子供より親が大事、と思いたい。
私の自己肯定感はいつからこんなに下がってしまったんだろうと思う。
顔とかスタイルとかだけじゃなくてもっともっと私の存在価値に関わってくるような、否定されると致命的な部分。
顔に立体感を出したくて、いつもはしないノーズシャドウをしてみた日、自分的には大人っぽくなって気に入ってたのだけど、
リビングに降りていったら母親に「プロレスラーみたい」と笑われた。
外であった話で、こういう時言い返せないんだよね~(笑)って母親に話したら、「え~ださ~」って言われた。
私がテンション高いとき、低いときを選ばず母親から職場の愚痴を話されるけど、私がその日嬉しかった話はスマホに夢中で聞いてくれない、
前に大学で書いてた英語論文が出来上がって、嬉しくて「終わった!」と目を輝かせながら母親にパソコンの画面を見せたら、
ちょうどYouTube聞いてて、めんどくさそうにイヤホン外しながら「何?」と言われ、もう一回説明したら「英語だから何書いてあるかわかんない」ってまたイヤホンしちゃった。
今まで私のこと否定してきたのはずっと自分自身だと思ってたけど、もしかして母親だったのか?と最近気づいた。というかその説にたどり着いてしまった、悲しいことに。
ノーズシャドウが変だったら「もうちょっとぼかした方が自然じゃない?」とか、人に言い返せないって言われたら「わかる、言いづらいよね」とか、嬉しかった話は聞いてほしいし、英語の論文見せたら一言「すごいね」、で良かった。
これって私がワガママ?
母親に話を聞いてほしい、褒めてほしいって思う子供はおかしいの?
考えてみたら昔からそうだったかもしれない。両親に褒めてほしくて家じゃいい話ばっかりしてた。学校の漢字テストで100点だった話はしたけど、ピアノ教室で「もっと練習してきてね」と言われた話はしなかった。怒られるのが怖かったし、みんなが悲しむって思ってた。
でも自分で自分の首を絞めてたのかもしれない。両親は私が優秀だとばかり思って、もっともっとって学歴を求めるようになった。挑戦ではなくて、あたかもうちの子はいけるにきまってる、っていうスタンスで。
外で言いたくて仕方ないんだ。自分の子の優秀な話。
昔は嬉しかった。見せてきた一部の優秀な私を無理やりかき集めて褒められたり、祖父母に自慢したりするのを見てきて、私のことで両親が喜んでるのが嬉しかった。
でも今は違う。ここ1、2年だと思う。母親がそういう、今まで私が成功してきたのは自分のおかげだって話すようになった。
自分は若いとき母親がそうしてくれなかったけど、私は努力してあなたにこういうことをしてあげた、おかげであなたは今大学に通えてる、って。
えっと、私が大学に通えてるのは親が学費を払ってくれてるから、もそうだけど、私が努力して勉強してきたから、っていうのもあるよ。
確かに感謝の気持ちはあるけど、母親の見てない所で私は努力してきたのに、なかったことにされてる気がして。
親が敷いたレールの上を逆らわずに通って生きていけば、親は認めてくれる。親に認められるために生きているみたいな。
だから自分らしくいると否定されてしまう。それで自分って価値ないなって思って、自信をなくす。
でもそれって馬鹿な話。確かに親は産んでくれて、育ててくれたけど、生まれた時点でこの人生、私のものだ。
勝手に産んでおいて、思い通りな子に育たないと怒って、理想の子に育つと自分の手柄になってそれで満足。
世の中の親たちは「子供より親が大事」って言い聞かせて自分を正当化したくなるのかもしれないけど、絶対に子供の方が大事。
まだ未熟な子供につけこんで、自分たちが正しいって親は刷り込む。大人は知ってる外の世界でも、都合が悪ければ子供には見せない。だから子供は知れない。
「私」は桜桃を独り占めしてるけど、子供はそもそも桜桃の存在自体知らない。大人ってずるい。
「桜桃」では子供たちの声がない。まだ考えられる年齢じゃないけれども。
この子供たちはどうなっちゃうんだろうか。将来、こんな父親を責めるだろうか。
結局、我慢しているのはいつも子供ばっかで、親は欲のままに生きている。時々子供を利用して承認欲求を満たしたり、必要なければ子供は追い払われたり。
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