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蒐集家、久遠に出会う 第三章 一、もっと気楽に

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 その男は病室のベッドから身を起こし、広い窓の外をどこともなく眺めていた。規定の入院服から伸びた腕は痩せ、全体的にも細身な印象を受ける。一度目の闘病を経て健康にはかなり気を遣っていたという彼も、再びの病魔から逃れられなかった。
「姫路君は、元気にしている?」
 事前に言わず訪ねてきたことも驚かず、二条元家は笑って問い掛ける。創造主の留守中に黙ってこの病院へ侵入した刑部姫は、部屋の隅にあった椅子を取ると枕元に置いて腰掛けた。しばらくたわいのない話が続き、やがて二条は呟く。
「やっぱり君とは話しやすいな。人間じゃないからかな」
 姫路も知らなかった二条の本心を知ったのは、あの時だった。世間の反応を恐れて人を避けていた男は、自分に対してはいくらか緊張を解いているように見えた。手元で小さな破裂音がして、刑部姫は回想を中断する。年が明けて二日目の今日も、姫路は久遠を探してこの研究室にいない。いよいよ明日が捜索の期限だということで切羽詰まっている。
 壁の時計を見上げてまだ昼前だと気付き、刑部姫は作業を続ける。先ほどから小規模な爆発を起こすための実験を繰り返している。今の例では威力が物足りないが、へまをしてこの部屋を吹き飛ばしてはいけない。謝っても「父」には許してもらえないだろう。
 姫路に、二条とは一度しか会っていないと言ったのは嘘だ。本当はちょうど一年ほど前、入院した名付け親に人間への恐怖を詳しく聞いたのだった。姫路に疑問を覚えるようになったのは、そこからだ。久遠の自分には気安く接する二条に、どこまでいっても己は人間ではない存在なのだと思い知らされた。
 姫路が二条を模した久遠を作ろうとした時も、刑部姫は反対した。人間と久遠は別物だ、久遠にしたところで二条は生前と同じとは言えない。だが姫路は、少しでも二条の思いを叶えることに意義があると言って聞かなかった。それが今ではあの様だ。期限が迫る中、絶望は深くなっているかもしれない。
「……ばかな人」
 口周りが緩み、刑部姫は浮かんだことを口にする。姫路は夢を見ているだけに過ぎない。久遠がこの世界でも、人間のように活躍すると願っている。久遠と結婚する人間も出るはずだと大真面目に語ってもいた。
「確かに人間と久遠には根本的な違いがある。それもきっと、将来には乗り越えられる」
 そう意気込む姫路にどうやって越えるのか尋ねたが、答えはなかった。一層、彼が信じられなくなった。反感がくすぶっているのになぜこの雑多なアパートに留まっているのか、刑部姫はふと考える。なぜ愚直に「親」の指示を受けて、「早二野」を探りに行ったのだろう。久遠の存在さえ知らなかった彼らを巻き込んで、自分は何をしたかったのか。数日前の早朝、物音を気にしながら日差しが注ぐ下へ出て行った久遠の姿が蘇る。あんなふうになれたら、どれほど気楽だろうか。
 懐で着信音が鳴り、刑部姫はスマートフォンの電話に応じる。恐らく向こうの固定電話からでも掛けているのだろう。懐かしい久遠の声に、富岡家での生活はどうか聞いてみる。同居人が不思議な人だとの言葉には、刑部姫も思わず納得した。彼女のように愉快でありながら正義感が厚く、好きに生きている人間は他に何人いるだろう。
『……それで、その人がきみと同じようなことを言ってくるんだ。やりたいように生きろって。でもわたしには、何をすれば良いのか分からない』
 抑揚の浅い聞き取りづらい声が、さらに萎んでいく。
『あの人の言う通りにすれば、わたしはかつての二条に反して――』
「いい加減、そう考えるのはやめなさい。富岡さんだって嫌がるでしょう」
 言葉を素直に受け止めれば良いのに、この久遠はどうも同じ名前の人間に引っ張られている。今度は生前の部下――勝手に約束を破って迷惑を掛けてしまった姫路や彦根はどうしているか問われた。姫路は必死の形相で、二条を探している。彦根の顔は最近見ていないが同じだろうと伝えた。
「まぁ、明日で捜索も終わるみたいなので気にしないでください。ずっと富岡さんと仲良く暮らせば良いじゃないですか」
 相手が黙っているのでこれ以上の話はないと判断し、刑部姫は電話を切る。通話時間の表示された画面を見つめ、胸部から喉を通って深く息が漏れた。

 不器用な自分と違って、二条はなかなか手際が良かった。料理中の苫小牧を彷彿とさせる動きで、久遠は居間のテーブルで髪飾りを作るキットを組み立てている。小さく切ったちりめんを折ったパーツを長めのヘアピンに貼り付けるのが、椛にはなぜか上手く出来なかった。結局放り出したつまみ細工を、二条は苦労のないように完成させた。
「……これに似た髪飾りを付けた人がいたんだ。彼には、つらい思いをさせてしまったよ」
 花飾りが可愛らしいヘアピンを見て、二条は零す。その男はある悲劇によって、「人間」という機構をほとんど失われてしまった。彼を人間たらしめているのは、昔の記憶だけだ。
「その人、久遠研究所にいるの?」
「ああ、多分今も。幸せにやっていけていると良いけど……」
 椛に答えても顔を明るくさせず、二条は片付けを始めた。その間に椛は椅子を下りて戸棚へ向かい、前に渡したものと同じ銘柄の瓦煎餅を取り出して久遠へ渡す。開けた一枚を齧ってみたが、今度は買ったばかりで湿気ていなかった。
「にしてもさ、二条くんは器用だね! その髪飾りも上手だよ」
 椛が自室でたまたま見つけた、いつどこで買ったのかも分からない制作キットが、今やテーブルの上で本来あるはずだった形で佇んでいる。それを見返した二条の頬が、ふと緩んだように椛には見えた。
「……今度は一から作りたいな。自分でちりめんを選んで切って、髪飾り以外にも何かを」
「そうそう! その調子でどんどん、好きなことをやろうよ!」
 使った道具を一通りまとめ、最後に髪飾りを取ろうとしていた二条の手が止まった。何があったのか、椛はじっと久遠の発言を待つ。
「生前の二条なら、こんなこと――」
 小声での言葉はすぐに途切れた。ようやく自分がずっと言い続けてきたことを、受け入れる気になったのだろうか。だがそこまで久遠の二条がこだわる相手とは、どんな人だったのか。椛が聞くに、どうやら人間を恐れていた人らしい。久遠が社会に溶け込むよう願いながら、それも正しいのか悩んでいた。簡単にそう語った二条が、まだテーブルに置かれたままの瓦煎餅を見やる。
「『自分』のことを他人のように話すのは奇妙だ。わたしは――」
「だから二条くんは、その……二条さんじゃないんだって!」
 こうして久遠に言い聞かせるのは、もう何回目だろうか。癖というのはなかなか直らないようだ。自分も寝坊や遅刻が多いと思いつつ、椛は二条の向かいにある椅子へ再び座る。
「……富岡さん、きみには尊敬する人がいる?」
 二条から唐突に問われ、椛は真っ先に「天使」を思い浮かべる。自分を蒐集家の世界へ、魔法や久遠について知るきっかけになった場所へ導いてくれた恩人のことは、二度と忘れない自信がある。その顔がすっかり記憶にないことは除いて。
 あの「天使」に憧れて、蒐集家になった。ただ人を助けるために、何を言われようと動いた。今も「天使」は、自分がそうされたように誰かへ希望を与えているだろうか。
「もしその人が、きみの思っていたものと違う一面を持っていたら、どうする?」
 またも二条の声がして、椛は考える。あの夜に出会った「天使」のイメージは、優しくてかっこいいヒーローだった。二条の言う通り、本当の姿がそれと大きく異なっていたとしたら。
「……ぜんぜん、想像できないや」
 すかさず椛は告げた。頭は全く働かず、ペンダントを届けてくれた頼もしい姿しか再生されない。「天使」はいつも、人のために親切なことをして過ごしていると勝手に思っていた。それ以外の様子など、一つも浮かんでこない。
「かつて二条元家を慕っていた職員たちも、そうだろう」
 椛から目を離さぬまま、久遠は椅子に背を預ける。生前の二条は、周りへ彼が持っている恐れを明かそうとしなかった。日記でも見られようものなら、弟子たちの失望は確実だ。そして久遠の二条は、日記にあった故人の弱みを再現して動いてきた。
「もう既に、わたしがいることで二条元家の弱さは――彼の隠したかったことは、知らしめてしまったのか?」
 声を震わせる二条の肩に、椛は手を載せる。そして卓上の瓦煎餅を差し出して指摘した。
「また二条さんが出ているよ」
 久遠は肯定も否定もしなかった。ただ俯いて、己を反省しているようだった。

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