見た後、生きる気が失せた映画について



1983年に製作された、イタリアとソ連による映画『ノスタルジア』(Nostalghia)

見終わって最初の感想は
「あーあ生きる気失せた」

静かで美しい映画はたくさん見てきたけど、その沈黙に息がつまってしまう映画は初めて

憂鬱がそのまま苦しい、
暗闇がそのまま絶望の映画


像の上で演説をするドミニコがどうしても頭から離れてくれない

我々の時代の不幸は偉大な人間になれないことだ


映画『ミッドナイト・イン・パリ』で、我々人間はいつの時代も、幸せになれないことを時代のせいにしていると確信したのに

人間の力では到底及ばないものがあることを認めたくなかっただけみたいだ

かつてのあの時なら、あの時代に生まれていたら自分はもっと幸せだったかもしれないと何度思ったことか

後の時代の人間にとっては幸せに見えるかもしれない我々も、我々が憧れるかつての人々も、
人間はいつもいつも満たされず、夢ばかり見て死んでいくんだろうか

健全な人よ あなたの健全さが何になる
人類すべてが崖っぷちにいる
転落する運命にある
それを直視しともに食べ眠る勇気がないなら
我々にとって自由は何の役にも立たない

創世記の通り、神が人間をつくったときに、人間を一人では生きられないようにしたのならば、人間はそれに逆らうことはできないのかもしれない

だから一人で健全に生きていないで、それを病める人に分け与えろということ

人類すべてが転落するならば、人類すべてが健全であれということ

その摂理に従えということ

人間よ 従うのだ!
君の中の水に火にそして灰に 灰の中の骨に
骨と灰だ!

従えということ

自然を観察すれば人生は単純だとわかる
原点へ戻ろうではないか 単純な原点に
道を間違えた場所まで戻るのだ
水を汚すことなく根元的な生活へ戻ろう


人間がいくら、自分たちの豊かな暮らしのために自然を破壊したとしても、結局その幸せは自然によってぶっ壊される

これまでも人間の夢や幸せの多くが
塵になって消えた

偏に風の前の塵に同じ


世界は便利になりすぎた、と思う

お前はSNSやサブスク、宅配がなくても良いのか?とかそういう小さなことじゃなくて

もっと根本的な、初歩的な、致命的なもの、
どこまで戻ればいいのかも分からないほど取り返しのつかないところに来てしまった

我々の豊かな暮らしを、天や地、水、森が怒っているのではないかと怯えること

こんなに便利になる前の世の中で
ちょっぴり貧しくてもその短い人生を
やさしく平和に過ごせたらそれでいい、と思う


私は結局なぜ生きる気が失せたかというと

結局私は不幸を時代のせいにしているということ

そして美しい言葉を叫んだドミニコが大衆の前で焼身自殺するということ

偏に風の前の塵に同じ





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