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蒐集家、久遠に出会う 第一章 一、怪しいプレゼント

 昼の営業を前に、小料理屋「七分咲しちぶさき」の厨房では作業が続いていた。女将の苫小牧菖蒲とまこまいあやめが今年から始めたというテイクアウト専用の総菜作りを、富岡椛とみおかもみじも手伝っている。アルバイトとして雇われて一ヵ月は過ぎたか。指示されて鍋に水を張り、火に掛けて沸騰を待ちながら、椛はここで働いてきた日々を思って口元を緩ませた。
 二十四年の人生で、これほどまでやりがいのある仕事など初めてなのではないか。就職せざるを得なくなった時以来、職場というものには恵まれてこなかった。だからこそ、苫小牧にちゃんと褒められてしっかり給料も貰える今の仕事には、感謝と喜びが湧いて収まらない。何より、失敗してもそう怒られないのが良い。
「富岡さん、また作業が止まっているわよ。材料を切ってくれる?」
 後ろから苫小牧に言われて、椛はコンロの前に突っ立っていた身を隣の作業台へ移す。用意された食材を切って炒め、今日の献立である肉じゃが作りを進める。なかなか店内で集まっての飲食が難しい今、ここの総菜は客が夕食の一品追加用にと買ってくる人も多い評判の品だという。昼には夜の営業についての案内はどこにも記されておらず、何も知らない者は夜に蒐集家しゅうしゅうかが集うことも知らずにいるらしい。うっかり夜の店に入り込んでも、大抵の一般人は蒐集家の物々しさや聞き慣れない話に怯えて、すぐ帰っていくそうだ。
「でも『早二野はやにの』には、そんな雰囲気はなさそうね。どこか緩い感じというか。あまり蒐集家以外には、ここのことを深く知られてほしくはないけど」
 そう苫小牧が言ったのは、割と最近だったと思い返す。鍋で炒める具材を重く覚えて椛が木べらを動かしていると、途中で苫小牧が代わった。彼女の指摘する通り、中のニンジンや肉といった食材がさほど交ざらず偏っている。
「苫小牧さんは、いつからこのお店をやってるんですか?」
 手際の良い女将に感心しつつ、椛はふと浮かんだ疑問を零す。苫小牧は大学を卒業して間もなく、蒐集家の集まれる場所を作るべくこの店を開いたという。
「ほら、蒐集家って色々と隠さなければならないこともあって大変でしょう? そんな人達に少しでも落ち着いてほしいって思ったの」
「苫小牧さん、料理もうまいからね」
 立ち上ってくる匂いに椛が目を細めていると、灰汁を取るよう頼まれた。早速道具を使って取り掛かるも、気付けば調味料などを入れていた汁が少なくなっていた。落とし蓋をするころになって、それはさらに量を減らしていく。
「本当に富岡さんは、不器用な方なのね」
 どこか面白そうにも笑う苫小牧に、椛は頬を膨らませる。確かに時間は掛かるが、これでも料理はそこそこ出来る方だと自負しているのだ。さもなければ母が亡くなって数年、一人で生きていけるはずがない。
 午前十一時の営業開始時間が迫り、作業は大詰めとなる。複数の路線が入り込む駅を持つこの辺りの会社員らに向けて、一汁三菜弁当を仕上げる。壺に入っていた糠漬けを取り出し、ビニール袋を嵌めた手で椛は糠を混ぜながらぼろぼろと零していく。それを苫小牧がきちんと片付けた後、外へ暖簾を出して昼の「七分咲き」は開かれた。
 開店当初は夜に限られた者しか来なかったと聞く店も、今は多くの人が昼食を求めて並んでいる。弁当とは別添えの容器へ、椛は待っている客を思い焦って味噌汁をすくう。それからレジに立って会計を進め、隣で苫小牧の渡す品を何気なく見て気付く。自分がよそった時より汁が多く、具が少なくなっている気がする。きっと知らない所で、女将が調整をしていたのだろう。
 十五時に昼の営業が終わると、まかないを食べて今度は夜の準備に取り掛かる。今日は普段とは違う、特別な日だ。十二月十一日といえば、椛が意気込んで設立した蒐集団体しゅうしゅうだんたい「早二野」の仲間である白神しらかみの誕生日である。同じく仲間にして友人の屋久島真木やくしままきが何気なく呟いていたのを受けて、椛は慌てて数日前から計画を立てていた。今夜の店は貸し切りで、白神に黙ってパーティを行う。興奮を抑えられず、椛は手早い動きで夜のメニューを卓上に用意し、奥の部屋に片付けられていた椅子をカウンター前に置いた。
 苫小牧と共にケーキを作っていた、午後五時過ぎだろうか。いつもは開けている時間に、インターホンが鳴らされた。飾り付けていた手を止めて、苫小牧が応じる。椛が奥の部屋から覗き込むと、宅配便の配達員が台車で大型の箱を店内へ持ち込むのが見えた。着物を着た苫小牧の帯下までありそうな高さの段ボール箱は、入り口の引き戸も引っ掛からない店の隅に鎮座する。
 重いので気を付けるよう言って、配達員は去っていった。厨房に戻る苫小牧は首を傾げ、荷物に覚えがないと呟く。
「宛先に『早二野』とあったのが少し見えたわ。でもあんなに大きな物、一体何なのかしら」
「白神くんへのプレゼントかな?」
「それなら、宛名にちゃんと個人の名前を書くはずだけど」
 幅も店にある椅子を二つ近く並べたほどに見える箱を、移動は出来ずにそのままとする。よって呼び出していた十八時きっかりに来た真木には、すぐ怪しまれてしまった。
「わたし達宛てになんて、怪しいものじゃないでしょうね?」
「とりあえず後で開けて確認するから! 蹴っ飛ばしたりしないで、ね?」
「むしろ君が蹴って大事な中身を壊さないか心配だけど?」
 引き戸を開けた端治はしおさむが、挑発的に言って店へ入る。奪われたものを入手して元の持ち主へ返す蒐集団体「早二野」の仲間であるはずなのに、彼はこうしてよく椛に意地の悪い言い方をする。ちらりと箱を見やって真木と椅子一個開けて座る治に、椛はカウンター裏から文句を飛ばした。
「なるべく気をつけるようにするもん! それより二人ともさ、白神くんが来たらこれを鳴らしてよ! この紐引っ張ってさ!」
 椛の手渡すクラッカーを、真木と治は眉をひそめて眺める。そして揃って、こちらの提案へ物申してきた。
「クラッカーの音で、両隣のお店に迷惑が掛からない?」
「そもそもこうして騒いでいられる状況とも思えないからね。むしろ誕生日会なんて、企画しない方が良かったんじゃない?」
「二人とも乗っかってくれたくせにー!」
 椛が騒いでも、「早二野」構成員たちは聞き入れなかった。仕方なかったから応じたのだと言って、あまり乗り気な様子を見せない。十八時半になって白神が訪れても、二人はクラッカーを仕舞い込んでいた。ただ一人、椛の鳴らしたものが乾いた音を立て、中の紙吹雪が虚しく落ちる。白いコートに身を包んでいた白神は、戸を閉めた手を後ろに呆然としていたが、やがて慌てたように腰のホルスターから拳銃を取り出した。
「いったい何が起きたんだ!? 脅しか!?」
「違うよ、違うよ! お願いだから拳銃下ろして、撃たないでぇ!」
 警戒を崩さない白神をカウンターまで招き、椛は誕生日の祝福を伝える。今日が記念すべき日だということを、白神は忘れていたらしい。しばらく目を丸くして、彼は呟いた。
「まさか誰かに祝ってもらうなんてな。感謝するよ、『早二野』のみんな」
「よし、それじゃあパーティ、始めようか!」
 冷蔵庫などのある部屋を出入りして椛がケーキを持っていくと、いきなりデザートから食べるのか仲間たちに突っ込まれた。それへの反論を堪え、苫小牧が注文を受けている間にナイフを入れる。そうして五人分に分けられたケーキは、見栄えが良いと到底呼べるものではなかった。ナイフにクリームが付いたまま別の箇所を切ったので、断面の上には形の乱れたクリームがべっとりと付着している。加えてきちんと等分されておらず、それぞれの大きさは全く異なっていた。
「これで苫小牧さんがよく、アルバイトを続けさせてくれるねぇ。しばらく見たくないから、冷蔵庫へ入れてくれる?」
 治が突き放し、真木たちも後で食べると伝えてきた。苫小牧に至っては、今日は「早二野」が祝う日なのだからとケーキを遠慮してきた。喉に熱いものを覚えてケーキを片付け、カウンターに戻ったところで椛は白神に問われた。
「ところでおれを祝うんだったら、プレゼントはあるよな?」
 この店に謎の箱が届いて以来、忘れようとしていたことが思い出される。パーティでどんなことをしようか、食事には何を出そうか考えているうちに、贈り物などすっかり意識の彼方に追いやられていた。視線をゆっくり真木と治へ移し、二人が首を振るのを見て息が止まりそうになる。
「いくら同じ団体にいるといっても、そこまで縁は深くない人だから」
「ちょっと真木ちゃん、白神くんは仲間だよ?」
「俺もプレゼントについては特に言われなかったからね。そういう富岡さんこそ、何も用意していないんじゃないの?」
 二人の言い分を聞いて肩を落とし、椛は正直に白神へ明かす。これからでも自宅で営む雑貨屋の適当な品を渡して良いか尋ねたが、断られてしまった。質のよく分からない品を噛まされるくらいなら、何もない方が良いと告げられて。
 それでもどうにかしたい思いが募る中、店の隅に置かれたままだった箱に椛は目が付いた。誰かがこれを送っていないか問うが、皆に否定される。押しても引いてもびくともせず、椛はその場で箱を開けることにした。
「それにしても差出人の名前がないなんて、どう見ても怪しいでしょう。危険の及ばないうちに破壊した方が――」
「待って、待って! なんか聞こえる気がする」
 蓋を閉じるテープを途中まで剥がしていた椛は、真木の言葉を遮って手を止めた。恐る恐る箱へ耳を近付け、規則正しい息遣いらしきものを捉える。仲間たちも次々と集まり、中身を気にしているようだった。じっと睨んでいた真木が、やがて口を開く。
「やっぱり、これは破壊すべきでしょう」
「中に誰かいたらどうするの!?」
 すかさず椛は箱を開け、その中を見て尻餅を突いた。ゆっくり立ち上がって上から覗き込み、全体を見るべく段ボールを破って壊していく。そして梱包材を取った先に姿を現した奇妙な贈答品を、じっと観察し始めた。
 見た感じとしては、人間と違いはなかった。襟にレースが付いた柄入りの赤っぽい鮮やかな着物に、フリルの付いたスカートにも似た袴を履き、体育座りで固まっている。黄色いカチューシャを付けた黒髪は後ろへ伸び、俯いた顔から時々「ほぅ」というような音が聞こえる。恐る恐る手へ触れてみると、体温らしきものがわずかにあった。
 ブーツを履いた足元に封筒があるのを見つけ、椛は広げて読む。この品を「早二野」で預かってほしい。そう記された手紙には、相変わらず差出人の名がなかった。
「こんなでかくて役立ちそうにないもの、受け取ってたまるか!」
 真っ先に反応したのは白神だった。続けて真木も同調し、この品が死体だったらどうするのか問うてくる。確かに割と色白でぴくりとも動かないそれは、生きているとは思いにくい。
「でも血色は良さそうだし、人間によく似た人形なんじゃないかな。まぁ、これは最初に開けた富岡さんが引き取るべきだろうけど」
 治がそう告げて、苫小牧を一瞥する。女将もまた、「早二野」宛てなら自分が引き取るわけにもいかないだろうと辞退を伝えてきた。しかし持ち帰るにしても、どうすれば良いのか。置き場所がないなど椛が零していると、嫌がっていたはずの白神が食い付いてきた。
「おれの家なら、場所には困らないな。面倒を見れるかは自信がないが。授業もあるし――」
「君、確かオンライン授業で学校には一度も行けてないんだったよね?」
 治の冷ややかな突っ込みに、今年入学したばかりの大学生は黙り込んだ。彼へ向けていた視線を、治は椛へ素早く動かす。
「富岡さん、君は今日が誕生日の人を追い詰めるのかい? 張り切っておきながら大したもてなしも出来ないでさ」
「わかった、わかった! あたしが持って帰るよ! でもどうやって家まで――」
「そこはタクシーを使えば良いんじゃない? もちろん、君の自腹でね」
 治の目元が綻び、真木や白神も痛くこちらを見つめてくる。こんな人々と、なぜチームを組んでしまったのだろう。重い荷物を前に、椛は頭を抱えてその場に座り込んだ。

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