。

孤独とは真の自分と向き合う時間だ。
自分が本能的にやりたい事、将来の夢、理想の生活。それをやる為にはどうすればいいか、どこで妥協するか、そして何を行動に移すか。

自分の行動次第で孤独はなんとでもなる。隔離室に比べたら孤独などなんともない

なので、私は今日も自分のやりたい事やルーティンをこなし抑うつが出たら充分休み、元気になったらまた自分のやりたい事をする。

そこには孤独の時間もあり、必ず孤独と向き合う様にしている。いつの日かHさんに自分の不安や自信のなさを共感できる、弱音を吐ける人が出来たらいいなと思う。

長い文章になってしまったが、Hさんも円滑なコミュニケーションを出来るように願い過ごす日々である。

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