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連載(60):人類の夜明|宇宙の法則「原因と結果の法則」

この記事は『かとうはかる(著)「人類の夜明」』を連載しています。

原因と結果の法則

「さて宇宙の法則の一つに、原因と結果の法則というものがあります。

この原因と結果の法則を、宗教の世界では『因縁因果の法則』といい、物理の世界では『作用反作用』の法則といっておりますが、どちらも同じものです。


壁を叩くと壁からも叩き返されます。

それも強ければ強いように、弱ければ弱いように、叩き返されます。

これは叩いたという『原因』に対して、叩き返されたという『結果』が生じたためです。

これは心の世界でも同様で、たとえば人に優しくすれば人から優しくされ、笑顔で応じれば笑顔が返ってきます。

反対に怒りには怒りが、憎しみには憎しみが返ってきます。

人を殴り相手から殴り返されるのは、この原因と結果が即座に現れたためです。

もし結果がこのように即座に現れるなら、誰も法則を疑わないし逆らおうとしないでしょうが、残念なことにこの世は波動の粗い世界ですから、結果が現われるまでに、それ相当の、時間がかかります。

その結果も人の目に見えなかったり、見えても変形しているため、なかなか信じられないのです。


この世では、盗みをしても人に見つからなければ法的責任を負うことはありません。

良心を痛めない人なら、のうのうと一生を過ごすかも知れません。

結果が直線的にみえないため、人は悪事を犯してしまうわけですが、決して“やり得”ということはありません。

なぜ私ばかりが?、なぜこんな不幸が?、なぜ、なぜ、なぜ?、と嘆くのは、その結果が遅まきながら到着したためです。


ギリシャのアンチポンは、『法には人為法と自然法があり、人為法に背けば人為的に罰を科されるが、人知れず犯した罪は人為法で罰せられることはない。

しかし自然法の前では、目撃者の有無にかかわらず必ず罰が与えられるのだから、人前では人為法にしたがい、目撃者のいないところでは自然法にしたがうべきである』、と人間に警鐘を打っております。

またイエスキリストは、『自分が撒いた種は自分が刈り取らなければならない』といい、釈迦は『因果応報』を説いています。

彼の偉大な聖者や賢者が、このように口を揃えて警告しているのに、なぜ私たちは信じようとしないのでしょうか?。


それでは、アンチポンが唱える自然法が本当に実在するのか、ここで物質に働く作用反作用の法則と、心に働く原因と結果の法則を比較し、少々科学的に分析してみることにしましょう。

[物質に働く作用反作用の法則]
原因=結果
“作用と反作用は直線上にあり、大きさが等しく向きは反対である”これをニュートンの第三法則といいます。

[心に対して働く作用反作用の法則]
原因≦結果
“作用は超空間にも働き、反作用の力は等しいかもしくは大きく、その向きは発した源に返ってくる”というふうになります。


物質の世界は波動が粗いため、“作用”は作用した人以外飛び火することなく作用と対等な反作用が生じますが、心の法則は池に石を投げ入れた時に生ずる波紋のように四方八方に広がり、それも超空間に影響を与え広がっていきますから、与える影響は絶大なものとなります。

特に、同じ波動をもつ人の心に当たると波動は増幅され、さらに影響は拡大します。

その波はやがて震源地へ返ってくるわけですが、その波の力や大きさは、発した時と同じか何倍にもなって返ってくるのが通例です。

原因≦結果は、そういう意味なのです。


「それでは一旦原因を作ったら、決して結果から逃げられないのでしょうか?。」


「残念ながら、逃げられないのがこの法則の厳しいところです。」


私はドキッとした。


「それでは悪事をした人は、永久に救われないのでしょうか?。」


私もこれまで何度か悪い事をしてきた。

しかしある事件を境に、二度と過ちは犯すまいと心に誓い、なんとか最近では正しい道を歩めるようになったが、救いが全くないとなると一体どうなるのだろうか?。


「いや、救われぬとはいっていません。たしかに法則は絶対ですから、原因に対する結果は必ずやってきますが、次のような方法で結果を繰り延べたり弱めたりすることはできるのです。

その方法は、『反省』し二度と過ちを犯さないよう心に誓うことです。

人間であるかぎり誰でも過ちは犯します。でも、人間の真価を決めるのはそこから先です。


罪を犯した人の生き方には、次の三つがあると思います。

① 過ちを過ちとも気づかず過ちの上塗りをする人。
② 過ちを認めながらさらに過ちの上塗りをする人。
③ 過ちを認めて改心し二度と過ちを犯さない人。

この3つの中で一番救われないのは、①でしょう。

なぜなら、その人は過ちを過ちとも気がつかないほど、意識の進化が遅れているからです。

②は、過ちを過ちと分かっていながら、欲望を捨て切れず過ちの上塗りをする意志の弱い人です。

この人は、過ちを過ちと認められる意識の持ち主ですから、理性を保ち意志を強く持ったら、すぐにでも立ち直れるでしょう。


さて、過ちに気がついたその時から二度と過ちを犯さないと心に誓い、その後の生活を正していったら反作用は変形させられます。

つまり返ってきた悪念の波動が、良念の波動に打ち消されるという波の干渉によって結果が弱められ、致命的難事から逃れられるのです。

そうなると、百の借金を十ずつ十回に分けて返済したり、借金をお金で返すのではなく、別な形で罪の償いをすることも可能になるのです。

そうなると、死によって償わなければならない反作用も、軽い怪我何回ですむかも知れないし、大事故が軽い事故何回ですむかも知れない。

この物質の世界は結果が訪れるまでに時間がかがるので、それまでに修正し反作用を変形させる芸当も可能なのです。

それはあたかも執行猶予を与えられた罪人のように、執行猶予期間中正しい生き方をすれば罪が償われるようなものです。

このように、悪果を修正できるのは宇宙心と同じ波動をもつこと、つまり、正しい思い・正しい言葉・正しい行いをすることです。

その思いと行為が本物になるにつれ、悪しき波動は静まっていくでしょう。


因果の法則は神の愛そのものであるといわれるのも、愛は毒消しの役目をしてくれるからです。

※原因と結果は輪廻しているが、愛は因果をも越える。

(つづく)

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