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蒐集家、久遠に出会う 第三章 二、速報

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 年が明けて三日目になり、椛は朝から雑貨屋を開けた。ずっと昔に母が作ったエプロンを着て、二条が椛のいるレジの横で立つ。今日も二条を目当てにして訪れる客がいるだろうか。もちろん客が増えるのは嬉しいが、同時になぜか悔しさを覚えて、椛は横目でちらりと久遠を見た。
 二条は相変わらず、スムーズに作業をしている。客の質問には丁寧に答え、レジを操作する動きも速かった。そして購入者からの反応も良く、かっこいいだの男前だの言われていた。
「いえ、わたしには性別など――」
 久遠が相手を困惑させかねないことを言いかけたのを聞き付け、椛は整理していた棚を慌てて離れ、レジに向かう。
「でしょ!? 二条くん、かっこいいですよね! お仕事もちゃんとやってくれていて、あたしも助かっているんです!」
 手の止まっていた二条から品を取り、会計が合っていると確かめて椛は客へ渡す。その人が去ると、店は静かな空間に戻った。通路も人が一人しか通れないほど狭く、中央のテーブルや壁際の棚に、雑貨が種類問わず適当に並んでいる。もう少し客が使いやすいようにすべきではないか、真木にも昔叱られたことをぼんやり思い出していると二条の声が聞こえた。
「わたしは、わたしらしく……『二条元家』に囚われないで生きられているのだろうか?」
 先ほど性別の件で困っていた久遠は、生前の二条が持っていた性を伝えようとしなかった。それが久遠として生きることなのだろうか。少しずつ二条は、人間の二条から離れているように椛は感じつつある。いずれは二条元家という人のことなど頭から離して、気楽にやっていってほしいが。
 あっという間に夕方となり、そろそろ店を閉めようかと椛は外へ出た。そこに道路の角を曲がってくる、今年になって初めて会う「早二野」の仲間を見つけて手を振る。白い厚めのコートを着た白神は、ブーツの足音を響かせてこちらへ駆け寄ってきた。
「ここで合っているな? まだ店はやっているか?」
「もう少しやるつもりだよ! 白神くん、どこであたしのお店を知ったの?」
「前に来ただろう? 店には入ってないが、ライニアへ行く前にきみの家で待ち合わせていたじゃないか」
 ややあって、椛はぼんやり思い出す。真木に荷物を精査され、治に怖いことを聞いた気がする。とはいえ詳細は曖昧なまま、店内へ白神を案内する。レジにいた二条へ、客が真っ先に目を付けて誰か尋ねた。不意に肩が震え、息の浅くなる中で答える。
「えっとね、最近入ってきた新人さん! あたしよりしっかりしてるんだ!」
「店員を雇っているってことは、給料を払う余裕があるのか?」
 そう言われて、雇用したからには義務があることに今さら気が付いた。最近は売り上げも増えてきたが、果たして自分の生活費がなくならないだろうか。名前を教えなかった久遠を、椛はそっと遠目で窺う。
 対して白神は新しい店員など忘れたかのように、店内をゆっくりと一周し始めた。やがてレジの近くにある棚の前で突っ立ったかと思えば椛を呼び止め、並ぶ二つの棚を手で示した。
「ここからここまでの商品、全部くれないか?」
 それは大金持ちが発する台詞ではと突っ込みかけて、彼が本当に裕福な家の出身だったと思い出す。住んでいる自宅も椛のそれとは比べ物にならないほど大きく、しかも都内で高級住宅地と呼ばれるような場所にあるらしい。上から下まで様々な品のある棚を見つめ、椛は確認する。
「本当にこれ、全部買うの?」
「売り上げは少しでも多いほうがいいだろう? きみは生活に困っているって屋久島に聞いたんだが」
 今は「七分咲き」のおかげで何とかなっていると伝え、椛は一度の買い物で空になるだろう棚を睨む。これらの商品がなくなれば、仕入れのためにしばらく店を閉める必要がありそうだ。様々な場所へ交渉に行っているが、これが骨の折れる仕事なのだ。かといって白神の思いを無駄にしたくもなく、椛は悩み続けていた。
「きみが買うものは、本当に必要ですか?」
 思わぬ声がして、椛は白神の方を向く二条を見やる。買っただけで満足しては、雑貨たちも喜ばない。そう告げて店員は、相手の返事を待つかのように黙り込んでしまった。
「……そうか。そういう考えも、悪くないな」
 小さく呟いた白神は、丁寧に商品を見た後に厳選したものをレジへ置いた。二条による会計を見守り、とりあえず急いで仕入れに行くことはなさそうだと椛は安堵する。大きなエコバッグに品を詰め込んだ白神は、まだ帰らずに片手でスマートフォンを器用に操作しだした。
「そういえば、気になる情報があるんだった。『新世界ワイド』に載っていたんだが……」
 白神が椛へ突き付けた画面には、前にも見た覚えのあるニュースアプリの見出しがあった。二条元家という久遠が脱走し、捜索の打ち切り期限が迫っているという。
「これ、彦根たちが騒いで問題になっていた久遠じゃないか?」
 暖房は付けているのに寒気が走り、椛は背が冷たくなるように感じた。自然とレジの店員から目を逸らし続けたくなる。「七分咲き」で話し合いがあった後に彦根たちと連絡は取ったか聞かれ、素早く首を振る。彦根に二条が自分のもとへ来たことを伝えようとして、すっかり忘れていた。
「彦根の電話番号を知っているのはきみだけだろう? ちゃんと確認しておけ。きみから和解させようって言い出したんじゃないか」
 椛は唇を引き結び、やっと二条へ視線をやることが出来た。無表情なのは、いつものことだったか。
「まだ二条が渡っていないとなると、彦根たちは和解できていないのか? だったら、改めて方法を考えないとな」
「……白神くん、手伝ってくれるの?」
 救いの言葉に、椛は思わず爪先で立ち上がる。白神は上に寄り気味の瞳でこちらを一瞥したかと思えば、頭を軽く掻いた。
「困った人を助けたいって、言ってただろ。そんなことを言われたら、こっちは反対できない。おれだってきみには助けられたからな」
 自分がいなかったら、やりたいことに気付いて今のように蒐集を続けるなど出来なかった。口ごもり気味で聞き取りづらい白神に近寄ろうとして、今度は相手が大声になったことに椛は前へつんのめりそうになった。
「まずは久遠の二条を探そう。揉めている要因のあいつがいなきゃ、何にもならない」
 レジの机そばにぴったりといたはずの店員が、壁際へ足を進めている。その思いを何となく察し、椛は白神の袖を引っ張って話を変えた。
「そういえばさ、なんとか会に盗まれちゃった実家のものだっけ? あれはどうなったの?」
 突然の方向転換にも焦らず、白神は淡々と答える。
「ああ、一部の蒐集家や団体からはいくらか取り返してきた。だがやはり、国蒐構が強敵だな。あの刑部姫には、きみから何か言えないのか?」
「……近ごろもその品を入手するために、外へ出たというのですか?」
 いつの間にか間へ割って入るように立っていた二条に、椛も白神も戸惑いを隠さなかった。近くにいることで久遠であることがばれないか、椛の鼓動は速まる。
「まだ感染症が猛威を振るっています。今の時期はむやみに外出をしてはいけません。人間は何より、健康が第一です」
 二条は真剣な面持ちで、にわかに再拡大を見せた病の脅威を警告する。発する語の一つ一つに重みがあり、こちらを強く心配していると椛にも分かる。自分たちには苦しんでほしくない、そんな思いが全身に響くようだった。
 呆然としていた白神が、店員へ名を問う。二条元家だと、久遠は正直に明かしてしまった。
「二条って……例の久遠じゃないか」
 驚く白神は、続いてなぜその存在を黙っていたのか怒るだろうか。ぴりぴりしたものを肌に感じ、椛が目を瞑ろうとした時にスマートフォンの通知音が鳴った。白神が持っていた端末の画面を開いて息を呑む。
「……速報だ。久遠研究所で爆発があったって――あそこ、今の騒ぎにも関係ある場所じゃないか」
 白神が言い終えた直後、二条が着ていたエプロンを投げ捨て、店を飛び出した。どこへ行くのか椛が問うている間に、久遠の姿は消える。椛が扉から顔を出すと、二条は近くに駅がある方への角を曲がろうとしていた。
「あの様子じゃ、狙いは久遠研究所だ。追うか?」
 椛は頷き、走りだろうとして白神に戸締まりを求められ、彼を先に行かせる。そして日の暮れゆく道を駆ける二条の背に続く。風に乗って、二条が姫路や彦根、深志に林といった名を呼び続けるのが椛の耳に絶えず入っていた。

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