いまじん

21歳。女。 書きたい時に、書きたいことを。        ご連絡はこちらまで: im…

いまじん

21歳。女。 書きたい時に、書きたいことを。        ご連絡はこちらまで: imznwoodeye.works@gmail.com

マガジン

最近の記事

  • 固定された記事

選ばれなかった。そして、選んだ。〜高校時代に起きたパンデミックと、それからのこと〜

2023年4月。20歳。 私は、イタリアで暮らし始めた。 海外に行くことは中学生の頃からの夢だった。 外国の人と話すのが好きだったし、日本にはないようなフランクな関係性が憧れだった。 そんな私は、都内にある私立の中高一貫校に通っていた。 大学受験を考え始めたのは、中学2年生の時だった。 尊敬していた部活の先輩が通っているという塾に興味を持って、中学生ながら、受験間近の高校2年生に紛れて、推薦受験対策の塾に通っていた。 そこにはトイレの研究とか、ブロックチェーンの研究

    • 世界はそのへんに 01「ザンビアから来たお兄さん」東京・新宿

      とある金曜日の夜。西新宿の地下にあるとある劇場でお笑いのライブを観た帰り、無性にビールが飲みたくなった。 華金の新宿に、一人で飲めるバーはないかと思った。が、そういえば!と、とっておきの場所を思い出して、ビールめがけて早足で歩き出した。向かった先は「HUB」。赤いロゴマークが特徴の、英国風パブチェーン店。ついこの間、ポイントカードを新しく作ったことを思い出した。 地下につづく階段を下りはじめながら、ちょっと不穏な予感がした。ここに届くまでの声量、となると、かなりの人混みに

      • 世界はそのへんに 00「ルポ、はじめます」

        2024年、3月。 一年ぶりの山手線。地面の線の言う通りに、スマホをいじりながら待つ人たち。車掌のアナウンス。大きな水槽に放たれたメダカのように車両から溢れ出て、そして押し込まれていく人々。ドアが閉まる寸前で乗り込む集団の外国人たち。そこに静寂はない。いくつかの異なる言語が飛び交う。いろんな匂いがする。私はまだ、ヨーロッパのどこかの街にいるのかもしれないと錯覚した。 一年前の東京は、もういなくなっていた。 でも、私は高揚した。 ここには世界が増えているんだと思った。

        • ふふふ生活記録 ①

          今回は、筆者が「ふふふ」と思ってしまったさまざまな瞬間の記録をお届けします。 4月12日(金) 山手線で座って居眠りをしていた。ふと目が覚めたら新宿だった。車内は仕事を終えた人たちでごった返し、ぎゅうぎゅうの缶詰状態だった。すぐ前の「疲れきってます」という張り紙をつけて立っているOLのお姉さんのことを思って、目を閉じてまた眠ろうとしていたら、電話をかける男の話の中身が気になって、そうもいかなくなった。「すみません、予約の○○ですけど。電車が止まってしまってですねえ」と男。「

        • 固定された記事

        選ばれなかった。そして、選んだ。〜高校時代に起きたパンデミックと、それからのこと〜

        マガジン

        • 世界はそのへんに
          2本
        • イタリア生活記録
          16本

        記事

          桜が見れないとき

          桜の花は、ときに眩しすぎる。 それを見た人々は、おめでたいとか、きれいだとか呑気にそういうことを言う。 光をよけるために、そういうことにしたりすることもあったけど、やっぱりそれも苦しかった。 今はただ、遠くにいるあの人が元気でいてくれたらいいなとか、花びらの飛んでいった場所のこととか、何年も先のこの幹から見える世界のこととか。そういう、私が捉えれないような、遠いところのことを考えたりすることにしている。 呑気になる、というのはこういうことから始まるのかもしれない。

          桜が見れないとき

          もしも、の方

          なんかね、最近、選べないんだ。 もしかして、わたし、全部まちがえてきたのかな?とか、そんなことを思って、こわくなる。 いろいろ、選べないの。 選んだときの、選ばなかったほうの未来ってどこにいくの?とか、そういうことばっかり考えてる。 あっちを選んだ私はどうだったんだろう、とか。そういう、もしも、の欲が邪魔する。貪欲なんだ。 選ばなかったほうの未来は、もうどうにもならない。 そんなの、わかっているんだけど、わかっていない。 ないものばかり探してさ、ほんとにいやにな

          もしも、の方

          死にたい夜が明けていく

          記憶のかぎりでは、4歳くらいの時から、「ここではないどこかに逃げたい」という感情があった。それは、小学生高学年になるといつしか「しにたい」になっていて。そんな夜を何度も繰り返しながら、時間を数えて、夜を過ごして、どうにか日々を生きてきた。 昨年の春、外国にひとりで渡った。それも一年という中々の期間。いわゆる海外留学というやつだ。留学に行くと、人生観が変わる!とか聞くけれど、ピチピチの10代というわけでもないので、人生観が変わるほどの変化はなかった。 それでも、この経験のお

          死にたい夜が明けていく

          ただいま、あったかい便座

          ローマ発羽田行きの機内に入った瞬間、そこはもうイタリアではないような空気感がした。聞き馴染みのあるイントネーション。いつかはよく見た白の立体マスク。嗅いだことのある柔軟剤の匂い。こんなにも、というほどに、そこには沢山の日本人がいた。 それでも私は頑固に、イタリアをぎりぎりまで引きずった。玩具売り場で帰りたくないと喚きながら薄ピンクのワンピースが真っ黒になるまで床に這いつくばっていた小さい頃のあの精神はまだ健在なのだと自分で思った。 イタリア人の友人と出発する直前までイタリ

          ただいま、あったかい便座

          歯折って、心かためる

          思い返せば、その伏線は年末のあの日からずっと張られていたのかもしれない。 12月31日に熱を出して、フラフラの状態で爆竹が放たれまくるフィレンツェのヴェッキオ橋沿いを歩いた新年最初の日。が、そのあと2日ほどですっかり元気になり、シチリアにホームステイに出かけるも、またそこで咳が止まらないという未だかつてかかったことのない風邪を発症。自宅に戻ってから医者にもらった薬でなんとか完治し、学校に通う通常の生活を再開させた、というのがここ数日の話。 日本に帰るまであと2ヶ月もないか

          歯折って、心かためる

          トモダチ

          そういえばこの間、気づいたら珍しく朝方まで友達とパブにいた。友達といっても日本人。わたしと同じようにイタリアに留学中の子たちだ。 もっといろんなタイプの人と知り合う必要があるんだろうけど、現状、やっぱり特に同世代のイタリア人とはなかなか波長が合わない(合わせるのが大変だ)から、日本人と時々こうして集まってみると絶対的な安心感がある。朝方までチェントロで飲んだのはもしかするとイタリアに来て、初めてかもしれなかった。 そのうちの何人かは来月帰国予定だったので、みんなでイタリア

          あいがけクリスマス

          12月24日のクリスマスイブは朝6時に前日セットしていたアラームで目覚めた。眠気まなこにラップトップの光を浴びせながら、赤く燃えたぎったその画面にカーソルを合わせ、どうにかこうにかクリックした。 直前までせっかくイタリアにいるのに?という考えが過ぎったけども、留学中に日本のテレビをリアルタイムで観たらバチが当たるなんてのは聞いたことがなかったし、1ヶ月以内であればお金を払うこともなく電波の契約ができるということもあって、例の漫才大会とともにクリスマスイブを過ごすことに決めた

          あいがけクリスマス

          わるもの

          外国に住んでいるとこちらに在住の日本人と関わりを持つことがある。 自分のように学生という身分で留学にきている場合、と、たまたまパートナーができてしまったがために日本に戻るきっかけを失った、という場合を除くと、ある程度の年齢で外国で暮らしている日本人というのはけっこう変わっていたりする。 明らかに住みやすい国であればまた話は変わるが、私の今いるイタリアにおいては、日本での暮らしに違和感や居心地の悪さを感じて、仕事を辞めたりして、思い切って来てしまったなんていうケースが多い。

          小娘、高級ワインを知る

          イタリアで1年の4分の3を過ごした2023年。年越しを前にして、忘れられない出来事に遭遇した。それは、トスカーナのDOCGワイン(イタリア格付けワインの最高格)、Brunello di Montalcinoを初めて飲んだ夜のことである。 一ヶ月ほど前から予約していたそのリストランテでは、フィレンツェ名物であるTボーンステーキを食べることが本来の目的であったのだが、そのあたりの数週間、はじめてイタリアワインについて本気で勉強し始めていたことがあって、いつからかステーキ以上に美

          小娘、高級ワインを知る

          大人になる

          コロナ禍で二十歳を迎えた私には、世にいう「飲み会」の機会を失ったまま大学生活を過ごした。初めて飲んだお酒は年上の先輩がくれた、コンビニのジュースみたいな缶のお酒だった。 「お酒は20歳から!」の札が並ぶ冷蔵庫の前に立つのも、レジの年齢確認をお願いしますのアナウンスにもいつからか緊張しなくなって、バイト帰りの深夜のコンビニでお酒を買うのが習慣になった。 はじめていつものパステル色の缶から、黄金色の缶ビールを手に夜の街を歩いた日は自分が何か強い武器を持っているような気持ちにな

          大人になる

          未来も絶対に幸せだと思う、と友達が言った

          アイルランドでの旅を終え、今度は留学中の中学の友人、Aに会いに北欧を訪れた。 元はAと二人で過ごすつもりが、また別の留学中の同級生Bも同じタイミングで北欧にやってくることになったらしく、三人でAの部屋で過ごすことになった。 私は友人と会う時は基本1:1が好きで、グループ、つまり三人以上が得意じゃない。この話の連絡が来た時、ほんとのところ、二人同時に同級生に会える喜びと同時に、ああ三人か、と腰が重たくなった。 北欧は日中でも氷点下の気温。15時すぎには日が沈んでしまうため

          未来も絶対に幸せだと思う、と友達が言った

          リボリータを食べながら

          きょう、語学学校で日本人の友人が泣いていた。 友人といっても、私よりすこし年上のお姉さん。 ほんの一ヶ月前にミラノからフィレンツェへ引っ越してきた人で、新しい仲間が増えたと喜んでいたばっかりだった。 大家さんがすこし変わっていると聞いていたが、最近になって意地悪をされるようになったそう。 今朝は、あまりにもひどいことを言われてしまったようで、もう耐えられないから、と彼氏の住んでいるドイツに行くことを決めたそうだ。 彼女はミラノにいた時も、住んでいた家のルームメイトと

          リボリータを食べながら