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将来の夢のはなし

将来の夢は?と聞かれたら、幼稚園時代はケーキ屋さん、小学生時代はキャビンアテンダント、ってこの頃までは割と即答していたのだけれど中学・高校の時に思っていた、将来なりたい職業を思い出せない。 それで大学生になって、3年の今頃から急にリクナビとかマイナビとか見始めるんだよね。 そこにある仕事って今思えば、小さいときは職業自体を知らないものも多い。マーケティングとか広告のなんかとかコンサルとか。 今の仕事はすごく好き。だけど小学生どころか大学生の時も知らない職業だったし、未だに

    • 京都での話

      この前行った京都の藍染屋さんの話。 真ん中に大きな染物が垂れ下がってて、綺麗な藍色がずらっと並んでいて、ジブリ調のピアノ音楽が流れてるような 奥に進んだらおじいさんが座ってて 私が来るの待ってたみたいに「いらっしゃい」って言うの 「いらっしゃい」なのに 「おかえり」って言われたみたいな気持ち 本当、言葉にできないんだけど 心臓のらへんがぶわーーーってなった 店の外に出たら普通に京都の坂なんだけど、 あの感覚は何だったんだろうって未だに分からない そのまま坂を上って

      • 信じると裏切られる、信じないと裏切られない

        最近は、何かを信じたいのに裏切られるのが怖くて 初めから信じていないふりをするのが癖になった。 芦田愛菜ちゃんが「信じるというのは、その人自身を信じているのではなくて、その人の理想像に期待してしまっているだけ」と言っているのを聞いて本当にその通りだと思った。 勝手に信じて勝手に裏切られる。 それなら初めから信じなければ傷つかなくて済むんじゃないかって。 でもそのせいで、自分の中で「これだ」って信じられるような確たるものがどこにもなくなってしまった。 いつも不安でぼやけて

        • 障害者と名付けたのは健常者

          障害者、という呼び方に違和感がある。 東京都現代美術館でやっている『私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ』の中で 工藤春香の《あなたの見ている風景を私は見ることはできない。私の見ている風景をあなたは見ることはできない。》っていう展示があった。 優生思想を進める側の動きが書かれた年表の裏には、障害者側の必死の動きが書かれていて 紙じゃなくて布にプリントされていたから表裏がすごく実感できたし 私散々自由に生きたい、差別なんか無意味だって思ってきたのに 実はこの年表の外側だ

        将来の夢のはなし

          "死"について考える

          何かが死ぬ、というのがよく分からない。 生まれる時は大体の予測がつくのに 死ぬ時は何年後、何十年後かもしれないし 明日突然やってくるかもしれない。 恐れる人もいれば望む人もいて 軽々しく死にたいとは言えるけど 人からいざ死ねと言われると 多分この上なく傷つく 何カ月か前におじいちゃんが死んで 思ったのは 人は死んだら骨になるってこと。 魂が残るとかなんとか言うけど 人は死んだら 他意なく骨になるということを知った。 私はキリスト教世界が好きだから 死後の魂に期待してし

          "死"について考える

          子供より親が大事、と思いたい。2

          『ぜんぶ、ボクのせい』の予告を見た感想、ひたすら軽蔑。 子供を捨てて男を選んだ母親。 コメント欄の「自分の家庭は幸せだなって思った」でドン引き。 大丈夫? 親が子供を育てるのは当たり前だよ。 特別なことでも偉いことでもなんでもないよ。 勝手にこの世に産み落とされて、いらなくなったらもうどうでもいいんだ。 じゃあ産まないで。 そんな親と一緒にいても幸せになれないのに、でも男の子は母親に、一緒にいたいって泣きながら訴える。 傍から見たら施設のお姉さんと一緒の方が絶対に幸

          子供より親が大事、と思いたい。2

          子供より親が大事、と思いたい。

          私の自己肯定感はいつからこんなに下がってしまったんだろうと思う。 顔とかスタイルとかだけじゃなくてもっともっと私の存在価値に関わってくるような、否定されると致命的な部分。 顔に立体感を出したくて、いつもはしないノーズシャドウをしてみた日、自分的には大人っぽくなって気に入ってたのだけど、 リビングに降りていったら母親に「プロレスラーみたい」と笑われた。 外であった話で、こういう時言い返せないんだよね~(笑)って母親に話したら、「え~ださ~」って言われた。 私がテンション高

          子供より親が大事、と思いたい。

          流浪の月、人間の表裏

          流浪の月、見て良かったと思う。でもまた見たくはない。2時間40分は一瞬だったけれど、心がとっても疲れてしまった。 強く人を信じていることを、世間は「洗脳」と言う。自分だったらって映画の途中で想像して、全然普通に死にたくなっちゃった。 横浜流星や多部未華子の、「そっち側の人」を見る、あの目。おかしい人、変な人を見る目が今でも忘れられない。 だけど更紗のいう、私はあなたが思っているより可哀想な子じゃないっていう、なんかそっちの反抗心が、私の心のどこかにある気がして。 一部

          流浪の月、人間の表裏

          見た後、生きる気が失せた映画について

          1983年に製作された、イタリアとソ連による映画『ノスタルジア』(Nostalghia) 見終わって最初の感想は 「あーあ生きる気失せた」 静かで美しい映画はたくさん見てきたけど、その沈黙に息がつまってしまう映画は初めて 憂鬱がそのまま苦しい、 暗闇がそのまま絶望の映画 像の上で演説をするドミニコがどうしても頭から離れてくれない 映画『ミッドナイト・イン・パリ』で、我々人間はいつの時代も、幸せになれないことを時代のせいにしていると確信したのに 人間の力では到底及ば

          見た後、生きる気が失せた映画について

          でも仕方ないわ、生きていきましょう、いつ明けるとも知れない夜を

          先日不思議なことが起こった 映画『ドライブ・マイ・カー』の予告をテレビで見て、あまりに美しいので、予告編の後半で流れるベートーヴェンのテンペストを、一から譜読みして弾けるようになったのは去年の夏のこと 何を思ったのか年が明けてついに、その小説版を買って読んだのがつい先週のこと そこで初めて『ワーニャ伯父』という演劇があることを知り、その二日後になんと偶然大学の授業で『ワーニャ伯父』に再会 文学に触れているとこういう偶然はよくあるもので、それが好きで抜け出せないところは

          でも仕方ないわ、生きていきましょう、いつ明けるとも知れない夜を

          天国なるものについて

          天国というものが好きだ。 とりわけheavenとなると、どこか神秘的でなんて素敵な言葉なんだろうと思うのです。 天国の布 私が最も好きな詩はイェイツの"He wishes for the cloths of heaven"で、抱きしめて眠りたいくらいには好き。 仮定法で「もし私が持っていたら…」と書かれているもの、天の刺繍のされた美しい布ー実際には持っていないもの 詩の半分がその布の修飾語なのだ。どれほど美しい布なのかを長く語っているのは、彼の自信のなさを象徴している

          天国なるものについて

          鬱は知性の産物

          考えすぎて疲れてしまうことがある 気にしすぎだと周りには言われる でも考えずにはいられなくて、でも答えは出なくて、考えて考えて結局苦しむ 他の人が私のことをどう思っているか、私は前髪ありとなしどっちが似合うのか、そういう個人的なものもあれば、 世の中の人全員が幸せになる方法はないのか、人間は争いなしに生きていくことはできないのか、そんな大きな、私一人では到底抱えきれないものまで、 考えても考えても答えは出ない そして答えが出ないこと、答えを出せない自分に失望して、落

          鬱は知性の産物