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蒐集家、久遠に出会う 第三章 四、合流

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 ここよりずっと先にある久遠研究所へ、走って行くなど無理だ。追い付いた二条に椛は、電車を使うことを勧めた。何も持っていない久遠へ切符を買ってやる間に、白神が「早二野」の残る仲間へ連絡を入れた。二人も研究所の最寄り駅で合流することになるそうだ。
 電車の中でも、二条はずっと人の名を小声で呟き続けていた。隣に立つその肩をそっと叩き、椛は根拠さえなく励ます。
「大丈夫。大丈夫だよ、きっと。みんな無事だよ」
 それを聞いて二条は呟きをやめたが、まだ体は小さく震えていた。その様が人間のようだと、椛と共に久遠を挟んでいた白神が零す。
 着いた駅を出てすぐ、待っていた真木と治に出迎えられた。白神が事情を話し始めた時、二条は椛の脇をすり抜けて駅を離れてしまった。椛が止めようとするが、白神に制される。
「後で見つかるさ。どこに向かっているかは自明だろう?」
 それから全ての説明が終わると、まず真木が追及を始めた。和解に使われるはずだった二条の久遠を勝手に留め置いていたことを、厳しく批判される。
「白神さんにもぎりぎりまで話そうとしなかったんでしょう? 元はあんたがやりたかったことなのに、どうして妨害するような真似をするの?」
「そうだよ。君がより、問題をややこしくしているんだ」
 治が真木に同意し、わずかに椛の方へ足を踏み出す。その目は冷ややかに、こちらを射抜いてきた。
「人の助けになりたいなんて言いながら、迷惑を起こしている。やっぱり君は、『偽善家』じゃないか」
 嫌いな呼び方にも反発できず、椛は己に問い掛ける。なぜ二条をすぐに、彦根へ渡さなかったのだろう。すぐに連絡しなかったのもあるが、家へ泊まらせたのには理由があったはずだ。思い出そうとして頭が混乱する中、後ろで長いこと聞いていなかった女の声がした。
「仲間同士で喧嘩して、一体何があったの?」
 所沢が同じ制服の人々を数人引き連れ、改札を出る。彼女は椛と仲間たちを分けるように間へ入り、問い詰めていた者たちへ向き合った。
「ザワ、あたしたちがここにいるってなんで知ってるの?」
「刑部姫って人――じゃなかった、久遠に教えてもらったのよ」
 所沢は疲れたように、情報提供者との関わりを明かす。「早二野」が久遠の蒐集を行おうとしていたと聞き、国蒐構では捜査が始められていた。ひょんなことから刑部姫と知り合った所沢は、色々と今回の騒動にまつわる話を知ることになった。
「そしてこれは逮捕にも絶好の機会かと思っていたけど、それどころでもないみたいね?」
 背の低い刑事は、蒐集家たちをじっと見回す。思わず椛は、彼女へ手を合わせて頼み込んだ。
「お願い、お願いだよ、ザワ! まだ逮捕しないで! あたし、やらなきゃいけないことがあるの。あたしが約束を破っちゃったから、なんとかしたくて!」
 目元が熱くなり、膝は今にも地面へ触れそうだった。そんな椛を諫めるような仕草をし、所沢は立ち上がらせる。
「仕方ありません、あなたがたの騒ぎが解決してから、私たちも動くことにします。――そもそも今回の件は、国蒐構で裁かれるべきか微妙なものなのですが」
 狙っていた久遠の蒐集には失敗しており、その件で罪に問われる可能性は低いだろう。ただし厄介事を起こしたのは見逃せないと、刑事はじっと椛を凝視してくる。彼女の視線を背に受けている感じがやまないまま、「早二野」は移動を始める。まずは二条も赴いているだろう久遠研究所の状況を確かめなければならない。
「しかし所沢さんとも関わりを持つとは……刑部姫は何を考えているのでしょう?」
 椛の横で歩きながら、真木が聞き取りづらく疑問を発していた。

「何、周りが理系ばかりだからって、気に病むことはない。君だからこそ出来ることもあるよ。事務作業とか、どう?」
 二条はそうやって、駄目な人間だった自分に自信をくれた。作業が丁寧であることを、彼は褒めてくれた。優秀な兄二人との壁を感じ、「同志の会」にも馴染めなかった林長時は、二条によって居場所を与えられたのだった。ようやくそこでの日々を楽しいと思えた時に、深志はやって来た。
 組織の現状に怒り狂っていた姿もあって、初めは深志を恐ろしい人としか見られなかった。だが「研修旅行」で彼女は、真面目に組織の在り方と久遠の将来像を考えていたと分かった。そしてコンプレックスを打ち明けた自分になぜか女性用の髪飾りを買ってくれた、不思議な面を持っている。顔色が悪いと言われて日焼けを始めたという話も、面白いものだった。
 二条や仲間たちとは別の場所で、薬品の整理をしていた時にその事故は起こった。目を離していた隙に爆発が発生し、炎の広がりにどうすれば良いか分からなかった。せめて始末書は書こうと決め、大事な資料の入った鞄を取りに行った先で、机の上に置きっぱなしだったあの髪飾りが燃えそうになっているのを見た。
 慌てて掴んだ袖に火が移り、振って消火しているさなかも火事は進んでいく。防火扉へ駆け寄っても、押すのか引くのか分からない。加えて取っ手が熱く、触れられそうになかった。そうこうするうちに炎に囲まれ、逃げる余地もなくなる。手の中に髪飾りのあることが、なぜか唯一の安らぎだった。
 そしてぼんやりと、誰かが問うてくるのを聞いた。久遠になってでも生き延びたいかと。悲しそうな声の主が深志だったと知ったのは、目が覚めて病院のベッドに寝ていると分かった時だった。枕元にいた彼女へ、長く言おうとしていたことが口を突く。
「すみません、始末書は後で書きますから……」
「そんなこと、しなくて良い!」
 叫んだ彼女は、自分を許可なく久遠にしたことを謝ってきた。この体が機械だと言われても、まだ実感が湧かない。ただ生きていることを深志が喜んでくれれば、それで良いようにも思えていた。
 責任を負うと決めた深志の求婚をその場で受け入れて夫婦になった後、自分は周りとは違うという感覚が抜けなくなっていた。元から人付き合いは苦手だったが、人間とは馴染めない感じがある。久遠だから彼らと真に分かり合うことは出来ないと、心の奥で信じているようだった。
 遠くで何かのはじけるような音を聞き、林は目を開けた。喫茶店の中では、同じく外に異変を感じ取ったような人たちが軽く騒いでいる。卓上に置いた冷め切った飲み物を口にし、ここで深志に待てと言われてどれくらい経ったか考える。
 もう彼女は、自分のことを彦根に話したのだろうか。今後あの友人とどのように接すれば良いか分からない。少なくとも嫌われることは覚悟している。隠し事がなくなるのは気楽だが、これで本当に心は晴れるのか。
 何やら店の外でも、人々が落ち着いていない。気になって自動ドアを抜け、林は黒い煙が空へ薄く漂っているのを捉えた。その発生源を目で追い、思い当たる方向に身が震える。席へ戻って荷物を取り、再び店を出たところで深志と彦根がこちらへ来るのを認めた。彦根の足取りは覚束ないもので、腕を引く所長に支えられている。
 深志が話すに、研究所で何らかの原因により爆発が起きたという。休みだったので人的被害は想定されないものの、火の勢いが強く久遠製造用の部品は全て焼失しているだろうとのことだ。二人の無事に胸を撫で下ろし、林は恐る恐る尋ねる。
「彦根さんには、全部話しました?」
「ええ、その結果がこんな状態」
 彦根は今のやり取りも耳に入っていないかのように呆然としている。目は虚ろで顔色はいくらか悪く、深志が腕を掴んでいなければ倒れそうだ。さすがに自分の事情は、すぐには受け止め切れないだろう。
「ごめんなさい、彦根さん。今まで大事なことを、ずっと黙っていて。すぐに認めてくれないのは、わかっているけど――」
 そこから先は、林もなかなか言葉に出来なかった。しばらくの沈黙があった後、本当に久遠なのか彦根に掠れ気味の声で問われる。それに答えようとした時、髪も肌も白い姿がこちらへ走って合流した。
「皆さん、無事ですか!? 研究所で何が――」
 火事のことを知ってやって来たと思われる姫路に、深志がざっと事情を伝える。彼女はこれから、消防の職員らが求める聴取に応じるらしい。現場にいた人物として彦根も連れて行こうとしていた所長が、まだまともに話せそうにもない彼を見て断念した。落ち着いたらまた、彦根には聴取に加わってほしいという。
 そこに聞き慣れない着信音が鳴り響き、やがて姫路のスマートフォンによるものだったと分かる。彼は通話を受けて驚きを示した後、すぐに端末を仕舞った。
「今、刑部に聞いた。二条さんが今、こちらへ向かっている。ずっと富岡さんの所にいたとかなんとかで」
 富岡とは、一度研究所へ来た客だったか。なぜ二条の久遠がその人のもとへいたのか怪訝に思いつつ、深志に久遠へ会うか尋ねて断られた。
「時間がありません、私は聴取に行かなければならないので。二条さんのことを二人に任せなければならないのは、申し訳ないのですが……」
「なら所長の代わりに、わたしが解決を手伝いますよ」
 謝る深志に、林はすかさず言う。事件の現場を報告することも、所長の大事な仕事だ。そして自分は秘書なのだから、彼女を手伝わなければならない。目を瞬かせていた深志は頷き、研究所へ行こうとしてすぐ足を止めた。
 ちょうど彼女の向いた方向から、二条が走ってくる。顔立ちこそ若いが、明らかに彼だと判断できる。自分たちのもとへ辿り着いた久遠は、息は切らさずとも疲労を湛えたような顔で、こちらの無事を確かめてきた。

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