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蒐集家、久遠に出会う 第一章 二、異世界と久遠

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 微睡む意識の遠くで、誰かが呼んでいる気がする。女の声だろうか、真木にしてはいくらか高い。ぼんやり瞼を開けてうつ伏せとなり、椛はベッドの中で昨夜の出来事を思い出す。何とかあの人間に似た何かを家まで運び、それを玄関に放置して寝室で眠ってしまったような――。
 耳元で金属音がする。考えを打ち破ろうとするそれへ振り向いた瞬間、額と左のこめかみに強い衝撃が走った。しばらくふらふらする頭を持ち直し、泥棒かと思って椛は体を起こす。目の前にいたのは、フライパンとお玉を持った人間らしき姿だった。柄の入った着物と袴に身を包み、「武器」を手に佇んでいる。肩辺りまで伸びた黒髪も美しいその姿へ、椛は咄嗟に叫んだ。
「うち、盗まれるようなものはなんもないよ!」
「まぁまぁ、そんなに怖がらないでください。せっかく眠りこけているあなたを起こしに来たのですから。ああ、私は先日助けていただいた姫にございます」
 布団に腰から下を入れたまま、椛は記憶を辿る。今まで盗まれた品を返した中で、ここにいるような若い女の依頼はなかった気がする。もし助けていたとしても、恩人を叩くのはどうなのか。ぽかんとしていると、正面の者は笑ってこちらから顔を背けた。
「戸惑われるのも無理はないでしょう。何せ、私が先ほど考えた冗談ですので」
 問い詰めようと動いていた椛は、すかさずベッドから体勢を崩して転げ落ちた。頭や腰に痛みを覚えながら、謎の女に手伝ってもらって立ち上がる。そしてようやく、ここにいるのが昨日持って帰った人形のようなものだと気付いた。
「正確には、人形ではなく『久遠くおん』と呼ぶのですけどね。いわゆる人造人間です」
 袴の裾を少し広げ、刑部姫おさかべひめと名乗った者は礼をする。詳しくは朝食を取りながら話すということで、どこか違和感のある寝室を出て居間まで通された。
 扉を開けて目の前にあるテーブルには、既に朝食が用意されていた。バターの塗られたトーストに湯気の立つベーコンエッグ、緑の鮮やかなサラダに紅茶まである。トーストに食パンがまるごと一枚使われていることに、椛は心臓が速くなるのを感じた。いつもは買う回数を減らすため、半分しか食べていないのだ。おまけに紅茶は来客用に取っておいているものである。そして自宅で取る一回の食事としては、明らかに量が多い。この一食で、随分ともったいないことをしたものだ。
「たまには、こんな贅沢も良いではありませんか。紅茶の賞味期限も切れそうでしたし」
 刑部姫にそう言われて食事を勧められても、なかなか喉を通らない。どうしても金欠への恐ろしさが先に来てしまう。食べる代わりに、椛は正面に座る刑部姫へ問い掛けた。
「刑部ちゃんは食べないの?」
「私はこう見えて機械ですので、食事は要りません。それが久遠ですから」
 久遠というのは、異世界で作られた人造人間のことだという。中身は完全な機械だが、それを覆うのは生体の細胞を利用した人工の肌だ。人間と同じように記憶する箇所が脳に、動力部分を心臓に値する機械が担っている。ここよりずっと科学の発達した世界で、久遠は労働力不足解消や人間による作業を置き換えるために生み出されたのだった。
「異世界なら、前に行ったことあるよ。なんとか会って人たちが博物館を作ろうとしたのを止めたんだ」
 初めて「早二野」が解決した事件について自慢げに語っていると、淡々とした刑部姫の声が返ってきた。
「それはライニアでのことでしょう? 久遠が生まれたのは、そことは違う世界ですよ。神も魔法もありません。ただ科学と機械を絶対とする世界です」
 他にも異世界があったのか。ようやく齧ろうとしたトーストを、椛は呆気なく手から落とした。
 人間の住む異世界は、前に訪れたライニアを有するものを含めて複数あるらしい。そして蒐集家と呼ばれる存在も、多くがそこを行き来しているのだ。ここで刑部姫に、自分の属する「早二野」は文化を守る団体だったか聞かれた。人々が盗まれたものを返却しているのだと、椛は胸を張って答える。これで「偽善家ぎぜんか」呼ばわりをされているのだから、どうも納得がいかない。
「なるほど。それなら、『父』の本懐も果たせそうですね」
 そう言って微笑む刑部姫は、なぜこの家にいるのだろう。椛が尋ねると、率直な答えが届いた。
「あなたたち『早二野』のことを、調べに来たのです。昨日のお店では人形として振る舞っていたので、詳しく話せませんでしたが」
 おかげで構成員に迷惑を掛けたと、刑部姫は頭を下げる。仮に「七分咲き」で留め置かれることになっても、いずれは「早二野」の誰かの家を訪れるつもりだったらしい。自分がリーダーか問われて肯定すると、刑部姫はわずかに背を伸ばした。
「リーダーの家なら、これ以上ない幸運です。どうかこの家に、しばらく留まらせてくれませんか?」
 耳を疑う椛に、刑部姫は淡々と続ける。家事は一通り出来るし、迷惑を掛けるつもりはない。食事や風呂の手配も必要ない。短い間なので許してほしいと頼む相手に、椛はしばらく悩んでいた。
「そんなこと、急に言われてもなぁ……」
「もしお嫌でしたら、他の皆様のお宅を逐一訪ねる所存でございます」
 そうなれば一度は預かると言った自分の責任を、あの仲間たちに問われそうだ。今の自分にされているような仕打ちを、他に与えたくもない。仕方なく椛は受け入れて、朝食を終えた。すぐには片付けず、最近忘れていた習慣をその場で行う。ずっと前に亡くなった父がいつも唱えていた祈りの言葉を、うろ覚えで口にする。
「あなた、キリスト教の方ですか?」
 別の部屋にも祭壇らしきものがあったと言って、刑部姫が質問してくる。それへ、ただ父の真似をしているだけだと答えた。カトリックかプロテスタントかも聞かれたが、果たして分からない。昔に教会へ行った気もするものの、やはり記憶は薄い。
 食器洗いを自らやると申し出た刑部姫に任せて、椛は椅子に腰掛けたままでいた。久遠は人の仕事をするために生まれたというが、それがあることで楽が出来る。もしかしたら刑部姫は、ずっとこの家にいてくれても良いかもしれない。
「随分と家具や家電が少ないですね?」
「ああ、それ? 全部売っちゃった」
 刑部姫の問いに、椛はさらりと返す。生活のために、そうせざるを得なかったのだ。両親の使っていたベッドや本も、テレビでさえ今やもうない。これまでどんな暮らしをしていたのか疑われ、椛は正直に答えた。生活は切り詰めていて、ひどい時は水だけでしのいだ日もあった。「七分咲き」でバイトをやっているので、このところは何とかなっているが。
 土曜日の午前は、「七分咲き」も休みだ。雑貨屋のエプロンは干したままだったと思い出して椛は自室へ向かい、扉を開けて家全体に響かん大声を上げてから声を失った。昨日まで床に色々と置いていたものが、すっかりなくなっている。片付けようとして放置していたものだけではない、「七分咲き」の給料明細もあったはずだ。昨日帰って寝る前に投げていた、「天使」に返されたあのペンダントも見当たらない。
 慌てて居間へ戻り、皿を洗う刑部姫へ椛は叫んだ。
「刑部ちゃん、あたしの部屋になんかした!?」
「ああ、あまりに雑然としていて見苦しかったので、床にあったものはまとめてごみ袋へ放り込んでおきました。外にもちゃんと出しましたよ。朝八時きっかり、燃えるごみで」
 気付けば収集車の音が、家の近くに迫っていた。すかさず外へ飛び出しながら、椛は唐突に現れた遠慮のない同居人に訴える。
「やっぱり、早く帰って!」

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