流浪の月、人間の表裏

流浪の月、見て良かったと思う。でもまた見たくはない。2時間40分は一瞬だったけれど、心がとっても疲れてしまった。

強く人を信じていることを、世間は「洗脳」と言う。自分だったらって映画の途中で想像して、全然普通に死にたくなっちゃった。

横浜流星や多部未華子の、「そっち側の人」を見る、あの目。おかしい人、変な人を見る目が今でも忘れられない。

だけど更紗のいう、私はあなたが思っているより可哀想な子じゃないっていう、なんかそっちの反抗心が、私の心のどこかにある気がして。

一部の情報だけで、その人のこと全部知ったつもりになって、そういう人だって決めつけるのがあまりにも危険で、甚だ不安。


大学生になってから痩せている認定を受けることが多くなった。確かに高校生の頃よりも多少瘦せはしたし、初めは細くなれて嬉しかったのだけれど。

バイトしてた塾の受付のおばさんに、そんな細い体で自動ドア開くのって言われてから、素直に喜べないことが増えた。

今でもケーキ屋のバイトで一気にたくさん補充持ってくると、ほっそい腕折れちゃいそうだよ(笑)とか大丈夫?持てる?(笑)とかって言われるのだけど。大丈夫なのに。重くても持てるのに。

色白に生まれたのもそう。私は自分で、美白だから好きなんだけど。白くて腕が細いから、控えめでか弱いと思われてる。あと、聞き上手なこと。自分の意見を押し通す性格じゃない。それが意志のない、弱い人って勝手に思われてる。

笑っちゃうんだけど、仲いいと思ってた親友がくれた手紙に「本当に優しくて、周りの人の意見を尊重するあまり、自分の意見を主張しない」「もっとワガママになってもいいと思う」ってご丁寧に書いてくださってて、ショックだった。馬鹿にされた気がして。

あれ?この人わたしのこと全くわかってなくない?って。知ったふりするなよ?って。この人に限らず。

対立した時は出しゃばらないし遠慮がちになるけど、それは意志が弱いからじゃなくて相手を傷つけたくないからだってみんな知らない。

せっかく遊ぶ日は嫌な気持ちになってほしくなくて、何度遅刻されても明るいふりして許しちゃうけど、こいつなら大丈夫だろ、ちょろいだろって思われてるのかもしれない。見た目が与える印象のせいで。白くて細くて一歩引いてるから。か弱いから。


でも本当は、中身ぐっちゃぐちゃに煮えたぎってんの。
嫌いなものは嫌いだし、許せないものは許さない。人から言われて傷ついた言葉は全部全部覚えてるし、間違ってるものは絶対に信じない。譲れない思いがあるし、野望もある。理解できないものは容赦なく軽蔑する。


見た目や印象のせいで、こういう人だっていう基準が勝手に敷かれてしまうのは生きづらいね、という話。

下に見るなよ、と。見た目は白くて細くても、中身は真っ赤に燃えてて図太いんだから。


だから更紗の、私はあなたに何を許されなくちゃならないの?っていう言葉が映画でも原作でもとっても好きだった。あなたのおまけ、あなたの隣、あなたの思い通り。全部違うよ

誘拐された可哀想な子って思われて、誘拐された可哀想な子役を演じているような。

見た目と中身のギャップ、周りから思われている自分と本当の自分のギャップに苦しんでいる。
みんなが求めている自分は、本当の自分じゃなくて、みんなが勝手に思っている自分だけなのかもしれないって苦しんでいる。

逆も然りで、他人は自分が思っているその人じゃないのかもしれないと思うと、なんだか全部を知っている人なんてどこにもいなくて、それでも誰も掬ってくれない部分を拾ってくれるような、更紗にとっての文みたいな人が、この世のどこかに一人でもいたら素敵だなあ、と思ってみたり。


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