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感受性豊かな時期の訪れについて。

ドリップコーヒー片手に小児科の試験勉強をしていたときのこと。『思春期に子供は感受性が特に豊かになり…』のような文言があったりなかったりした気がして、ふと思いました。

「感受性が豊かな時期っていつだろうか??」
「思春期がそうかといえば違う気がするぞ…」

そこで今回は、『感受性豊かな時期とは』というテーマで書き綴ろうと思います。

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先に僕の行き着いた結論を書きます。

①感受性が豊かになる=問題意識を持つトリガー
②感受性豊かな時期は人それぞれで一概に思春期とは断言できない。
③感受性の豊かさに達する閾値のようなものが思春期に形成される。

ここから順を追って説明していきます。

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まず、感受性という単語についてです。

【感受性】
外界の刺激・印象を受けいれる能力。物を感じとる能力。         
出典: Oxford Languages

ここから感受性とは外界に対する自己の反応であるといえます。

次に思春期について検討してみます。
思春期を身体的な側面でいうと、第二次性徴を迎えて大きな身体変化とともに成熟した個体となることです。一方で精神的な側面での思春期の解釈は難しく、簡単には言い表せませんが、一般的には"自我意識の高まり"や"親離れ"、"葛藤の期間"といった理解がなされるかと思います。

そのため思春期にはこれまでにはなかった行動や言動が見られるという点で、『思春期=多感な時期だから=感受性が強い』のような認識が浸透しているのではないでしょうか。

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ですが、僕はこの一般的な考えに疑問を持ちました。それは僕自身がその図式に当てはまらなかったからです。

思春期といえば12〜16,7歳頃、つまり主に中学生に該当します。僕の中学時代を振り返ると、明確な自己意識が芽生えた訳でも、何かに葛藤した訳でもなく、人間関係に深刻な悩みを抱えた訳でもありません。むしろ、のんびり平穏な生活をしていたように思います。それは、僕の周りの友人たちもそうだったように見えました。

そして現在僕は21歳で、自己意識や葛藤が高まりまくっている状況です。つまり、僕にとっての感受性豊かな時期の訪れは20歳以降だということです。

では、僕は何に意識や葛藤があるのか。
それについてはザックリと以下のような内容です。

・自分の生まれ落ちた環境について。
・自分の現在おかれた環境について。
・自分の将来に対する恐ろしさと絶望。
・それらの周囲との比較。
・自分を磨き価値ある人間になりたいという思い。

ここで僕の身の上について語るのは的外れな行為ですので言及しませんが、僕は大学入学後、色々経験したことによって、明らかに自分の内面に変化がありました。大学には色々な人がいます(都市部とは比べものになりませんが)。特に医学科は地方であっても全国から人が集まります。さらに大学生は、自由で開かれた時間の過ごし方が可能な状況にあります。

これはまさに外界の刺激が多いということで、先述の定義に従うと、それらを受容した僕は感受性を育んだということになります。そして僕は、その刺激が圧倒的な規模で自分に降りかかってくると感受性はより一層豊かになるのだと考えます。

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では、その"圧倒的な規模の刺激"とは何か。これには完全に僕の想像ですが、自分もしくは大切な人の生命を脅かすような出来事、自分の社会的価値をおとしめるような出来事や失恋などのトラウマティックな出来事などがあると思います。(極端な例を並べましたが、所謂"人生を変えた出来事"のようなものと考えてください。)

これらの出来事をトリガーにして、人間は悩み苦しみ抜いて自分の存在と向き合い続けます。そして、その"自己との対話"という地味で辛い作業を乗り越えた先に、自分に対する問題意識が活路を示すこととなります。(このプロセスは『地平線を追いかけて満員電車を降りてみた 自分と向き合う物語』という本に表現されています。是非読んでみてください。)

すなわち、外界からの圧倒的な規模の刺激によって導かれた感受性の豊かさは、自分自身に対して問題意識をもつトリガーとなって現れるのです。(→①)

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当然のことながら、"圧倒的な規模の刺激"はいつ自分の身に降りかかってくるか予測できません。突然恋人に振られるかもしれませんし、一夜にして社会的地位・プライドを失ったり身内を亡くしたりするかもしれません(またしても極端な例)。そのため、感受性豊かな時期の訪れは人によって異なるのです。(→②)

しかしながら、自分があまりにも幼い時期に"圧倒的な規模の刺激"がやってきたとしても感受性の豊かさには繋がりにくいはずです。なぜなら幼い時期は精神的に発達途上で、精神的な刺激を受容するに足る機能が未熟だからです。

そこで思春期が1つのターニングポイントとなるのではないかと僕は思います。先述の通り、思春期には身体的発達と共に精神的にも発達します。恐らく、その過程で感受性の豊かさに達する閾値のようなものが形成されるのではないでしょうか。(→③)

思春期の到来により、自分や周囲に対する見方が変わるというのは自己の内面にとって最初の大きな変容です。それを経験する中で"圧倒的な規模の刺激"を感じた人は、思春期が感受性豊かな時期に当てはまります。これが『思春期=感受性が強い』という認識を作っているのだと思います。

一方で特にこれといった刺激のない思春期を送ると、僕のようにその後の大学生活や社会人生活になって初めて感受性豊かな時期が訪れるのです。

はたまた思春期以前に、機能の未熟さを打ち砕くほどあまりにも強烈な精神的な刺激を受けると、思春期の到来を待たずして感受性の豊かさが得られるのかもしれません。

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感受性の豊かさは問題意識のトリガーであるため、人生の航路を定める上で非常に重要です。その時期は早ければよいという訳でもなく、かといって遅いと取り返しがなかなかつきません。時期(タイミング)の適正という点において思春期というのは重要なのかもしれませんね。

そして毎度の主張ですが、外界の刺激の豊富さという点で"田舎で育つ"ということはデメリットしかありません。こちらも併せて読んでいただけると理解が深まるかもしれません。今回もありがとうございました。

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