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全てを白紙に 第一章 消却迫る 三、白紙郷

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 日付が変わってから朝になるまで、爆発音は聞こえなかった。簡単な朝食を終えると、レンは荷物を背負ってリリを迎えに行った。親から先に避難を促されたというリリは、有事に備えてリュックサックの後ろに細い弓を隠すように持っている。彼女の卓越した弓術を見られたらと思うと、レンは心が躍った。リリの方は弓の腕を「上手い」と言われるなり、すぐ否定してしまうのだが。
 うっすらと霧の漂う中、二人は村から伸びる静かな街道を進んだ。この辺りの住民はもう逃げてしまったのか、道には誰も見当たらない。まっすぐ歩いているうちに、村の南西にある森へと入り込んだ。霧は濃くなり、湿っぽい感じがレンを包む。
 それにしても、何もしないでただ逃げるという選択は正しいのか。昨夜に結局まとまらなかった心が、再びレンを捕らえる。このままでは自分が臆病者に思えてならない。そもそも「錬成」魔術以外に何か使えるかも分からないというのに。やはり戦いは無謀だから逃げろ、いや、やってみなければ分からないではないか。相反する思いが脳を支配し続ける。
「私たち、どこへ向かっているの?」
 リリの問いに、レンは足を止めた。土を踏む音がしなくなると、森の中はより一層静寂に包まれる。あまり風は吹いておらず、木々の緑が黙って自らを威圧しているようにレンは感じていた。地図を見ても、ここがどこだか分からない。果たして近くの避難場所へ辿り着けるのか。
「レンちゃん、私たちどうすればいいの!?」
 正直に告白すると、リリが片足を踏み鳴らして泣き顔に近い表情になった。ただでさえ消却の進む状況が不安なのに、道に迷ったとあって一層それが強まったのだろう。レンも何とかしようとして、周りに首を巡らせた。どこも同じような樹木が立ち並んでいるが、この先の道はまだ分かれていないようである。
「とりあえず、森を出ようか。そこでまた考えるんだ」
 言い訳しようとして口を噤んだリリを連れ、レンは再び足を動かし始めた。道なりに行けばいつか開けた場所に出られると思っていたが、その楽観はやがて打ち消された。この先は整備されていないのか、背の高い草に囲まれた獣道が二つに分かれて続いている。地図を見たいと言うリリにそれを渡し、ぼんやりと枝の間に透ける空を見る。今日も雲の広がる灰色だ。
 リリが諦め気味に紙を畳む音に重なって、向こうで知らない旋律が聞こえた。高いが温かみのある笛の音色は、分かれ道の一方から鳴っているようだ。あそこに、笛を吹いている人がいるかもしれない。それならぜひ出口を聞こうと、レンはまっすぐ音に向かって進みだした。地面に足を取られそうになるリリを時々振り返りながら、次第に旋律をはっきり耳で捉える。
 音色の正体は、黒っぽい木製の横笛であった。その持ち主を見て、レンはまず彼の肌に驚いた。リリも割と色白だが、笛吹きの男は輪を掛けて肌が白かった。消却された後の風景にも溶け込んでしまいそうで、絵の具の色にも近い。内巻きの明るい銀髪と合わせると、どこか眩しく見える。
 服装もレンの周りでは見掛けない、裾が広がり気味な丈の長い貫頭衣だった。広い肩を覆う布も含め、柄がなく質素な色合いだ。長い裾からは白い脚絆が覗いている。こんな服を来た民族がライニアにはいると習ってはいたが、その名を挙げることはやめようとレンは心に決めた。もしかしたら推測が間違っているかもしれないのに指摘するのもどうなのか。そんな愚行はしないのが、かっこいい人間なのだ。
 ぼうっと彼の姿を見ていたレンは、演奏が止まっていたと気付いて早口で尋ねた。
「すみません、怪しい者じゃないんです! この森から出る方法って分かりますか?」
 男は茶色い瞳を瞬かせていたが、すぐに森の出口がどこにあるか教えてくれた。礼を言ったレンは、彼がこれからどこへ行くのか気になった。避難にしてはのんびりしているように見えるが。
「ああ、俺は『白紙郷』を倒しに行くんだよ」
 思わぬ言葉に、レンはリリと顔を見合わせた。まさか本当に、「白紙郷」討伐を考える者がいるとは。だが主だった武器も見当たらない中でどう倒すのか。レンが見当も付かずにいる中、男は地面に置いていた肩掛け鞄を持ち上げる。
「倒すといっても、無謀に戦うつもりはないさ。ただ奴らを挫くのに、『虹筆こうひつ』ってのがどうしても必要でね」
 知らない名に、レンは首を傾げる。「虹筆」とは神話の時代から生まれた特殊な筆で、今回の事件で消されたものを元に戻す力があるらしい。それを見つければ「白紙郷」の動きを防げるのではと男から聞いて、レンは手を打った。敵と対峙するのは自分にとって難しいかもしれない。だが単なる物探しなら。加えて彼一人で探すのは大変そうだ。思わずレンは、男へ懇願していた。
「あの、でしたらわたし達も手伝わせてください! その『虹筆』探しっていうのに!」
「レンちゃん、迷惑だよ!」
 横から袖を引っ張られ、リリが半ば涙目でこちらを見ていると気付く。普段なら大人しく従いもするが、異常の起きている今は素直に従ってもいられない。情けなさを晒す友へ、レンは喝を入れんばかりに叫んだ。
「リリ、わたしたちは本当にこのままで良いの? 逃げるだけでかっこ悪いって思わない?」
 力の入る目元で、レンは向かいの友をねめつける。リリはしばらく黙っていたが、やがて真顔になると頷いた。特に言葉を発さない彼女を置き、レンは再び男を見上げる。彼はくしゃりとした笑顔で同行を歓迎してくれた。
「仲間が増えるなんで心強いな。ありがとう、何かあったら誠意を持って君たちを守るよ。ああ、俺のことはアーウィンって呼んでくれ」
 こちらもそれぞれ名乗ってから、レンは早速アーウィンが先ほど吹いていた笛を褒めた。彼は昔から笛をやっていたようで、腕には自信があると零す。音楽の授業こそあったものの、間近で横笛を見るのはレンにとって初めてだった。
「それ、ちょっとだけ吹いてみても良いですか?」
 好奇心が抑え切れず頼んだレンを、アーウィンは快く了承してくれた。鞄から出した布で吹き口を拭い、レンに笛を渡す。細長い管には、小さな穴がいくつも並んでいた。それを指で塞いだり開けたりして音階を出すようだが、レンはまず音自体が鳴らなかった。力強く息を吹き込んでも、掠れたものしかしない。アーウィンのような甘い音色には、とても程遠かった。
 酸欠を起こしたのか、軽いめまいを覚えてレンは笛をアーウィンに返した。近くの木に寄り掛かり、気分が良くなるのを待つ。しかし体調は悪化しているようで、視界は長く横に揺れていた。
「……これは、消却爆弾の爆発ですか?」
 おろおろとするリリの呟きに、レンは横揺れが実際に起きているのだと理解した。木々の葉がざわつき、鳥が多く飛び立って羽音を響かせる。その中でもアーウィンが冷静に周囲を見回す。
「多分、近くで爆発したんだろう。でも俺たちがこれから向かう方じゃないよ」
 リリに安心させるように言い聞かせ、レンの具合を確認したアーウィンは前へ歩きだした。回復したレンも、リリと並んでその後を追う。
 思えば爆発の現場には、昨日初めて遭遇したのだった。そして一度爆弾のそばにいたにもかかわらず、リリと共に無事であった。それがなぜか、レンは歩く最中で気になってきた。何となくアーウィンに聞けば理由が分かるように思えて、話し掛けようとする。そこに、レンは昨日も見た男の姿を認めた。
 十字になっていた道を、彼は横切っていく。暗い金色の髪と、腰に革紐で固定した本が、両親と喫茶店を消却した男の姿と重なった。ホルスターから拳銃を取り出し、レンは走る。後ろでリリやアーウィンが何を言っているか、聞き取れなかった。
「あんた、何であの店を――わたしの父さんと母さんを消した!」
 レンの叫びに男は足を止めたが、レンよりも奥の方を気にしているようであった。振り返ると、アーウィンが片手の人差し指を立てている。彼に男と話す意思がないと考え、レンは再び「仇」に問い直した。
「あそこにあんたの親もいたのか。消却した場所のことなんて、あんまり覚えてねぇよ。そもそも消却は、『死』と全然違うんだ。気にするもんじゃないだろ」
「はぁ!? あんた、よくそんなこと言えるな!」
 思わず乱暴になった口調に、レンは自分を心の中で諫める。一方で対峙する男は、自らの行いを悔やむそぶりも見せなかった。
「今の話は本当だ。団長から直々に聞いた」
「誰、その団長ってのは!」
 男は黙ってこちらを見ている。その間にレンは弾倉の中を確かめ、いつでも発砲できるように準備を整えた。どうやら団長には、一度話を聞いてみる必要がありそうだ。なぜ自分たちの日常を壊すのか、その理由を知りたい。
「一回くらい、その団長って人に会わせて! 問い詰めてやるから!」
「それをされたら、こっちはめっぽう困るな!」
 男が腰に巻いてあった革紐を外し、片手に本を構えた。表紙が開かれると、紙はひとりでにぱらぱらとめくられる。本の真ん中辺りで動きは止まり、代わって紙面から黄色い光が立ち上がる。本の幅も男の背も越えて光は広がり、やがて上方に一つの影を現した。甲冑を身にまとい、厳めしい形相をした姿を見て、レンはたじろぐ。教科書の写真で見覚えのある、首都の国防省前に立つ像と同じ容貌ではないか。
 確かライニア神話に出てくる軍神・キンイで、手に持つ鉾で地震を起こしたとわずかに聞きかじっている。そして伝承通り、キンイが背丈以上もある鉾を振り上げて地面に叩き付けると、足元が大きくぐらついた。消却爆弾が爆発した際とも違う縦揺れに、レンは姿勢を崩しそうになる。リリに至っては尻餅を突いていた。周りの木も幹にひびが入ったような音を立てている。ただ一人、アーウィンだけが背のまっすぐなまま佇んでいた。
 イムトが本を手に動かないでいるのに対し、キンイは勢いよく鉾を振り上げる。その先端がこちらに向かうと見えた時、軍神の影から低い呻きが上がった。その右肩には矢が刺さっており、レンはさっとリリを振り返った。彼女は両脚を小刻みに震わせ、何もつがえていない弓を構えている。友が戦いに参加したのに続き、レンもまた両手に握り締めていた拳銃を神へ目掛けて発砲した。
 引き金を引くと、強い反動が腕から肩へ伝わってくる。銃を持つ手もぶれたと自覚しながら、レンは敵の様子を見る。軍神はリリの矢を引き抜いており、銃撃に苦しんでいるとは思えない。外れたことに小さく舌打ちしてレンが再び武器を構えると、キンイの四方を透明な壁が囲いだした。細かい音符が目立つ華麗な旋律に合わせて、つる草模様の壁は神を押し込める。レンが今度はアーウィンを見ると、まさしく彼が笛の演奏によって技を繰り出していた。
 動けなくなった神のどこを狙おうか。レンが逡巡している隙に、状況は変わった。キンイが男の持つ本に吸い込まれるように消え、再び自然にめくられた紙から別の姿が現れた。レンも見たことがない、薄い紫の髪を持った女だ。歯を食い縛ってこちらを睨み、左手に持っていた長い刀を今にも引き抜かんとしている。
「恨みの神とされているルーフレ様だ。消却神話に出てくることで有名だよな?」
 その神話は、今起きている事件と関係があるのか。レンが問う暇もなく、女神は抜いた刀を大きく振り払った。途端に向こうから地面が抉られていき、レンたちのもとにも迫ってくる。巻き込まれないように後ろへ下がり、レンはルーフレの顔に焦点を定めようとした。しかし手が震えてしまう。恐怖というものを感じているのだろうか。どうにかして攻撃しなければかっこ悪い様を見せるだけなのに、このままでは押し負ける――!
「人間の生んだ、愚かな創造物め」
 冷たく低い声が、レンの危機感を破った。ルーフレの背後に、一人の女が跳び上がっている。刀を握る包帯をした手、そして紫の長い髪を見てレンは気付く。爆弾に対峙する少年を引き留めようとし、愚かさ云々を語った彼女ではないか。レンが息を呑む間に、女はルーフレの背を大きく斬るだけでその影を消滅させた。衝撃を感じさせずに着地すると、彼女は本を持つ男を睨む。神話の神を呼び出していた男は、戦闘時の余裕な態度から一転して顔色を悪くしていた。
「貴方には残念かもしれないけれども、私は神を信じないの。信仰のない者に神は手を出せない、そうでしょう?」
 男は肯定しつつ、女を凝視している。
「『白紙郷』の……イムトだったかしら。貴方の使い魔はどうせ紛い物よ。それに振り回される者もどうかと思うけれども、貴方の偽物魔法も大概ではなくて?」
 イムトと呼ばれた男は、何も言い返さなかった。本をしっかり両手で抱え込み、彼は聞き取りづらい捨て台詞を残して去っていった。
 窮地を救ってくれた女が、以前腹の立つことをした件はいったん置いておこう。レンは片手で髪を整える女に歩み寄る。
「あの、助けてくれてありがとうございました。確か一昨日くらいに会いましたよね……?」
 彼女の顔がはっきり見えたところで、レンは動きを止めざるを得なかった。相手はこちらを厳しい目で見つめている。そして何より、レンの喉元に刀の先を突き付けていた。
 鋭い切っ先が、今にも自分を貫こうとしている。眼下に光が走る様を見、レンは背に冷や汗を掻く。リリもアーウィンも突然の事態に驚いているのか、その場をじっと動かなかった。

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