でも仕方ないわ、生きていきましょう、いつ明けるとも知れない夜を


先日不思議なことが起こった


映画『ドライブ・マイ・カー』の予告をテレビで見て、あまりに美しいので、予告編の後半で流れるベートーヴェンのテンペストを、一から譜読みして弾けるようになったのは去年の夏のこと


何を思ったのか年が明けてついに、その小説版を買って読んだのがつい先週のこと

そこで初めて『ワーニャ伯父』という演劇があることを知り、その二日後になんと偶然大学の授業で『ワーニャ伯父』に再会

文学に触れているとこういう偶然はよくあるもので、それが好きで抜け出せないところはある

ただ今回の『ワーニャ伯父』に限ってはそんなもんじゃなかった、

人生というものがあまりにどうしようもなくて、
でも一方でソーニャの発する言葉があまりに真っ直ぐで美しいので、私は『ワーニャ伯父』のことが忘れられなくなってしまった



ロシア帝国の政治体制が事実上崩壊したにも関わらず、代わりになる政策は見当たらない。

帝国時代に順調だった地方の大地主は没落。人々が生きる目的を見出せなかった、虚無と絶望の時代。

ワーニャ伯父も没落地主の1人で、多額の借金を抱えたまま元の土地で働いていた。彼もまた、なぜ生きているのかわからなくなってしまう。

とにかくつらい、とてもつらい。

ワーニャ伯父は、姪のソーニャに向かって、自分はもうすぐ47で、60で死ぬとしてもあと13年も生きなければならない、と言う

私は、頭をぶん殴られたみたいな気持ちになった。絶望した。そんなの、じゃあ私はどうしろっていうのよ

人生100年時代の今、ちょっと早めに80で死んだとしてもあと60年近く生きなきゃならない私は、一体何の目的のために、そんだけ長く生きていかなきゃならないのよ

『ワーニャ伯父』の文学としての特徴は、たっぷりの絶望の中に、ほんのわずか見えるか見えないかもわからないほど微かな希望が潜んでいるということ

ソーニャはワーニャ伯父に言う

でも、仕方がないわ、生きていかなければ!

その通りだと思った。私たちは生まれた以上、生きていかなければならなくて、みんな大体生きてる理由なんてそんなもんなんじゃないかと。

生きていきましょうよ。長い、はてしないその日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通して行きましょうね。運命が私たちに下す試みを、辛抱強く、ずっと堪えて行きましょうね。今のうちも、やがて年を取ってからも、片時も休まずに、人のために働きましょうね。


ああ、なんてつらいの。生きることってなんでこんなにつらいんでしょう。これから先、きっと何度も何度も、暗闇の中で息ができなくなるような瞬間が来るのです。そしてそれを耐えなければならない。じっと生き抜かなくてはならない。

そして、やがてその時が来たら、素直に死んでいきましょうね。


だけどこの一文にすごく救われた気がした。

あぁそっか、望んでなくてもいつかは死ぬのね。

いつか必ず終わりは来るのね

つらい日々はいつか必ず終わるんだわ

あの世へ行ったら、どんなに私たちが苦しかったか、どんなに涙を流したか、どんなにつらい一生を送ってきたか、それを残らず申し上げましょうね。すると神様は、まあ気の毒に、と思ってくださる。その時こそ、ねえ伯父さん、あなたにも私にも、明るいすばらしい、何とも言えない生活が開けて、嬉しい!と思わず声をあげるのよ。


私は『ワーニャ伯父』を全文読んだこともなければ舞台を見たこともない。だから分からないけど、でも何故か、このセリフは笑いながら泣いている声で再生された。

実際あるのかも分からない、死後の救いを切望する人

そして現在の不仕合わせな暮しを、なつかしく、微笑ましく振り返って、私たちほっと息がつけるんだわ。わたし、本当にそう思うの。心底から、燃えるように、焼けつくように、私そう思うの、ほっと息がつけるんだわ!

つらくても生きていかなければならない、というのは正しい。今生きている人間はみんなそれをわかって生きている、きっと。

自分の人生を生きていても、ニュースで他人の人生を知っても、つくづく思うのは本当何もかもどうしようもないな、ということ。この国も社会も世界も人生も、何もかも本当にしょうもなくて、どうしようもなくて何なんだよ、と思うのです

現世はつらくてもあの世で幸せになろう、というのはキリスト教の思想に近い。聖書にも、悲しみの後に喜びがある、という記述がある。

でもみんな、だからといってつらい人生を生きていたい人なんていないんじゃないかな、
いつか救われることだけを頼りに、苦しい思いをしてもいいという人がいるんだろうか。

私はどうしても、この世でも幸せでいさせてくれよ、と思ってしまう。

でもそんなことって絶対ない。苦しまなきゃ生きていけないようになってる


だから、私はこうやって、美しい言葉をかき集めているのかもしれない。

なんて美しい言葉なの、って感じることが生きがいだって、こんな素敵な言葉に出会えて良かったって思い込んで、必死に、どうしようもない日を生きているのかも知れない

その言葉が自分を助けてくれると信じて、大事に大事に、自分のものにしている






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