見出し画像

親のことがわからない

振り返ってみると、私は子供の頃から、親のことを親としてあんまり見ていなかったような気もする。三人でいる時はだいたい誰かが機嫌が悪くて。お互いに悪口言ったり、泣かせたり泣いたりで、この人たちってなんなんだろうな、と子供ながら不思議に思ったりしていたことがあった。

父親は私が目を覚ます少し前に帰ってきて、家にいないことが多かったから、一緒に手を繋ぎながら公園に行った記憶もなければ勉強を教えてもらった記憶もない。唯一あるのは、お下がりのガラケーをくれたこと。小学生の時の歴史の年号の覚え方を下ネタにして教えてくれたこと、くらいだ。

母は私を叱ることはそんなに多くなかったし、これをしろとか言ってくる訳でもなく、ママっぽいママではなかった。弟のことを一緒に育てた、みたいな、ある種ママ友的な存在に思っているところがある。それに、私が悩みを相談するというより母が「聞いてよー」と愚痴をこぼしてくることの方が圧倒的に多くて、年の離れた友達、みたいな感覚が強かった。

それでも一応、彼らは私の、唯一の「ママ」であり、「パパ」だった。

父は歳をとり、「俺の仕事で食わせてやってんだから」とか言わなくなったし、前みたくキレたりするほどのエネルギーもなくなったようだ。朝まで飲み歩いたりして遊んで帰ってくることはもうない。

母は足を悪くして、引きずるように歩くようになったし、何か新しいことを始めたら?と勧めても、あんまり賛同しなくなった。ママもいつまで生きてるか分からないから、というセリフを会話の端っこに入れたりしてくる。

通知の溜まった家族のLINEグループには、父からの都知事選のとある候補者のYouTubeの切り抜き動画と、母からのネットニュースのURLが続いていた。あ、私、この人たちのこと、全然分からなくなってる、と思った。一応は親だと思っていたけど、それ以前に彼らは一人の人間であり、他人だったことを思い出した。

彼らは変わる。なのだけど。その事実を受け入れることは、思っていたよりむずかしくて、けっこう辛かったりする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?