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死にたい夜が明けていく

記憶のかぎりでは、4歳くらいの時から、「ここではないどこかに逃げたい」という感情があった。それは、小学生高学年になるといつしか「しにたい」になっていて。そんな夜を何度も繰り返しながら、時間を数えて、夜を過ごして、どうにか日々を生きてきた。

昨年の春、外国にひとりで渡った。それも一年という中々の期間。いわゆる海外留学というやつだ。留学に行くと、人生観が変わる!とか聞くけれど、ピチピチの10代というわけでもないので、人生観が変わるほどの変化はなかった。

それでも、この経験のおかげで「私はまだ生きていける」という気にはなった。

というのも、日本にはない価値観、特に都会で生きる中で触れることのないような価値観を目にして、これまで生きてきた、感じてきた、自分の価値観なんて他ではあんまり当てにならないんだ、と思ったからである。

東京で、日本で、暮らす中で当たり前とされていることが別の場所ではそうじゃなくて。それがいい、悪いは分からないけれど。他の考え方をする人たちがいる、というそれを知れただけで、だいぶ肩の力が抜けた。

ここではない場所があること、逃げられることを知っていることは、それを知らないのとかなりの違いがあると思う。そういう意味で、別に海外なんかでなくともいいから、とにかくちょっと、今いる場所ではないどこか、できればなるべく遠くへ、行ってみることは大事なんだと思う。

日本の都会暮らしに戻ってきて数週間。いろいろなことを感じて、考えて、いやになることがある。死にたくなる夜は、今でも時々ある。

それでも、逃げる場所がある、ここではない場所がある、というその考えは私を安らげる。それを思うだけで、私はだいじょうぶだと思える。知らないうちに夜が過ぎて、朝がやってくる。

生きづらさを抱えている、現代を生きているすべての人たちへ。   

だいじょうぶ。

ここではないどこかが、必ずあるから。

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