太陽の横

生まれて初めて人を好きになったのは、29の初夏だった。

相手と出会ったのは某アプリで、彼は2つ年上の医師だった。
31、2でフラフラしている男性医師がまともな訳がなく、見事におぼこい私は振り回されたのだが、今思い返すと初心者の強みで私もかなりいい勝負で振り回していたとは思う。

すったもんだをしていた間、約3か月。まぁまぁ無駄ではあったが、楽しくもあった。
LINEのあの独特なリズムのバイブが聞こえた瞬間にビーチフラッグか?という速度でスマホを引っ掴みメッセージを確認するなんて、恋愛初期か大事な人が危篤状態のときぐらいだろう。
今まで存在すら知らなかった脳内物質がドバドバ分泌され、なんじゃこれシャブやないかいと思った。実際、恋愛体質と呼ばれる人々は、恋愛というそのものではなくこの物質のジャンキーなのだと思う。
この脳内物質を初めて味わい、素直にめちゃくちゃ楽しかった。
とんとん拍子に進む恋愛というのは双方がこの物質でラリっていて、かつ周りも止める理由が無い状態なのだろう。
私もそのとんとん拍子とやらを味わいたかったのだが、前述の通り彼奴はまともでなかったので、とんとん拍子どころかピッチドロップ実験の如く進まなかった。
しかも後に分かったが、元カノ&元々カノと切れておらず、元々カノに至っては凄まじい虚言癖の持ち主で、αツイッタラーとしてそこそこBIGな垢を持っているが内容は他人の丸パクと見栄に塗れた嘘であり、更に学歴詐称までやっていた。諸事情あって彼女と知り合いになった後、おかしいなとは思っていたのだ。●橋ってこんなに低レベルだっけ…?、と。
元カノはというと、伝え聞く言動に思慮深さってもんがなかった。そもそも会ったこともないが。会ったことない奴の悪口ってどないやねんと思われるかもだが、嫌いな女どものことなのであることないこと悪口を書くのだ。最早迷惑をかけられた者の権利だとすら思っている。(しかし元々カノのことは全部本当である。)
まったく、こんなろくでもない女どもを地縛霊の如く引き摺っている男がまともな訳がない。
そろそろアンタは私を選ぶのか地縛霊を選ぶのかハッキリしろと迫ったところ、深夜2時の電話で見事に振られたのだった。
深夜2時ってアンタ。

閑話休題。

「なんかこのまま上手くいくかも!」と初めての経験に浮かれポンチのラリパッパーになっていた晩熟の私は、彼にめちゃくちゃ好きな歌集を渡した。彼が短歌を多少嗜むと言っていたからだ。
後で分かったが、短歌が好きなのは件の元々カノだった。糞案件とはこのことだ。
渡した歌集は山木礼子「太陽の横」。
何度読み返しても類稀なる名著だと思う。その評価は「バカタレ男に渡した」(そして今も彼の本棚に並んでいるであろう)というミソがついた今も変わらない。
「今までの出産・子育ての歌に比べて抜群に新しい」と帯に栗木京子氏(氏の短歌も私は大好きだ)が賛辞を寄せている通り、現代を生きる女なら、特にワーママなら共感を寄せずにはいられない素晴らしい歌集だと思う。これが第一歌集だなんて、次作を期待せずにはいられない。

あまりに感動して渡したそれを、彼は律義に全て読んだ。
そして感想を訊ねた私に、「僕もこういうこと言われた経験があるよ」と一首を指して言った。
「怪我した子供が救急で来ると、縫うのを怖がるんだよね。親御さんに傷跡は残るか訊かれたら、いつも『これくらいは残りますよ』って答える」と続けて、彼は右頬の小さな傷を指した。
その瞬間、ドカーンッと音がしそうなくらい、この人を好きだと思った。

何でこんなこっぱずかしい文章を書いているかというと、この男と未だに遣り取りをしているからだ。
やっぱり人(というか男性)をあまり好きにならない私が一度は好きになった人間なので、遣り取りはとても楽しい。散々煮え湯を飲まされた(というか現在進行形で飲まされている)ってのに、とても楽しい。
でも、もう疲れた。
私だってもう若くないし、心だって不調だ。そろそろおしまい。
お焚き上げの意味でも、『王様の耳はロバの耳!』と叫ぶ意味でも、不特定の誰かに知ってもらって仕舞いの厄払いとしたい。

『もう来ないからと小声で告げながら診察室を逃げるやうに去る』



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