『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』シェリー・ケーガン

はじめに:哲学的問いに挑む

本書では、死とは一体なんであるか、人間にとって敵であるか味方であるか、科学的及び哲学的に考察されている。

女史は、近年、死とは一体何なのか、よく考えるようになった。死んだら人はどうなるのか。死とは、恐れるべきものなのか。

結果的に、本書で満足する結論を得ることはできなかったが、今後も死について議論していくためのインプットができたと思ったので、本記事でも少し紹介したい。

異郷から来た女史が何者か知りたい人はこれを読んでくれ。

そして、女史のnoteをどう読むか、こちらを参考にしてくれ。

死ぬとは:身体説と人格説

死とは、一体どの状態を指すのか。体が死んだら死か。それでは脳死などの場合は死と言うのか。これには2説ある。身体説と人格説だ。

身体説とは、人間の身体機能が停止した時点で、死とみなす。

人格説とは、人間の精神機能謂わば心が停止した時点で、死とみなす。

前者も後者とも、交通事故で死んだ場合を死とみなす。ただ、脳死状態になった場合はどうだろう。身体説の場合はこれを死とはみなさず、人格説の場合は死とみなす。

しかし、人格説のように、精神が機能していないと判断することは可能であろうか。脳死や昏睡状態の人間の精神が機能していないとは現代の科学で証明できるか。結局は、現代の科学において、人格説は、身体説と同じく、身体機能停止を死として判断せざるを得ないはずである。

故に、本著で著者は、身体説を採用している。

身体機能そのものが停止した時、人は死ぬのである。

死の恐怖:利益損失

それでは、身体機能が停止することが死であるとすると、人はなぜ死を恐れるのだろう。

これにはおそらく2点ある。死ぬまでのプロセスに苦しみを伴う点と、生きていれば得られたはずの利益を享受できなくなる点だ。

前者については説明不要である。死ぬときに痛い思いをしたいと望む人はいない。

後者に関しては、例えば20歳の若さで事故死したとする。その際に、生きていればあんなこともこんなこともして楽しめたはずなのに、、、。と嘆くはずである。それが、人が死を恐れる理由である。

人は、長く生きていれば手に入ったはずの経験が、手に入らなくなってしまうから死を恐れるのである。

不死は最善か:永遠と人間の要件

それでは、不死になってみたらどうだろう。永遠に生きることができ、死を恐れる必要もない。

結論、不死は最善ではない。人間にとっての最善解は、その個人が望む分だけ生きれることである。

人間は、どう努力しても老いには勝てない。身体機能や認知機能は衰える。まずは、この現実を受け入れることが必要である。秦の始皇帝の如く、不老不死を追い求めることなど、人間には所詮不可能なのである。

その現実を受け入れたうえで、自分が望む年数だけ、病気や事故に合わずに健康を維持した状態で生きることが最良の人生である。それが何年であるかは、人の価値観に依るのである。

自殺:自殺の合理性

死を考える上で、必ず出てくるのが自殺である。前章で、人は、自分が望む年数だけ生きることが最良解であると書いた。それでは、個人が死を望めば自殺することが最良解となるのであろうか。

本書では、合理性の観点から、自殺を分析している。結論、合理性の観点から言って、自殺が合理的であると言えるケースは現状めったに存在しない。

人が死を恐れるのは、将来手に入るはずの利益が手に入らなくなったからであると述べた。逆に、人が死を望むということは、人が、生きていると逆に利益を損失してしまうケースである。生きていると辛い思いをする。死んだ方がましである。人間はこう考えて自殺を試みる。

しかし、果たしてそうであろうか。果たして、本当に死んだ方が、生きている場合の利益を上回るのであろうか。

著者は、科学がどれだけ発展しても決して治療薬の発見ができない、不治の病を患った場合などが、その合理的ケースであるとしている。しかし、自身の病が生涯不治であるとは証明できない。将来起こりうることを100%予測したうえで、治療不可能だ、と言うことはできない。

また、日本でもよく見られるように、仕事の人間関係、受験、いじめなどで思い悩んで自殺するケースがある。これらは、本当に、生きているよりも死んだ方が利益が高いのか。自殺をせずに、25歳で仕事で思い悩んで自殺した人がいたとする。その人がもし、仕事を辞めていれば、思い悩む必要はなく、残り50年を豊かに暮らせたかもしれない。

ほとんどの自殺のケースの場合、短期的な時間軸に着目しすぎており、生きているより死んだ方がマシだと感じてしまう。しかし、長期的な視点に立った時、人生を長く生きて得られる利益の方が、自殺をして得られる利益を上回るのである。

おわりに:合理的な死を迎えるために

本作は、死を合理的に分析している。

女史は、自殺の章が非常に興味深かった。女史の読者の中にも、本気度はさておき、自殺したほうがマシなのでは、、、?という考えが頭を過ったことがある人が多くいるだろう。女史もそのような経験はしょっちゅうある。

しかし、人生とは、短期的な視点で語るべきものではない。長期的に自分の人生を俯瞰して見た際、自分の現在の状況とは、小さな点に過ぎないのである。

一方で、人生とは、そのような小さな点の繋ぎ合わせでもある。

小さな点一つ一つを大事にする必要がある一方で、一つの点に拘り過ぎる必要はないのである。


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