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#和歌山
震災から10年、福島から海外へ避難して~Ⅰ家族のプロフィール
今度の3月11日であの日から10年が経つ。2011年3月11日、東日本大震災。私と3人の子供達は福島県川俣町で震災に遭った。今、カナダであの時を振り返ると、10年が1年のようにも感じる。随分遠いところまで来たなあ。逃げ切れたのかなあ。でもカナダの永住権、その後の市民権が取れるまでまだ私達の避難生活は終わってない…
今日から少しずつ当時のことから今日に至るまで私たち家族の軌跡を振り返ってみたい。
震災から10年、福島から海外へ避難して〜Ⅹ 内部被曝した⁈
Ⅹ 内部被曝した?!
私は町営住宅に住んでいたのでどうしても全部の荷物を引き揚げざるを得ず、また、あの短い滞在中に分別して物を捨てることもできなかったので、放射能がついたであろう物を持ってきてしまいました。子ども達は「大丈夫なの?」と心配そうでしたが、どうしようもないので、「大丈夫、大丈夫。」と言うしかありませんでした。出来るだけ拭き取れる物は拭き、外に置きっぱなしだった子どもたちの自転車ごしご
震災から10年、福島から海外へ避難して~Ⅷ 和歌山にて 母に追い出されそうに
Ⅷ 和歌山にて
1. 役場と学校に行った! 3月17日、紀美野町役場に行きました。私の住んでいた福島県川俣町は福島第一原発から42㎞、避難区域は30㎞圏内なので、私は自主避難にあたります。本来なら行政に何も言えない立場のはずですが、震災がきっかけで避難したことに変わりはないので、役場に報告だけはしておこうかな、と思ったのです。
「自主避難ですが、」と言ったのですが、役場の人達は福島から来たとい
震災から10年、福島から海外へ避難して~Ⅷ 和歌山にて 親友も合流
5. 親友も来た!
私は福島で子ども劇場に入っていて、劇場を通じた友人がたくさんいました。その中でも一番交友が深く、次男の幼稚園の時からの親友のお母さんでもある友人のAさんから、3月17日の夕方、「避難しようと思うんだけど、どこかないかな?」とメールが来ました。私は、山形や奈良県の自然農の仲間が住むところを提供してくれるという、やまなみ農場の佐藤幸子さんから聞いた情報を教えました。
翌日の夕
震災から10年、福島から海外へ避難して〜Ⅸ 福島に戻らなきゃ!
Ⅸ 福島に戻らなきゃ!
1.明け渡しの通告
福島では町営住宅に住んでいました。避難して2週間後の3月下旬、和歌山に避難したことを町役場の担当者に伝えると、交通事情が悪いのですぐには戻れないだろうが、何年も荷物を置きっぱなしにすることはできない、と言われました。
私自身も、春休みが終わって新学期が始まれば、子どもの学用品や服、家具などがないと困ると思い、できるだけ早く取りに戻りたいと思いまし