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世界はそのへんに 01「ザンビアから来たお兄さん」東京・新宿

とある金曜日の夜。西新宿の地下にあるとある劇場でお笑いのライブを観た帰り、無性にビールが飲みたくなった。

華金の新宿に、一人で飲めるバーはないかと思った。が、そういえば!と、とっておきの場所を思い出して、ビールめがけて早足で歩き出した。向かった先は「HUB」。赤いロゴマークが特徴の、英国風パブチェーン店。ついこの間、ポイントカードを新しく作ったことを思い出した。

地下につづく階段を下りはじめながら、ちょっと不穏な予感がした。ここに届くまでの声量、となると、かなりの人混みになっている可能性がある。行ってみるしかない。私はビールを飲みたいのだ。強い意志で、そのまま地下へ続く。

扉を開けると、想像通り。熱気がまずすごかった。店員のお姉さんはちょっと驚いた感じだったけど、「ひとりです」とイチの指を向けながら真顔で伝えると、角の立ち飲みのカウンターに案内してくれた。

ビールを手にして、早速ひとくち。西新宿というのもあるのか、年齢層は高めだった。グループでの来店が多く、会社帰りのスーツの人がほとんど。野球の中継を眺めながらのんびりしていると、ちょうどタイミングよく一人の男性が私の隣にやってきた。

私がちらちら見ていると、彼と目が合った。というか、合わせてくれた。「旅行しているの?」と英語で声をかけると、「え?」と聞き返され、もう一度ゆっくり同じフレーズを繰り返した。「うん、でもずっとホテルで仕事していて、今日は初めての夜だ」と教えてくれた。彼の英語は私にとって聞き取りづらく、たぶん彼にとっても同じなんだろうと思った。

ところどころ分からなかった部分はあったが、彼はザンビアから来てる人で、三人の男の子のパパであること、日本人と一緒にビジネスをしている、ビール好きのお兄さん、ということがわかった。結局そのあと2杯奢ってくれて、奥さんと出会った夜の話や宗教の話、お金の価値の話までしてくれた。

3杯目に入ってから、彼がだんだんと饒舌になってきているように見えたので、「酔っている(Are you drunk)?」と尋ねてみると、彼は返した。「酔ってるんじゃない、機能してるんだ(I'm not drunk, I'm functioning)」と笑いながら答えた。これは私も使おう、とすぐにメモした。


そろそろ帰ろうかな、と考えていたところで、彼がナイトクラブに行きたい、と言うので「外国人に人気のクラブ」をネットで探して、そこまで連れていくことにした。

入り口まで案内したら帰ろうというつもりだったのだが、その入り口がなかなか見つからなかった。エレベーターがあるのだけどそれは上の階に行くためのもので、地下に行くための案内がなにもなかった。唯一エレベーターの横に階段があったのだが、それはどう見ても従業員専用のものだった。彼はここから入れるよ、と言って扉が閉まる直前でドアノブを掴み、進んでいった。私もそれに続いていくと、後ろから別の外国人観光客たちもつられて入ってきた。

地下まで着きそうになったところで、クラブの入り口と思われる黒いカーテンの中から一人のスーツ姿の係員が出てきて、「何をしているんだ!」と険しい顔で尋ねてきた。私はまずい、と思ったが、彼はその状況をあまり理解していないようで、「ここから入れるじゃないか」とカーテンの奥を覗いた。「Get out!」と係員は強い口調で彼に向かって何度も、何度も言った。私は日本人だということがバレたら都合が悪いと思い、「ごめんなさい、案内がなかったので分かりませんでした」と英語で伝えたが、係員はすごい形相で私たちのことを見た。

私はどういう立場を取ればいいのか分からず、感情が宙ぶらりんだった。勝手に階段に侵入したのはこっちが悪いし、仕事として危険を防がなければならないのはわかる。それに、係員は英語がうまく理解できていなくて、そうすることしかできなかったのかもしれない。それにしても。と思った。

それから、私たちはクラブの正式な入り口まで案内してもらった。そこで私は、悪いけど、もう帰らなければいけないんだ、と打ち明けて、名残惜しそうな彼をセキュリティのところまで見送った。身分証を見せ、ものの数秒で荷物の中身の確認を終えた日本人女性二人組のあと、彼はパスポートを出し、身体の上半身、腰、お尻、脛のほうまで入念にチェックされていた。

彼はそのときどんな表情をしていたんだろう。係員に注意された時に「彼は僕に対してばかり怒っていたよな」と言いながら、怒っているような悲しんでいるような、そのどちらにも見える顔をしていたのが脳裏に焼きついている。知ることのなかった東京の一面を垣間見た夜だった。

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