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『レター教室』三島由紀夫

はじめに:異色の三島作品

今回は、三島由紀夫の中でも非常に異色の作品を紹介する。題名の通り、手紙とは何たるかを、5人の登場人物の手紙のやり取りのみを通じて表現する作品である。

手紙なんて一切書く機会のない時代に、本作品を見直し、現代における人のコミュニケーションの在り方を考えて見るのもよい機会である。そう思ったため、女史は本作品を紹介する。

異郷から来た女史が何者か知りたい人はこれを読んでくれ。

そして、女史のnoteをどう読むか、こちらを参考にしてくれ。

手紙とは:個性を表現する芸術作品

本書には、5人の男女が登場する。それら5人の登場人物は皆、異なるバックグラウンドと性格を持っており、その彼らがやり取りする手紙は全く異なる書きっぷりで有り、それぞれが個性を持っている。

英語教室を営む中年女性とその教え子のOL、好色な小説家、好青年、怠け者の青年の5人である。彼ら5人に共通するのは、手紙をまめにやり取りする点である。

5人は、借金の申し込み、世間話、色恋etc...、様々なトピックのやり取りを手紙で行う。これらを全て三島由紀夫一人が書き上げた作品であるとは、にわかに信じがたい。

彼らのやり取りを通じて、手紙とは一体何のために、そして、どう書くべきなのか、三島由紀夫がレクチャーしてくれるというのだ。

おわりに:手紙の持つ醍醐味はどこに向かうか

今回は、異色の三島作品を紹介した。現代社会では、手紙をやり取りすることなど減ってきた。さらに、ペーパーレスのご時世に、むやみやたらに紙を消費することを、女史は良いと思わない。

しかし、手紙の持っていた醍醐味は一体どこに向かっていくのだろう。手紙は、文章のみならず、字体も手紙全体に影響を与える。便箋、そして、文香による香りづけなども、手紙の構成要素である。謂わば、手紙は、キャンバスに描く絵のようなものである。

それでは、メールやSNSでのやり取りがほぼ全てを占める世の中で、手紙の持っていた醍醐味は死んでしまうのだろうか。おそらく、そうである。我々は相手の字を見て、あー丁寧な性格だ、大胆な性格だ、などと判断する機会はほとんどない。便箋の趣味で相手の趣味を判断することもない。

これは嘆くべきことだろうか。否、文化とは、時代の流れ、技術の発展と共に淘汰される。人類の進化の過程で当然の理である。そして、手紙という文化を淘汰することを選択したのは、誰でもない、我々自身なのである。嘆くべきことではなかろう。

手紙の持つ醍醐味は死んだ。一方で、手紙に取って代わった現代技術には、手紙にはない醍醐味があるはずである。古きを温めて新しきを知る、とはまさにそうだ。手紙とは、人間の生活にどう影響したか。現代のSNSはどう我々に影響しているか。例えば、コロナ問題で外出自粛が謳われる中、皆はSNSをどのように使っているか。

三島由紀夫の面白可笑しなレター教室に入門し、現代のコミュニケーションをぼんやりと考え直して見るのもよいかもしれない。


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