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連載(8):欲望について

この記事は『かとうはかる(著)「人類の夜明」』を連載しています。

(2) 欲望について

「それでは人の欲望を、少々視点をずらして考えてみることにしましょう。

『人の欲望には限界が無い!』ということについて異論を挟む人はいないでしょう。

しかし、基本的な生存にかかわる欲望だけに限定すれば、そうはいえなくなるのです。

つまり、衣・食・住の基本的欲望が満たされると、そこで一段落がつくということです。

動物などはそこが終着点でしょうが、そこで終わらないのが万物の霊長である人間です。

欲心をつのらせ、更なる欲望の旅を開始します。

この欲心があるから人間は向上してゆくのでしょうが、それだけに危険も伴うわけです。

それでは、基本的生存にかかわる欲望が満たされた次にもよおす欲望とは、どのような欲望でしょうか?。

それは次の三つの欲望です。

1つは肉体を喜ばしたいという欲望
2つは優越を誇示したいという欲望
3つはモノそのものに対する欲望です。

この三つの欲望が複雑にからみあい欲心の拡大が進むわけですが、企業はこの微妙な心理を逆手にとって利益につなげているわけです。

1つ目の肉体を喜ばしたい欲望は、五感を刺激することによって得られるため、外界のあらゆる刺激が欲望の対象になります。

たとえば、舌が喜ぶもの、肌に心地よいもの、芳しい香りのもの、目に美しいもの、また耳ざわりのよい音曲などがそうでしょう。

これらの欲望は、基本的欲望が満たされた後に生まれてくる、いわゆる賛沢欲といわれるものですが、一旦手に入ると急激に色あせるため常に補給が必要になります。

それも、より刺激的でより新鮮なものが効果的ですから、ますますエスカレートしていくことになります。

2つ目の優越を誇示したい欲望は少々違います。

これは相手が必要になります。

しかも持続性の長い欲望ですから、これにとりつかれると始末に終えません。

・あなたより私の方が美人である
・私の方が家柄がよい
・私の方が頭がよい
・私の方が金持ちである
・私の方が足が早い、力が強い
・私の方が良い物をより多く持っているなど・・・。

とりわけ、“私の方が良い物をより多く持っている”という物に対する優越感は、お金さえあれば誰でもひたれるものですから、人は競って金儲けに走るようになるわけです。

最後に、モノそのものに対する欲望について考えてみましょう。

モノそのものに対する欲望とは、こういうことです。

普通私たちが物を欲するのは、生理的欲求を満たすためか、肉体を喜ばすためか、あるいは優越を誇示するためです。

しかし、骨董品・古美術品・絵画・宝石などにとりつかれるのは、単に人にみせびらかし優越感に浸りたいだけでは説明のつかないところがあるのです。(焼き物や宝石を手にし、一人二ヤニヤしているなどはその好例です)。

実は私たちが物にとりつかれるのは、物の奥に隠されている神秘的なもの、掴めえないもの、未知なるもの、を求める心の働きであり、更にその心理状態を深く追求してゆくと、『喜び・感動・安らぎ・幸せ』求める心にゆき着くのです。

物はそれを具象化させる代替え品になっているのです。

実はこの心の動きは、“肉体を喜ばしたい!”“優越感に浸りたい!”という欲望にも通じているのですが、通常それは快楽や快哉の高ぶりの中に隠されてしまい、自分が何を求めているのか、分からなくなっているのです。

このように、私たちの欲望は『喜び・感動・安らぎ・幸せ』を求める心の現れであり、それはもう物の世界の話などではなくなるのです。

覚者が物に執着しないのは、その喜びに直接触れる技術を身につけているからです。

もし多くの人間が、この技術を身につけることができたら、もう物を奪い合う愚かな戦いなどしなくなるでしょう。

私が精神論を強く訴えてきた理由は、そこにあったのです。

だから生活水準があるところに達すれば、人の欲望を物から心にそらす努力が必要になってくるのです。

さて、人間の本性が命であることを見破りました。

更に、欲望は幸せを求める心の現れであることを発見しました。

ではその人間には、一体どのような使命が与えられているのか?、次に明らかにすることにしましょう。」

(つづく)

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