生駒

問題だらけの三十路です。

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最近の記事

カウンセリング記②

3回目のカウンセリングが終わった。 最初2回は過去の聞き取りに終始した。前回の最後に、先生から「次回は”安全地帯”を作りましょう」と言われていた。 (どうでもよいが、安全地帯と言うと、玉置●二と青◆典子の不倫を報じた週刊誌の見出し『危険な安全地帯!』が脳裏に浮かぶ。もちろん、先生が言っているのはこちらの安全地帯ではない。) 確かに、機能不全家族に育った私には、安全と思える場所が乏しい。 詳細は割愛するが、”安全地帯”の作成は少し不思議な体験だった。 先生の指示に従っていると

    • カウンセリング記

      先日、ツイッター経由でマシュマロを頂いた。 おそらく長く私の書くものを読んで下さっていた方からだと思う(マシュマロは匿名メッセージサービスなので、どなたから頂いたものか正確には分からない)。 私は昔からよくオタク垢で教育虐待の話をつぶやくため、長くフォローくださっている方は皆、私の歪な成長録をご存知なのだ。 頂いた内容としては、「トラウマ治療が有用だと思うので、カウンセリングに行ってみてはどうか」というものだった。 頂いたマシュマロを読んで、正直なところ少し戸惑った。トラウ

      • この世のなごり 夜もなごり

        休職した。 正確に言うと溜まった有給を取得している。 精神科で「適応障害のため一か月の休養を要する」という診断書を貰ったその足で会社に向かい、休職したい旨を上長に伝えた。 伝えるときは震えた。本当にこれが合っているのか分からなかったから。 診断書を提出するのも実は一苦労だった。 「もう少しくらい我慢できるんじゃないか。普通の人ならこんなことで音を上げたりしない」という考えがぐるぐると脳内を巡り、「アンタは本当に我慢がない」という幼い頃からの母の罵倒が蘇り、提出を止めようかと

        • 太陽の横

          生まれて初めて人を好きになったのは、29の初夏だった。 相手と出会ったのは某アプリで、彼は2つ年上の医師だった。 31、2でフラフラしている男性医師がまともな訳がなく、見事におぼこい私は振り回されたのだが、今思い返すと初心者の強みで私もかなりいい勝負で振り回していたとは思う。 すったもんだをしていた間、約3か月。まぁまぁ無駄ではあったが、楽しくもあった。 LINEのあの独特なリズムのバイブが聞こえた瞬間にビーチフラッグか?という速度でスマホを引っ掴みメッセージを確認するな

        カウンセリング記②

          自信

          何をやっていても自信がない。 全ての局面で、という訳ではないのだが、自分の決断に全くと言っていい程自信がない。 コンビニで自分の昼食を決めることすらなかなか出来ない。 値段と腹持ち、何が食べたいのかという希望、そういったものがごちゃごちゃとして、肝心の決断がいっかな出来ない。 なんとか決めて会計が終わってから、やけにじんねりと後悔すること山の如し、という日々だ。 最近は弁当を職場に持参するようになったが、健康や家計を考えて、という訳ではなく、決断出来ずに棚の前で商品を手に取っ

          白い犬とワルツを

          脳腫瘍が見つかった。 といっても髄膜腫というもので、ごく小さいうえに良性らしい。 今すぐ命に別条がある訳でもない。 来週大きな病院の脳神経科で診てもらうので、それ以上の詳細は今は分からない。 きっかけはたまたま受診した眼科だった。 左目の痛みが続き、傷でもあるのかと適当な眼科に駆け込んだところ、酷いドライアイが見つかった。 痛みはこのドライアイが原因で、コンタクトと眼球が擦れたために起こったらしい。 精密検査を行ううちに、緑内障手前であることと、レンズの白濁(進行すれば白内

          白い犬とワルツを

          Too old to die.

          (21の頃に書いた文が出て来ました) 「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村礒多三十七。」 「それは、何の事なの?」 「あいつらの死んだとしさ・・・・・・」 太宰治「津軽」本編の冒頭らしい。随分と皆若死にだ。 今ならば男盛りといった歳に死んでいる。ロックスターたちにとっての二十七が、物書きには三十六、七あたりにあるのかもしれぬ。 ちなみに、引用をしておいてなんだが、私は「津軽」を読んだことがない。という

          Too old to die.

          姉が子供を産んだ。 姉が周囲(主に母親)の反対を押し切って六つ年下の男と結婚したのは、母親の愚痴で聞いていた。姉の妊娠も母親経由で聞いた。その子供が先月生まれた。両親にとっては初孫で、私にとっても初めての甥姪となる。 姉と私は年齢は六つ、学年は七つ離れている。 幼い頃は共に遊んだ記憶があるのだが、私が小6のときに姉が大学進学で実家を離れ、以来ほぼ会ってもいないし、言葉も交わしていない。「一番関係が近い他人」が姉を形容する言葉だと思う。 昔から彼女はとにかく子供が欲しい

          くるり

          くるりのライブに行った。 もう二年も前の話だ。 当時はコロナもこの世には存在しておらず、ぎゅうぎゅうの観客に揉まれながら初めて岸田さんの生歌を聞いた。 これを話すと驚かれるのだが、私はそれまでライブに行ったことがなかった。ましてやライブハウスなど、行ったが最後オリジナルTを着たドレッドの男に白い粉を売り付けられる、みたいな偏見しか持っていなかった。甚だしい誤解である。 アラサーにして初めて行ったライブは、恵比寿のリキッドルームだった。 酔った勢いで取ったチケットを握

          くるり

          東京

          東京には空がない、といったのは智恵子だったか。 彼女が生きた約百年前のことは知らないが、令和のこの東京では、摩天楼に削られてはいるものの空はある。むしろ今の東京では、空よりも自分の口唇を晒して話せる場所の方が無い。 私が上京して、丸三年が経った。 このコロナ禍で有難いことに、なんとか自分の稼ぎで食っている。 社則上は九時から五時まで、実際はそれよりも数時間上乗せして働いて、なんとか女ひとり食っている。気付いたら数か月前に二十八になっていた。アラサーも大台に乗っているが