見出し画像

悲しみの吐露

私は高校2年生に進級する頃、突然錯乱状態になりすぐさま精神科病棟の保護室に隔離され、何の薬かわからない向精神薬を飲んで精神科に入院した。父が医師である為私の変化に気づき即座に適切な治療を行われた。まだ昔の医療制度だった為に長期入院も可能だったので入院期間は7ヶ月ほどかかった。

病棟内では基本的に被害妄想程度しかでず、その度に保護室に入り。入院は長期化した。私の願いは高校に戻り留年しないことだった。私は進学校にいた為に高いレベルの大学に合格することに固執していた。当たり前だ。私はわずか小学2年生で大手の学習塾に通い、他の同級生が遊ぶ中ひたすら勉強し難関校の私立中学校に合格した。どこどこ中学を出ましたとかどこどこ大学出身ですというのはどこの幼稚園、保育園に行ってましたとたいして変わらないので言うが九州では有名なラ・サール高校だ。今となってはどうでもいいが。

寝食を惜しんで勉強していた。高校でも自習室で寝る時とご飯と風呂以外は勉強していた。1日7時間は自習室で勉強していた。
そう、勉強していた。男子校なので恋や青春を捨てて勉強をしていた。それが半年入院し留年が確定して、どうでも良くなった。無気力になった私を待っていたのは担当医からの退院の告知でした。ただ、適切で迅速な治療のお陰でほとんど統合失調症の症状は出ませんでした。担当医は適応障害か双極性障害が迷ったあげく統合失調症と診断したと後日聞きました。

その頃、父から当時教えられたのは"勉強以外何もしなくていい"だった。私は漫画もアニメもゲーム禁止された。遊ぶと両親に罵倒された。

私が小学生低学年の頃であろうか。周りのみんながやってるファミコンが欲しくて父に頼んだら私は鼻血が出るまで父に殴られた。私はわずか6歳くらいの子供である。

母は父の暴力がおそらく恐ろしくて庇ってくれたり守ってくれることも一切なかった。私は何か遊びたいと言う度に父に肉体的な暴力を受けた。私は子供部屋に逃げて布団を被って怯えながら泣くしかなかった。

今、私は39歳になり当時の父と同じ年齢になっている。子供がいないのでわからないがこの年齢で常習的に躾と称して5,6の幼い子供に暴力を振る意図がわからない。悪いことをしたのでなくただおもちゃが欲しいというだけで。

塾に行きだしてからはテレビも見ることを制限され「部屋で勉強しろ」と強要された。私の世代ならわかるが当時流行ってたセーラームーンや戦隊モノのテレビは一度も見た記憶はない。

知力でしか親は私を評価しなかった。親が世界の全てである私は勉強して高得点をとり親から褒められる事だけしか生きる意味がなくなった。

高校に入ったら食事後は部屋に閉じこもり勉強した。家の近くの学習塾は自習室が勉強が捗るので家から逃げるようにそこで勉強した。いい成績を取ると両親ともに喜んだ。私の生きがいはテストで良い点を取ることだった。その頃から死にたかった。

もうこんな家は嫌だと。

このコラムを書いてる2年前、私は両親を捨てました。金銭的自立のめどが立ったからです。私が病気になって少し変わりましたがあの人たちは根本は結局70歳を越えても変わりませんでした。アダルトチルドレンは親を捨てるしかないと私は自分なりの考えを確立させました。彼らには感謝や恩返しなどの感情は今だになく、殺意に近い憎悪しかありません。

でも合理的に考えていずれ歳を取れば死ぬし自分が刑務所に入るのも生き辛いだろと寿命で死ぬのを待っている段階です。絶縁した今は生死すらどうでもいいです。

父に大学は卒業して大卒は取れと言われてたいした試験もない芸術大学の文芸学科に入学しました。

この頃までは薬を飲み続けたのが良かったのか体調をコントロールしながら大学も行けました。薬のせいで眠すぎて講義は寝てましたが試験は高校で習った程度の試験だったので単位は簡単に取れました。それからクローズの社会人になってからストレス過多になり徐々に体調が悪くなっていき病気も進行してきました。

前置きはこれくらいにしときます。

憎い両親とも縁を切り、障害者雇用で長期休養でも雇用してくれる会社に入り、大学からの付き合いの妻と結婚して、子どもを育てる余裕はないので猫を飼い、我が子の様に可愛がり、老後の為の投資もわずかながら貯まってきて、リアルでもネットでも友人に恵まれ、何不自由なく暮らして、統合失調症の男性でこんなに恵まれてる人は少ないと思います。同じ病気の苦しみをしてる人を少しでも助けたいとブログやYouTubeをして支持してくれる人もいて私は。私は心にぽっかり穴があるのです。

何をしても埋められません。出来ることは全てしてきました。でも埋まりません。

私は過去にYouTubeで今を全力で尽くせと何度も言ってるのに心はぽっかり穴があるのです。だから毎日満たされない生活をしています。

どうしていいかわかりません。統合失調症の陰性症状なのか抑うつなのかアダルトチルドレンなのかそれともHSPなのか。ふと沈んちゃう時があります。

だいたいは生産性のない自分に不甲斐なさを感じることから始まります。そうすると両親へのメラメラと怨恨が脳を支配されます。この親じゃなかったら統合失調症にならなかったのにと。

でも自覚症状として恨んだところで現実と未来は変わらないと自分に言い聞かせ自分がやるべきことに考えをシフトします。でも、ふと気づいたら親への憎悪が沸々と湧きます。おそらくこれは親が死んでもこの憎悪はなくならないでしょう。

私もいい大学に入りいい会社に就職してエリートとして社会に飛び込みたいでした。おそらくそれができなかったのが私の最大の大きな穴でしょう。そして楽しくなく幼い頃から虐げられ本当は遊びたかった私の心の中にいるインナーチャイルドの嘆きも無数に蜂の巣のように穴が空いているのでしょう。

でもね。

辛くても失っても人は前に進まなくてはならないのです。死にたい程の絶望に打ち勝つのは希望しかありません。

私より当然、劣悪な環境におられる当事者の方も多くいるでしょう。でも、苦しみというのは人それぞれなのです。完全に理解することは難しいです。

心の穴。これはもう埋めることはおそらくできないでしょう。だから心に穴が空いたまま生きるしかありません。それは仕方ないことなのでしょう。私の統合失調症を情報発信も正直その穴を埋める為です。でも全く埋まりませんでした。

でも、私は生きることを諦めません。玉置浩二の『田園』の「生きていくんだ それでいいんだ」を大切にします。ビートルズの『Let it be』の「なすがままに まかせなさい」を信じています。

もしかしたらその先には希望があるのではと信じます。だから今日も生きるんです。死ぬなんて馬鹿なことを言ってはいけません。生きるのです。幸せになるのです。やりたいことをやるのです。noteを書くのです。

生きましょう。例え絶望で這いつくばっても生きましょう。多大なる困難でも希望を信じることが生きる糧となります。

人生は辛いです。でも辛さがないと人は幸せになれません。今回のnoteは私のアイデンティティーに関わる告白がメインでした。同情を誘うつもりはありません。私のnoteを見てる時点であなたにも心の穴がある可能性が高いからです。

夜の薬を飲む時間になってきました。ここからはリラックスして寝る準備をします。

明日起きて体調はいいかわからないけど、だけど少しでもいいことあるといいなと信じて寝ます。身の上話の長文を読んで頂いてありがとうございます。

全ての苦しんでる人が解放され幸せが訪れますように。今日も祈って寝ます。おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?