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蒐集家、久遠に出会う 第三章 六、最後の言葉

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 右腕を失い、鎖骨周りにも傷を受けていた二条は、それも気にせず悠然と地面に立っていた。彦根と姫路、林を順番に見ていき、全員へ頭を下げる。その姿勢が右へ傾き、倒れそうになるも持ち直される。
「みんなを混乱させて、本当にすまなかった。わたしのせいで、ここまで苦しめてしまったね。姫路くん、あの話は戯れ事だと思って、忘れてくれないかな?」
 創造主に向けて、久遠は何気ないように言う。確かに若い姿で研究をしたいと言った時、自分には仲間たちと別れることへの寂しさ、死への恐怖があった。だが実際に迎えてみたら、何も思わなかったのだ。もう人生に悔いはないと、二条は言い切った。皆と駆け抜けられただけで、十分だった。
「もうわたしに――二条元家にはこだわらないでくれ。むしろ忘れてくれても良い。彦根くんも、久遠とは関係ない場所で生きても構わないよ」
 今度は自らに傷を入れた相手へ、二条は目元を緩める。教え子の苦しむ姿は、もう見たくない。そう告げた久遠は、不意に彦根の持っていたブロックを奪ったかと思えば、姫路がコートの裏に隠していたナイフを迷いなく掠め取った。片手で器用にそれらを持っていた二条はまずブロックを真下に落として足を載せると、ナイフを胸へ突き入れた。あそこには大事な部分があるのだったか、椛が思い返す余裕もなかった。名前を呼んだ姫路に、二条は言葉を残す。
「ありがとう、姫路くん。わたしの願いを叶えようとしてくれて。無視しても良かったのに、きみは真面目なんだね」
 そして呆然と事態を見ていた林にも、久遠は言った。
「きみを久遠にしてでも生かせば良いと、わたしは深志さんに勧めてしまった。勝手にきみの人生を狂わせてしまったことを、謝らせてほしい。……深志さんなら、最後まできみを守ってくれるはずだよ。彼女にも、所長の責任を押し付けてすまなかったと言ってくれ」
 話し続ける二条に、椛は割り込むことが出来なかった。一緒に過ごしてきた久遠とは別人に見え、それが声を出すのも躊躇わせていた。そして二条は、足元のブロックをゆっくりと持ち上げる。
「久遠を――この世界では未知のものを広めるのは、確かに怖かった。人間の反応も、最後まで気になって仕方がなかった。でもこうして教え子たちに出会えたのは……嬉しかったよ」
 二条の手にするブロックが、胸のナイフをさらに押し込んでいく。傷は広がっていき、再び細かな部品が地面へ散らばった。電気の流れるような音がしたかと思えば、久遠は後ろへ倒れた。自らへ武器を入れた手もそのままに、動かなくなっている。
 椛ははっとして二条のもとへ向かい、その足を次第に速めていった。両肩を持ち上げると、重みがずしりと手に伝わってきた。軽く揺すっても部品が傷口から落ちるだけで、反応はない。その体を強く引き寄せ、椛は涙を溢れさせて二条へ呼び掛けた。
「二条くん、あたしまだお給料も払ってないよ! 作ったばかりで完成してない雑貨もあるよ! まだやりたいことが……もっと楽しみたいことが、二条くんにはあったんだよね!?」
 言葉は嗚咽に紛れ、自分でも聞き取りづらかった。久遠の左肩部分に目元を押し付け、椛は周りも憚らず号泣した。そこに別の慟哭が、そばで響く。
「おれは……わたしは、なんてことを……!」
 椛が目を上げると、彦根も座り込んで吠えるような泣き声を上げた。自分を思ってくれていた人を、壊してしまった。何も考えず動いたために、こうした結果を招いてしまった。悔いを抑え切れない彦根に、林がハンカチを差し出す。
「彦根さんは、久遠の二条さんも生前と変わらないように見ていたのですね。二条さんに文句を言いたいなら、久遠の方へ向けなくてもよかったでしょうに。……本当はどんな形であれ、あの人に会いたかったのではないですか?」
 彦根は答えず、ハンカチで顔を覆う。それを見守りながら、林は椛にも別のハンカチを渡してきた。無茶苦茶に椛が目元を拭う中で、真木の呟きが聞こえる。
「久遠の二条さん……最後は生きていて、皆さんに語り掛けているようでした。言い切れなかったことを、伝えたかったのでしょうか」
「そうだな。どこかで生前と同じ思いを持っていたんじゃないか? それが作られた時にスキャンされた結果から生まれたものだとしてもな」
 あれほど人間と久遠とで二条は別物だと言っていた白神も、こればかりは認めたようだった。ようやく二条から顔を離し、椛はそっと地面に寝かせる。まだ引きずられる思いはあるが、ひとまず立ち上がって仲間の方へ戻った。そこに姫路が問いを投げる。
「富岡さん。二条さんは……あなたのもとで、生前に出来なかったことをやっていましたか?」
 生前がどういうものかは分からなかったが、椛は肯定する。客と触れ合ったり雑貨を作ったりする二条は、楽しそうだった。それなら良かったと、姫路が小さく息を零す。
「思えばわたしは、あの久遠に『二条元家』であることを押し付けようとしていました。それは自分の理想を夢見ていただけだった。元の二条さんだって、好きに生きていた人間だったのに」
 肩を落として、姫路は倒れた久遠に目を向ける。何も言わずにいた彼へ、やがて彦根がそっと歩み寄った。
「この久遠は、これからどうするつもりだ? 前は作り直さないと言っていたが、あんたはそれで良いのか?」
 恩人の姿をした久遠がいたことを嫌っていたはずの彦根が、穏やかにそう聞いている。今までと違う反応に椛は戸惑い、同じ思いをしたのか治も割り込んできた。
「久遠の二条元家がいることは認められないと、前に言ってましたよね? それなのにあなたは、急に価値観を改めたと?」
「……二条元家の久遠に問題があるのは、確かです。社会として見過ごせないことに変わりはない。――でも、その事態を間近で考えられる状況も必要だと思うんです。恩師を問題提起として使うことを思うと、まだ踏み切れませんが」
 顔を上げた彦根の声には、決意に満ちた張りがあった。それを受け入れるように、姫路も優しく話す。
「ならその久遠も、二条元家とは切り離して扱いましょう。もう彼としての在り方で苦しませるのは、耐えられませんから」
「しかし、ちゃんと直せるのですか?」
 突然間へ入ったのは、所沢だった。地面に転がる部品を踏まないように二条へ近付き、そっと膝をかがめて覗き込む。
「私は機械や人造人間のことはよく分かりませんが、修理には時間と手間が掛かるでしょう。それも元通りにするには、相当の苦労を要するのでは?」
 所沢の懸念する通り、二条の修理は容易いものではない。姫路は久遠の新たな製造に必要な部品が十分に足りず、届くにも時間が掛かりそうだという。研究所も火災によって必要な材料の多くが燃えたと見做されている。完全な姿となった二条に会えるのは、だいぶ先になってしまうのか。椛が不意に鼻をぐずらせていた時だった。
「お困りのようでしたら、わたしをお使いください。何せいっぱしの久遠ですので」
 ここで聞くとは思わなかった声に首を巡らし、椛は刑部姫が街灯に照らされてこちらへ歩くのを認める。いつここに来たのか、そして何を言っているのか分からず尋ねると、刑部姫は自らを指差した。
「文字通りの意味です。わたしを構成している部品を、二条元家の久遠へそのまま使えば、新たな材料を待つ必要もなくなるでしょう?」
 刑部姫が片腕をまっすぐ横へ伸ばして振る。そこから奇妙な音がしているのを、椛は聞き逃さなかった。

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