姉
姉が子供を産んだ。
姉が周囲(主に母親)の反対を押し切って六つ年下の男と結婚したのは、母親の愚痴で聞いていた。姉の妊娠も母親経由で聞いた。その子供が先月生まれた。両親にとっては初孫で、私にとっても初めての甥姪となる。
姉と私は年齢は六つ、学年は七つ離れている。
幼い頃は共に遊んだ記憶があるのだが、私が小6のときに姉が大学進学で実家を離れ、以来ほぼ会ってもいないし、言葉も交わしていない。「一番関係が近い他人」が姉を形容する言葉だと思う。
昔から彼女はとにかく子供が欲しい人だったので、高齢出産が視野に入り始めたとき、本当に焦ったようだ。義兄との結婚に半ば無理やり踏み切って、不妊治療の果てに姪を授かった。
彼女の出産直前に、久しぶりに姉と会った。
結婚式を挙げなかったので、このとき義兄とも初めて会った。
私の一つ上の義兄は、正直に言えば何だかよく分からない人間で、もっと正直に言えば、私なら彼を選ばなかったと思う。好きになれるかと言えば、可もなく不可もない。或る意味、これは「好き」から一番遠い感覚なのかもしれない。
姉と会ったのは彼女の自宅(つまり義兄の家でもある)で、産まれ来る我が子のために何もかもが揃っていた。ベビーベッドに産着、ガラガラ、それからよく分からないけれど天井で回るヤツ。
母親に無理くり呼び出され、持病の腰痛で真っ青になりながら訪れたそこで、私はひどく落ち着かなかった。姉も私を歓待はしなかった。
少なくとも幼少期は言葉を交わしていた筈の姉と、一体どこから距離を感じ始めたのか分からない。
母は良く言えば教育熱心、悪く言えば馬鹿に人権を認めない人だったので、私たち兄弟は非常によく競り合わされた。
母は姉には「妹や弟の方が聞き分けがいい」と言い、兄(私には兄もいるのだ)には「姉と妹は勉強するのにお前は」と言い、私には「姉にも兄にも劣る」となじった。だから私たち兄弟は一番身近な敵が互いだった。
そんな教育が精神に良い訳がなく、姉は不倫に勤しみ、兄は素行が悪く、私は立派な精神不安を抱えたアダルトチルドレンに育った。
生まれ育った家族を思うとき、私はいつしか愛情を感じなくなった。
老いて病を抱える父、感情の爆発を抑えられない母、いつも私を蔑んだ姉、自分勝手な兄、誰にも愛情を感じない私。立派な機能不全家族であるが、本当は私以外は上手くやっているのではとも思う。私一人が駄々を捏ねているだけで、私以外の家族でだったら上手くやれているのではないか。
知らぬうちに、私が一番苦手な他人は、自分の家族になった。
実のところ、姉もそうだったのではないかと思う。
帰省しても私を見ず、声も掛けなかった姉は、夫には何くれとなく世話を焼き、他愛もないことを必死に話し掛けていた。大切な人にはこんなにも積極的になれるのか、と密かに瞠目した。
私の知っている彼女は、何を話しても生返事しか返さない人だった。
犬嫌いが犬を見下ろすとき、こういう目をするのだろう、と思ったことを覚えている。彼女の大切な人のカテゴリーには、はなから私は入っていなかったのだ。
姉の家を辞する前に、母から姉の腹を触らないかと言われた。
逆子が治らなかった姉の腹は、殆ど球体だった。胸の下からいきなり球が始まって、恥骨の上あたりで球が終わる。不気味とは言わないが、私が未産婦だからか、強烈な違和感があった。結局姉の腹は触らなかった。
結婚・妊娠の報告もなかった姉だが、出産の報告もなかった。
母から姪の写真や動画が雨あられの如く送られて来たが、女の子に遺伝したら可哀想だなと思った義兄の輪郭をそのまま受け継いだ赤子が映っていた。
特に可愛いとも思わず、会っても抱いてもいない。(母からは非常識だと酷くなじられている。)
このまま姪の人生に、私は登場せず終わるのだろう。
別にそれはそれで構わない。姪は私とは違う家庭で育って、違う形の愛情を注がれて、そのうちに誰かと出会って、恋をするかもしれないし、愛したり憎んだりもするかもしれない。素敵なことだと思う。
私はきっと彼女に、存在を渇望されて生まれた子供に、何も与えてはあげられない。
ただ、健やかに育てばいいとは思っている。それだけだ。
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