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蒐集家、久遠に出会う 第三章 五、怒りに身を任せ

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 駅を出て道路を渡っていると、黒い煙が一方向から流れているのが椛にもはっきりと分かった。あれを辿っていけば、久遠研究所へ到着できるに違いない。空を見上げてどよめく人々を脇目に、椛は店の並ぶ道で足を進めていく。そして不意に、後ろから袖を掴まれた。
「あいつら、久遠研究所のやつらじゃないか?」
 白神が指差すのは、道の一つ先の角で固まる人々の姿だった。その中に二条を見つけ、椛は思わず駆け寄る。久遠にまず何か言おうとして、そばに立っていた女に要件を問われた。彼女が誰だったか悩み、追い付いた真木に久遠研究所所長の深志だと言われて椛は向き直る。
「今度こそ、二条くんのことでごちゃごちゃしている二人を、ちゃんと仲直りさせたいんです。二条くんを彦根さんに渡して、全部解決させます!」
 胸を張って決意を告げても、深志の顔は晴れなかった。彼女がちらりと見る彦根は、表情をなくして時々ふらつき、隣の林に支えられている。
「本当にそれで、騒ぎは収まるのでしょうか。それより今回のことで最も悪かったのは、私です。もっと事態へ誠実に向き合っていれば、ここまでの混乱は起きなかったでしょう――」
 所長は放心状態の彦根に目をやったまま、時々そこを手で押さえる。久遠のことで苦悩する彼に、寄り添ってやれば良かった。そして危うく、大事な所員を再び失うところであった。加えて二条の件についても、聴取のため部下たちに任せなければならない。思い詰めているような深志を、椛は何とか励ましてやりたかった。咄嗟に両手が彼女の手へ伸び、そっと包み込む。
「所長さん、これからなんとかしましょうよ! あたしもやらかしたけど、それを取り返したくてここにいるんですから! 同じことをもう一度やらなきゃいいだけです! まぁ、あたしはよく同じ失敗をするけど!」
 笑みを零した椛を、深志はじっと眺める。その目つきは、本当に自分を信じて良いのか不安に思っているようだった。
「深志さん、そろそろ聴取というのに応じなければいけないのではありませんか? 二条さんも気にしているでしょう」
 真木が所員たちに向き合う二条を見やって問う。頷いた深志が小走りに先頭を行き、椛たちもそれに続いた。爆発による火の手は研究所全体にまで及んだが、周辺に建物がなかったためそこへの被害は免れたという。有事に備えて駅や住宅地から離れた場所に建設していたのが功を奏した。そう深志に説明されて到着した久遠研究所では、消火作業が続いていた。はっきりと炎は見えないが、煙の昇る建物は骨組みが目立って痛ましい。真っ先に二条が煙の届かないぎりぎりまで迫り、変わり果てた施設の姿を呆然と見つめていた。
 近くで深志を呼んだ消防員が、他に事故の目撃者はいなかったか問う。所長はわずかに彦根を振り返ってから、彼には後で話をしてもらうと伝えた。そして彼女が離れた後も、施設の周りでは作業が続いていた。このままでは邪魔になりかねないと、真木が移動を勧める。彼女の後を「早二野」の面々や姫路たちが追う中で、椛はまだ突っ立ったままでいる二条の手を取る。
「ここなら心配しなくていいよ。一緒に行こう」
 椛が手を掴んで引くと、久遠は素直に足をゆっくりと動かし始めた。枯れた草の目立つ敷地を出て住宅の集まる辺りまで行き、ブロック塀で囲まれた建物の陰で集まる。既に空から明るさは消え、そばで街灯が光っていた。
「それで富岡さん、まず二人に言うべきことがあるんじゃないかな?」
 治に促され、椛は姫路と彦根へ謝罪する。そして二条が家を訪ねてからの経緯をざっくりと語った。久遠がどうも気乗りしなさそうだったので留め置いたこと、彦根へ連絡をしようと思って忘れていたことも正直に明かした。
「……それでずっと、二条さんと暮らしていたということですか。あなたは二条さんに、何かしたことはありますか?」
 姫路に問われて、今度も椛は率直に告げる。生前の二条元家へ囚われる久遠に、そこまで気にしなくて良いと伝えた。後ろの方で、真木の引きつり気味な声がする。
「椛、そんなことを言ったら姫路さんの目的は――」
「構うな、屋久島。どうせ人間と久遠の二条は別物だ。わざわざ姫路の思い通りにさせなくてもいいだろう」
 白神が鋭く制すると、それきり真木は黙り込んだ。ひとまず事情は分かってもらえただろうか。椛は彦根に向き合うと二条の背を軽く押し、約束通り引き渡そうとした。だが彦根はこちらへ手を伸ばしもせず、俯いて反応を示さない。二条の受け取りを、拒否するつもりだろうか。
「やっぱり君が悪いんだよ、富岡さん」
 背後で今度は治が、冷たく言い放つ。一度約束した時点で、彦根はそれを果たそうと心を決めていた。それを裏切られたのなら、受け取れないのも無理はない。
「そもそもなぜ、二条さんは富岡さんのもとへ来た? 君が呼び出したとでも?」
 治に問われて首を振り、椛は二条が勝手に雑貨屋へ来たことを思い返す。すると二条がシャツの胸ポケットから小さな紙を取り出して治に見せた。椛はそれを覗き込み、店の名刺だと気付く。二条にあげた覚えもないのになぜ持っているのか、レジ横に置かれていたのを取ったのか。頭が混乱する中、治の目つきが再び強くなった。彼にまた厳しく言われると椛が身構えた時、向こうから足音が迫ってきた。
「はいはい、さっきから様子を窺っていたけど、まだ富岡椛に非が全てあるとは限らないでしょう?」
 部下たちを伴う所沢が、治の肩を掴んで引き寄せる。戸惑う彼に、刑事は呆れたように息をついた。
「団体のリーダーに、そんなに悪く言わなくても良いでしょう。確かに間違いの指摘なんかはするべきかもしれませんが。それで、あなたが二条元家さん――の、久遠ですね?」
 二条が頷いた後、所沢は久遠が椛のもとへ来た経緯を確かめてきた。まず自分は二条にも、その作り手でもある姫路にも家の場所は教えていないと椛が言い切る。次いで姫路へ問いが入り、彼も椛の自宅は知らず、行けとも伝えてないことが明らかとなる。
「では、こう考えましょうか。二条さんは富岡さんが誘ったわけでもなく、自らの意思で彼女のもとを訪れた。どのようにして場所を知ったかについては、その名刺が参考になりそうですが」
 所沢がまとめていた時、急に真木が意見を発した。
「恐らく、刑部姫――椛の家にしばらく滞在していた久遠が関わっているのではないでしょうか? 姫路さんの知らない所で、二条さんに教えていたこともあり得るはずです」
「……はい。この名刺は、刑部姫に貰ったものです。彦根くんのもとではなく、別の場所へ行くよう言われて」
 ぼそりとした声で、二条がようやく真実を話す。所沢が久遠へ視線を合わせるように爪先で立ち上がり、よろめいて両足を地面にしっかりと付ける。
「あなたが刑部姫の指示に従ったのは、そうしなければならないと思ったからですか? それとも――自分でそうしたいと願ったのですか?」
 久遠はわずかに息を吸う音を立てて答える。「二条元家」でない自分が、生前の彼を知る彦根のもとへ行っても困るだけだ。刑部姫に聞いた椛のことも、いくらか気になってはいた。
「しかしこうして、皆さんに迷惑を掛けてしまいました。悪いのは全て自分です。今後は大人しく、彦根くんについて行きます」
 そうして二条は、斜め後ろで下を向いていた彦根を振り返った。名前を出された男はふらつきこそしなくなったが、いくらか体が震えている。そして突如顔を上げ、怒りを湛えた表情を露わにした。
「ついて行く、じゃない! 久遠の面倒を見てどうしろって言うんだ! そもそも、なぜ久遠は生まれた? なぜおれは、こんなことに翻弄されなきゃいけないんだ!」
 そのまま二条へ突っ掛かるかと思えた彦根は、隣から止めようとしていた林の襟を掴んで叫ぶ。
「林、所長に聞いたが……あんたは本当に、久遠なのか!? 人間じゃないのか!?」
 今にも首へ手を伸ばされそうな林を救うべく、椛と所沢が同時に動く。二人して彦根と林を引き離そうとする間、白神がどういうことか尋ねた。
「こいつは……林長時は、人間じゃない! 体のほとんどが機械で出来ている! 本来なら死んでいたはずの存在だ!」
 彦根は夜の町へ響かんほどの大声で、林が久遠に近いこととそうなった経緯を話す。命を保つために、所長の秘書は人間とは呼べないものになってしまった。彦根の両手を後ろに回しながら事情を聞いていた椛は、はっきりと理解の及ばぬまま林を見やる。そこに真木が動揺と共に告げた。
「それでは林さんは、人間としても久遠としても不完全だということですか? 社会に知れ渡ったら、倫理の面から論争になりかねません!」
「そうだ。久遠なんかなかったら、おれはこんなことに巻き込まれずに済んだ!」
 彦根が両腕を振るって椛の拘束から離れ、ブロック塀の方へ歩きだす。久遠研究所に関わらなければ、親友に対するショックを受けることもなかった。彼の問題を難しく考える必要もなかった。
「……こんな苦痛へおれを陥れた久遠を教えたのは、誰だ……?」
 呟いて彦根は、地面に転がっていたブロック塀の欠片を拾い上げる。割と大振りなそれを握る左手が、高く振り上げられようとしていた。
「久遠を知る道へ進めておれを苦しめたのは……あんただろ!? 二条さんよぉ!」
 わずかな瞬間に彦根は久遠の前へ移り、その右肩へブロックを何度も叩き付けた。やがてシャツを貫通して肌の部分にひびが入り、そこをさらに抉らんばかりに衝撃は続く。細かい部品が中から飛び散り、止めようとした椛も姫路も、近寄ることを周りに止められた。
「彦根さん、待ってください! あなたが傷付いた責任を、全て二条さんへ押し付けるつもりですか!?」
「だいたいそいつ、二条でもなんでもないだろう! 壊してなんの意味があるんだ!」
 真木と白神の訴えも聞き入れず、彦根は久遠の傷を深めていく。既に二条の右肩は内蔵された機械や配線が剥き出しとなり、いつ腕が取れてもおかしくないようだった。そこに所沢が背後から彦根へ腕を伸ばしかけたが、止まらない動きに隙を突けずにいた。代わりに言葉で彼を制そうとする。
「二条元家は、あなたの恩人なんですよね? その姿をした久遠を破壊することは許されません!」
「今の世界に、久遠を壊した罪に対する罰則はあるのか?」
 白神が投げ掛けた質問に、刑事は固まって答えない。それを嘲笑うように蒐集家は話す。
監査機関かんさきかんがしっかりしていないからこうなるんだ。おれたちにとっては、そのほうがやりやすいけどな」
 白神の言い終えた後も、二条は抵抗せず彦根の攻撃を受けていた。ついに右腕が落ち、音を立てて地面に転がる。その光景が涙で滲み、椛は咄嗟に声を上げた。
「お願い、お願いだから、もう壊さないで! 二条くん、早く逃げてぇっ!」
 久遠のもとへ駆けたくても、両脇から真木と治が阻んでくる。やがて二条が、破壊の音と重ねるように零す。
「……こうなるのは当然だ。やはり久遠なんて、誰にも教えなければ良かった。……ねぇ、彦根くん」
 その声色に、優しいものがあった。機械を思わせない発音の主が、慈しむように彦根を見る。破壊を行っていた男が、はっとして手を止める。そして息をついてまっすぐに、呼び掛けた久遠を見つめた。

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