逝く人への想い。
こんにちは!バリ島発オリジナルバッグ "sisi"の生島尚美です😀
去年の暮れ、12月26日にバリ・ヒンドゥー教の大切なお祭り「ガルンガン」がやって来ていました。 210日に一度やってくる(ウク歴という歴で計算されている為)このバリ人にとって大切な日は、その前後1日ずつがそれぞれプナンパハン・ガルンガン、マニス・ガルンガン、などと言われそれぞれが準備やなんやで忙しい日となっています。
「日本のお盆みたいなものでしょうか」と聞かれると説明しています。
彼らは儀式のすべてを(最近は、お祭りの時に外に立てる門松のような「ペンジョール」などを外で「ほぼ出来合い」のを買う都会の方の家もある)手作りで準備している為にガルンガンが近づいて来ると本当に急がしそう。(特に女性)
我が家は日本人家族なので、その準備の一部を「手伝う」という名の下にバリ人のスタッフに「ご馳走」をお裾分けしてもらっています。
去年はこんな感じでした。
写真はうちのお手伝いさんのお家にお邪魔して、お邪魔した...時。
いつもガルンガンの時は家もお店もスタッフ皆お休みなので、当然sisiは閉店しているのですが、今期はクリスマスと重なった為に、我が家でお店番(私が中心ではあったものの、夫や子供たち、ワンコまで出勤!)していました。
何故かいつもお祭りの時に添えられる「ヤクルト」。
我が家の子どもたちが好きだからサービスしてくれているのだろうか。
ちなみにインドネシアにはYakult進出しています。
そして、この「ガルンガン」の10日後に行なわれる「クニンガン」は「迎え盆」に対して「送り盆」と表現されている大事な日。
この日も10日前のガルンガンと同じく、通常お店は休みなのですが、やはり私はお店番。先に夫がお店を開けてくれていて、私は家で退屈している子供2人を近所のお友達の家へ。
お友達の家のすぐ近くにバリ・ヒンドゥーの「お墓」があります。
私も詳しい事は分からないのですが、村にはそれぞれ死者のための寺である『プラ・ダレム』というものがあり、その横に 遺体安置所というか、なんというか...日本人の私たちには「お墓」というのが分かりやすいかもしれません。(わたしは長くバリに暮らしていますが、そこまでこういった事情に詳しく無いので間違えていたらスイマセン🙏)
ま、その「お墓」があるのですが、このクニンガンの日にそこを通って3人乗り(子供2人をバイクに乗せて)で通り過ぎました。
渋滞するウブドの道から少し入っただけで、一気に空気が変わり、なんだか通り過ぎるだけ、がもったいないような雰囲気のそこ。 大きな木の脇の「クブラン」と呼ばれるいわゆるお墓が、通常は墓石がちょこちょこと並んでいるだけなのに、この日は色々なお供えがなされている。
私は普段、このクブランを通らないのでハッキリ言えないのですが、クニンガンだからなのかな?
徐行して、お供えをしているバリの人たちに目で(眉毛で?)挨拶しつつ、通り過ぎた後も気になって。
子供たちをお友達の家に置いた帰り道、私の方をとても興味深そうに見ていた女性2人組が、まだひとつのお墓の前にいらっしゃって、私を見て
「あ、戻って来た」
と いう表情をなさいました。
日本だとお墓参り中の方に声をかけて色々聞いて、更に写真まで撮る、というのは非常識極まりない行動なのかもしれませんが、こちらではそれは異なります。
もちろん礼節はわきまえなくてはダメだとは思うのですが、その澄んだ空気の中の2人の様子が、変な言い方ですが美しくて、気になってしまって。
近くにバイクを停めて「ちょっと見せてもらっても良いですか?」と尋ねると「もちろん、もちろん、お父さんなの、見ていってちょうだい」と。
聞けば、彼女らは母娘。娘さんのお父さんである、
お母さんの旦那さんが8月に亡くなられたところだとのこと。
通常、遺体をまずこのクブランに安置し、お葬式の資金がたまってからいい日を選んで遺体を火葬するのです。(位の高い人やタイミングがあったり、金銭的に余裕がある場合?などは安置せずすぐ火葬する場合もあり)
なので「いつ、お葬式をするんですか?」と聞いたら「3年後、ほら、見て、隣も全部親戚なの」と。お父さんのお墓のすぐ脇の2つはそれぞれ9月と10月、奥のところは12月!
親戚、亡くなり過ぎちゃう??呪い???
と、なりそうですが、そこがちょっと違うのです。
聞けば「そりゃそう」なのですが、この一体は王族や貴族のお墓の場所。 同じ村の同じカースト(バリにはカーストあります。インドのそれとは大きく違い、一部の僧侶などの職業にはなれないものがありますが、基本、自由です。下のカーストの人が上のカーストのスタッフの上司なんてこともざら。)の人たちは、ざくっと言えば、ほぼ皆親戚。 (スードラと言われる平民階級は人数も多くて、皆親戚ではないかもしれませんが)
「あっちのお寺に近い所ね、あそこが僧侶階級のお墓よ」
と、教えてくれました。ちなみに少し奥の広いところは
「あそこはその他大勢」と(😳)。
バリでは、死に対する価値観が日本のそれとは本当に大きく異なっていると思います。 バリ・ヒンドゥーの詳しい事は分からない私ですが、日々、多くのバリの人と触れ合って、関わって感じる事です。
医療の発達とともに「生に対する執着」というものは、増えて来たように思いますが、まだまだ「しょうがない」「そういう運命だった」「現世は終わり」と、いうような「受け入れる力」がとても強いように思います。
とは言え まだ、旦那さんが亡くなって3ヶ月しか経ってないお母さん。旦那さんの事を話すうちに涙がこぼれそうになって。
お兄さんのね、お葬式をこの前終えてね、「これで安心した〜」なんて言ってた数日後に逝っちゃったのよ。お腹の具合が悪いなぁ、病院行こう、って行って、そのまま病院に数日入院して、そして逝っちゃったの、と。
「安心し過ぎたんですかね。お兄さんが寂しくて連れて行っちゃったんですかね」なんて、日本だと「お前が軽々しく言うな」というような事も私の口をつく。
「ほんと、そうだったのかもねぇ。お兄さん、寂しかったのかしら」と。
バリではね、人が亡くなった後に霊能者に話を聞きに行くのよ。そしたら「お墓に白い服を備えて、って言ってるから用意してあげて」と言われたの。 上着は白でも、普通下のカマン(サロン?巻く布)は柄物でしょう?でも、夫はいつも白いのが好きでねぇ、だからなのね。ほら、真っ白で全部用意したのよ、と微笑むお母さん、とそのお母さんを後ろから優しく支える娘さん。
「お父さん、じゃ、喜んでますね」と、私。
「あなたともね、こうしてお父さんのお陰でクニンガンの日に出会えたでしょう?これもご縁ねぇ、嬉しいわ。写真?是非是非撮って」
と、まで言って頂きました。お父さんの儀式の晴れ着が眩しかったです。
ちなみに↓の動画で去年、sisiのバリ人専務 Kawiとお墓や儀式の話少ししていましたので参考までにご覧下さい。13:10辺りから、その話になります。
ちなみに...先程、村中親戚、の話から派生して。
移住して来たばかりの外国人がバリ人スタッフを雇用して、しょっちゅう「おじさんが死んだ、兄弟が死んだ」と言われ驚いて その度にお休みさせてあげたり早退させてたけれど、一体何人親戚居るの???となる訳ですが、先程の話の用に村中 大体 近所はmasih keluarga(遠い親戚)な訳です。
なので、どこまでを「休んで良い」とするかはボス次第です〜〜
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