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悩みがちな自分が嫌いだった

私は極度の心配性である。

昔から物事を深く考えすぎる癖があって、人間関係が上手くいかなかったり、些細なことでも気にしすぎて前に進めないことがあったりした。

ここ数年は、そういった悩みよりも、漠然とした、将来への「不安」や他者と比較した時に感じる「焦り」の方が多い。

3年後ちゃんと生きているだろうか、とか、仕事がなくなって収入もなくなってホームレスになったらどうしよう、とか有り得ないようなことを想像して突然眠れなくなったりすることがある。

私はずっと、そんな、悩んでばかりの自分について、どうして私はこんなにいつも悩みごとがあるんだろう、と思ってばかりだった。

実際、将来についての不安感があることによって、早いうちから準備ができたり、色々な計画を立てた上で何かを実行できるから必ずしも悪いものではないのだと分かっていたのだけど。

友達は、いつも不安ばかり抱えている私を見て、「考えすぎなんだよ」とか「そんなに悩まない方がいいよ」と言ったりしてきた。

だけど、結局、「悩まないようにしよう」と思うと、悩む自分がいやになっていくし、考えなければ考えないで余計に不安が付き纏わってきて、私にとって「悩みがちな自分」から脱却するのは、かなり難しいことだった。

そんな「心配性」で「悩みがち」な自分と向き合い続けて、最近、少しだけ分かってきたことがある。

私は、「悩むこと」がすきなのかもしれない。「悩むこと」によって安心感を覚えているのかもしれない。ということ。

「心配性」や「悩みがち」な人に、「悩んじゃダメ」は通じないのである。

逆に、「悩んでいいよ」と、自分に許可してしまうと、案外楽なものだった。

極度の心配性は、自分だけでなく、他の人に迷惑をかけることもあるし、必要以上に自分を追い詰めてしまうことも有りうるから、必ずしも、全てがいいとは言い切れないのだけど。

心配したり、悩んだりすることは、それだけ物事に対して真摯に向き合っている、という証拠だ。

それに、そうすることで、他の人の痛みを理解することが可能になったり、見えない世界まで覗くことができるかもしれない。

考えているからこそ、広がるチャンスもある。

たとえ、それが自分の「短所」だと思っていても、ちゃんと探せば、「長所」も絶対にあるのだた。ダメに思えても自分を責めない。

そうやって自分を認めていけば、どんな自分だって、好きになっていけると思う。

悩んでいい。比べていい。
それは仕方のないことだから。

ただ、自分を責めない。自分を否定しない。

まずはそれだけでいい。

私はこうして、「悩みがちな自分」のことも愛せるようになった。

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