天国なるものについて

天国というものが好きだ。
とりわけheavenとなると、どこか神秘的でなんて素敵な言葉なんだろうと思うのです。


天国の布

私が最も好きな詩はイェイツの"He wishes for the cloths of heaven"で、抱きしめて眠りたいくらいには好き。

Had I the heavens’ embroidered cloths,
Enwrought with golden and silver light,
The blue and the dim and the dark cloths
Of night and light and the half-light,
I would spread the cloths under your feet:
But I, being poor, have only my dreams;
I have spread my dreams under your feet;
Tread softly because you tread on my 
dreams.

仮定法で「もし私が持っていたら…」と書かれているもの、天の刺繍のされた美しい布ー実際には持っていないもの

詩の半分がその布の修飾語なのだ。どれほど美しい布なのかを長く語っているのは、彼の自信のなさを象徴している気がした。彼はその布を持っていないのだから。

"貧しい私が持っているのは夢だけ"

ここでは主語がIなのに、タイトルではheになっている。無力な自分を認めたくない気持ちがあるのか、美しい布を持つことのできない人物とは距離を置いている。それは彼自身であるというのに。

私が最も感銘を受けたのは最後の2行。

"私はあなたの足元に夢を広げた
やさしく踏んで あなたは私の夢に足を踏み入れているのだから"

自分が唯一持っている夢を、やさしく踏んでくれ

人間のこういう、弱い部分がなんとも好きなのです。とても美しくて。
命令形なのに、なんて脆い1行なの。

美しい刺繍の布は天国の布。見たことも行ったこともないのに、私の頭の中ではキラキラと輝いている布。heavenというロマンが私には眩しくてたまらないのです。


あなたが天に昇るとき

OASISの"Let There Be Love"は、目を閉じて聴きたい歌。

I hope the weather is calm as you sail up your heavenly stream.

"あなたが天に昇るとき
静かな天気でありますように"

空が静かでやさしい日に天に昇れますように、という願い。

なんといってもタイトルが"Let There Be Love"なのだ、

愛がありますように。 


だからきっと、天気の静かな日に空へ昇れますように、という願いは愛なのだ。

死なないでくれ、天には昇らないでくれと、自然の摂理に逆らってまで一緒にいることを望むのは愛ではなく、あなたが死ぬ日は静かでやさしい天気でありますように、と祈ることが愛なのかなあ


天国への小さな旅

4年前の春、下北沢のとある古着屋でなんとも愛らしい白いブラウスを買いました。

古着屋ならではの、私だけのもの、という感覚。

店の名前を"Little Trip To Heaven"といいます。

店内を見て回る時、夢を見ているようにふわふわとした気持ちになる。

なんとも言葉にし難いが、確かなのはそこが天国への小さな旅であるということ。

ただLittle Tripという名前であるのと、Little Trip To Heavenであるのとは、あの空間の輝き方がまるで違うのです。


だから私は、heavenとはなんて美しいものなのだ、と思ってしまう。

見たことも行ったこともないheavenに憧れてしまう。




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