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使わない教員免許

僕は統合失調症という基礎疾患を持っている。統合失調症は

"あるべきものがなくて、ないものがある"

自分としてはこの表現がしっくり来る。
初期は幻覚や幻聴が出て、時間を経て寛解へと向かっていく。

統合失調症を発症して寛解した後に僕は教員免許を取るために教育実習に行った。

小さい頃からは将来の夢がなかった。ただ生きてくためには例え障害を持っていても働かないといけないよな、てことは思ってた。

大学は国語の教員免許を取るためだけに入ったようなものだ。それ以前に私は家庭教師もしてたし、選んだアルバイトも塾講師だった。

漠然と生徒に物事を教えるということが好きだった。

塾講師は楽しかった。何より楽しかったのは子どもたちが私を信頼してくれる瞬間だった。

私は塾の指導上、勉強ができるかどうかよりもその子の家庭環境を共感してあげることを重視した。なので勉強を教えるよりもテストの点数を取る汎用的なテクニックを教えて、後は雑談を重視していた。

この雑談に指導のヒントが隠されてるからだ。不安定な思春期に色々なことがある彼らの話を全部聞いてあげて「僕は君の味方だよ」と受け入れるようにしていた。教育とはまず生徒に寄り添う共感から始まるからだ。

そうでもしないと塾が楽しくなくなり生徒も来なくなるし、先生を信頼しないと宿題をしなくなったり親からクレームが入り指導にならなくなるからだ。

その自分で編み出した謎のテクニックで半年で僕は塾の担当生徒の数が一番多くなってた。月イチの学習計画を立てる時はめちゃめちゃ大変な量だった。

でも、どんなストレスがあっても子どもたちに授業するのはストレスではなく、むしろ癒やされていた。

バイトとサークル活動ばかりしてた私は大学四年になり事の重大さを理解した。

私は全く就活してないことに。でも教職コースもあるし、なんかあっても塾講師があるから大丈夫だろうと思っていた。

そして、大学四年で教育実習を三週間することになった。とりあえず母校に実習の打診をしたが進学校故に拒否をされた。ただ他を探してみてどこもなかったら来なさいと言われた。これは仕方ない。落第生だった私が私立の進学校に行っても私が授業についていけてかっただろう。

塾講師の繋がりで運がいいことに大学の下宿先から1番近い高校で実習を受けることができた。私は塾でこれだけ仕事ができてるから教育実習もキツイらしいが行けるだろうと覚悟を決めた。

実習が始まると私の体には異変が起きた。朝は6時に起きて7時には校門で生徒たちにおはようと声掛け。授業では色々な先生の授業を受けて報告書作成。授業が始まると授業準備と小テストの採点などで寝るのは夜の2時過ぎだった。相当ハードだったが若かったこともあり教育実習は順調に進んだ。

だが帰り道は必ず嘔吐しながら帰っていた。相当ストレスだったのであろう。だけど私は教育実習先にも大学にも自分が統合失調症であることは伝えなかった。それを言い訳にしたくなかったからだ。乗り越えてみせる。まだ私は若く学生で活力に溢れていたのだ。この頃の私は健常者と同じように働けると思っていたからだ。

最終授業は教員参観授業で古文の徒然草をして美大出身として紙芝居をして先生や生徒たちからとても評価が高かった。

最終授業の後、校長室に呼ばれた。そこには大学のゼミの教授もいて顔を見た瞬間号泣してしまった。緊張の糸が途切れたのだ。

最後の晩は若い先生らの提案で送別会をして頂けた。毎日弁当を彼女に作ってもらってたが私が料理が好きだと勘違いしてお祝いの品としてキッチンタイマーを貰った。努力が報われたようでとても嬉しかった。まぁ弁当に関しては彼女の努力なのだが。

思い出話は長くなってしまったがこれぐらいにしよう。教育実習は本当にハードだった。

そして、漠然と教師になりたいと思ってた私が教育実習で感じたことは

統合失調症で教員は難しい

という結論だった。
というのも私が主にやってた授業準備と授業は教員における仕事の30%くらいにすぎなかったのだ。他にも会議や研修、遠足や修学旅行の下見と予約とり。会議も学年会議から全体会議。それに部活指導。進路指導、成績管理……。

こりゃ潰れちゃうな

それが教育実習での感想だった。

統合失調症という病気は職業の選択に制限がかかる。対人ストレスが多い仕事は向いてない。漠然と教師なりゃいっかー、と思ってた私は教育実習で逆に教員にはなれないと気づいたのだ。

教育実習も終わり私は大学卒業後、教員免許を貰った。使わない教員免許を。

でもここまで辛いことをやり切った私の成功体験は喜びに溢れていた。

最終日の飲み会の帰り道、夜中チャリを漕ぎながら私は乗り切った充実感と夜風の爽快感で嬉しかった。とにかく嬉しかった。

仕事では全く使わないけど教員免許は私にも病気を抱えても教育実習を乗り越えたという自信がついたからだ。

教職を諦めた私はそのままバイト先の塾の社員になった。クローズ就労である。その話はまた次の機会に書いてみたい。

今現在の仕事は教員とは程遠い。障害者雇用で商社の総合職の補助をしている。でも私はあの時の教育実習の辛さに比べればと思い頑張ってる。

病気も進行してしまったが今の会社は解雇せず長期療養をしても雇ってくれている。

一見、教員免許は無駄に見えるが今の仕事でもコミュニケーションや仕事の説明、伝え方でとても役に立っている。

でも、本当は教員になりたかったなと思う。子どもたちに二度と来ない青春の大切さを教えたかったなと思う。10年前の話なのであの子らももう26,7歳だよなとぼんやり思ってる。もう会うこともないが。部屋の整理をしていると当時の資料を見つけて思い出してしまう。

僕は教師になりたかったんだろうなって。

でも病気でなれないものは仕方ない。

皆がやりたい事をやれる訳ではないのだ。

将来的には放課後デイサービスとかしたいなぁと思ってる。でもそれは未来の話。今は今の与えられた仕事、療養に精進しながらゆっくりと暮らす。それが私が選んだ今の生き方だから。

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