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嫉妬を望む未来に向かうチカラに変える魔法の言葉

人の喜ばしい報告を素直に喜べないことがある。

華やかな結婚式の写真や記念日の素敵ディナーの投稿。

子供が生まれました、フォロワーが何人を越えました、豪華旅行に行ってきました、本を出版しました、イベント開催して盛況でした、など。

SNSで見かける友人の吉報。


すごく嬉しいことだ。
すごく喜ばしいことだ。

頭では理解している。

だが素直に喜べない自分がいることがある。


全てに対してそう思うわけではない。
ただときに自分の中で何かが引っかかる。

指先のささくれが、たまにチクッと痛いことがある。それくらいの感じだ。

その心のひっかかりは「嫉妬」と分類されるものなのだろう。

Ouch…


何かに反応し、嫉妬することは避けられない。

それは自分が本当は欲しているものが目の前にあらわれて、体や言葉は動かずとも、無意識に心が必死に手を伸ばしているからだ。


ふとしたタイミングで心のささくれに触ってしまい、チクッと痛むことは避けられない。

しかし痛みを感じた後に、
どう行動するかは自分で選択できる。

その行動次第で未来を変えることができる。


苦虫を噛み締めて嫌な気分を引きずりたいのか?
また何度も同じ反応を繰り返したいのか?

それとも、もう心のささくれが痛くならないような望む未来に生きたいのか。

自分で未来を選べるのなら当然、後者を選びたい。

でもどうしたら望む未来を選択できるのだろうと思っていた時に、ひとつ素敵なアドバイスをもらったのでnoteに記しておきたい。


なぜ嫉妬するのかのメカニズム

人の吉報を目の当たりにするたびに、リア充爆発しろと毎回叫ぶほどの過激派は少ないだろう。

要は、嫉妬するものと、嫉妬しないものがある。

その点についてとてもわかりやすい記事がこちら。ぜひ一読をオススメしたい。

相手が自分とは全く違う存在という前提に立てば、羨ましいという気持ちこそあれど、嫉妬で苦しむことはない。

言い換えると、嫉妬の根底には、相手は自分と同質の存在という考えが潜んでいるように思う。

嫉妬に苦しむという感情の正体


つまり、嫉妬とは無意識に自分と相手を同じ土俵に立たせて、勝手に戦って、勝手に負けたと思ってしまっている状態。

そして心の奥底では自分だってホントは勝てたはずなのに!とどこかで思ってしまうことなのだろう。

だから「悔しい」と感じる。

自分にもできるはずなのに現実はそうではない。
できていない部分に目がいってしまう。

上の記事にも書いてあるとおり、全く同じ土俵に立つ気がなければ嫉妬することはない。


例えば自分は「noteで描いていたコミックエッセイが本になりました!」という記事を見かけてもスゴイ!と素直に喜べるし応援できる。それは自分の主戦場がコミックエッセイや漫画ではなく、その土俵に立つ気も全くないからだ。

だが逆に、自分と似たジャンルの記事を書いている人が商業出版しているのを見て「なぜこの人が…」と締め付けられる気分になる時はある。

そういう時は往々にして、自分の方がフォロワー数もスキの数も、あれもこれも…と無意識に人と自分を比較して、妄想の土俵に上がり妄想相撲をして勝手に負けているのだ。


嫉妬の正体

嫉妬は、本当はやりたいのに一歩を踏み出す勇気がなく、でもやってみようとする時に感じる恐怖を、覆い隠すための仮面だったのだ。

ずっとやりたかったことをやりなさい

これはモーニングページを提唱したことで有名な「ずっとやりたかったことをやりなさい」の本の一節。


自分は本当はこうしたかった…を見なかったことにするための仮面。それが嫉妬。

そう考えると嫉妬は自分が本当は手に入れたいと心の底で思っているものに気付かせてくれる。

嫉妬はつねに恐怖を覆い隠す仮面である。自分が欲する物を手に入れられないのではという恐れ、自分に合っていると思いながら怖くて手を伸ばせないものを、他人がやすやすと手に入れていることへのいらだち。そういった感情を覆い隠すための仮面なのだ。

ずっとやりたかったことをやりなさい


普段やってることで嫉妬を感じる時、それは自分がどのような未来を望んでいて、本当はこっちにいきたいと内心思っている方向を気付かせてくれる。

一方、普段やっていないことで、締め付けられるような嫉妬を感じる場合は、無意識下にある強いメッセージに気付ける機会になる。


自分の場合、音楽制作には微塵も興味がない。

普通に音楽が聞ければそれでいいので、ラジオから流れてくるかっこいい音楽を聞いても、単純にかっこいい曲だなと素直に思える。

だがその曲のPVを見た瞬間に、ふつふつと嫉妬と呼ばれる薄暗い何かが湧き上がり、息苦しくなるほど自分を締め付けてくることがある。

かっこいい音楽とともに作り上げられた秀逸な世界観や映像の素晴らしさや、圧巻の域の作り込みなどをアート作品として見て、勝手に負けた気になることがある。

同じような映像作品が作れるのかと問われたらNOなのに、なぜだか異常にすっごく悔しくなる。映像関係の仕事に従事していた経験も影響しているけれど、秀逸な世界観と完成度の高い作品を目の当たりにすることがキツかったりする。

それだけ自分は独自の世界観のある完成度の高い作品を作りたい気持ちが強いのだと気付かせてくれる。

その苦しさは自分にとって大切で譲れないことだという証拠。
きっとそこに自分の才能やらポテンシャルがあるからこそ反応してしまうのだ。

今まではそう思うようにして、こみ上げてきた薄暗く汚いどす黒い感情を抑え込むようにしていた。

でも自分の内側からの声を聞かなかったことにして、ずっと抑え込んで生きていくのはかなりしんどい。


嫉妬と上手く付き合う方法

どうすれば嫉妬と上手く付き合えるのだろうか。

嫉妬で着火した燃えるような怒りを使って、反骨精神で何かを成し遂げるのも1つの手だ。そういうのが得意な人もいる。

でもギラギラしていると、うまく行かないものもある。

結婚式の写真を見てキィィーッとハンカチを噛みしめるような想いをバネに鼻息荒く婚活しても、そんなギラついた人は煙たがられる。


もう少しうまく何とかできないものだろうか。

そう思っていた時に教えてもらった方法が、とても優しくしなやかで秀逸だったので紹介したい。


嫉妬を望む未来に向かうチカラに変える魔法の言葉

他人の何かを見て嫉妬した時は、まず

「次は自分の番だ!」というメッセージとして受け取る。



友人のリア充投稿を見て、ウッとなる前に

「もしかして次は私の番ってこと?」と捉える。

そうすると友人のリア充投稿という痛恨の一撃を食らっても一撃で瀕死になることなく、若干のダメージは受けてもHPを高く保ちつつ踏みとどまることができる。


だが正直なことを言えば、
そう思うだけでは現実は変わらない。

お花畑の妄想をしているだけでは現実は何ひとつ変わらない。


何もしなければ自分の番にはならない。

だから、行動しなくてはいけない。
次が自分の番になるようにするために。


そのための魔法の一言を教えてもらった。


それは、嫉妬するような情報に触れた時、

「次はあなたの番だよ!よーい、アクション!」

と映画撮影のカチンコがカンッ!と鳴るイメージを持つこと。


あなたは自分の人生と言う名のドラマの主人公なのだということを思い出さなくてはならない。

そしてカチンコの音がカンッ!と鳴ったら、そのドラマが動き出すように、主役のあなた自身も動き出す。

立ち尽くしているだけでは、ドラマは進まない。

どんな行動をしたらいいのかなんて気にしなくていい。

あなた自身が何か行動を起こすことでドラマは動き始めるのだから。



素敵な文章を読んで嫉妬した。
それは次はあなたがそんな素敵な文章を書く番だというメッセージ。

「よーい、アクション!」

と聞こえてカチンコが鳴ったら動き出そう。

何をしてもいい。
思うように書いてみてもいい。
うまく書けないのなら、書く題材を探してみてもいい。


次が自分の番になるための、そのための一歩を踏み出せばいい。

それが嫉妬した先に見えた自分の望む未来へ向かう一歩になる。


そう考えるようにしたら、嫉妬との付き合い方が少し楽になってきた。

むしろ自分のドラマが始まるカチンコのカンッ!という音を聞くために、あえて嫉妬するものを探してみるのもいいかもしれない。


大切なのは自分のドラマを生きて動かすことなのだから。


さぁ、1ミリでもいいから動き出そう。

「よーい、アクション!」


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