自信

何をやっていても自信がない。
全ての局面で、という訳ではないのだが、自分の決断に全くと言っていい程自信がない。
コンビニで自分の昼食を決めることすらなかなか出来ない。
値段と腹持ち、何が食べたいのかという希望、そういったものがごちゃごちゃとして、肝心の決断がいっかな出来ない。
なんとか決めて会計が終わってから、やけにじんねりと後悔すること山の如し、という日々だ。
最近は弁当を職場に持参するようになったが、健康や家計を考えて、という訳ではなく、決断出来ずに棚の前で商品を手に取っては戻し、戻しては手に取りしている自分が単純に嫌になっただけだ。なので中身は料理と名の付くのかも怪しい酷いものである。
遡上する鮭のように迷いなくレジに向かう人の群れの中で、どうして他の人はあんなにも簡単に決断できるのか、私にはついぞ分からない。

日常は小さな決断の連続で、小さくともそれは少なからぬエネルギーを必要とするものらしい。
スティーブ・ジョブズがいつも同じ服を着ていたのは服の選択にかかるコストを浮かすためだったと聞いたし、実際私の知人も靴下を全て同じにしたらとても楽になったという。
私が決断できないのはこの必要エネルギーが足りないのかとも思ったが、半分正解で、半分は間違いな気がしている。
どちらかというと、私は選択をして「失敗」することがとても怖い。
心臓が爆発しそうな不安発作が伴うほど、怖い。
この発作に襲われると、脂汗をかきながら浅い息を繰り返すしか出来なくて、まだ終わらない自分の命がただ憎い。

この不安発作と恐怖に覚えている限りで最初に襲われたのは、約10年前の就活のときだった。
大学三回生で挑んだ就活は、私にとって非常に苦しいものだった。
書類は通るが、面接がことごとく進まない。
思いがけずひとつだけとんとん拍子で進んだ大手出版社に内定をもらったが、母が気違いのように(不適切な言葉だとは分かっているが、あのときの彼女の容態をこれ以上正確に現す言葉が私の中に無い)荒れ狂い、内定辞退の電話をかけるしかなかった。
辞退するまでは地獄のような日々だった。
地獄のようだった、とは覚えているが、実は詳細な記憶がすっぽり抜け落ちている。何度読んでも文字の意味が分からなくなったことと、母から罵倒の長文LINEがひっきりなしに送られて来て、死ねたらどれだけ楽だろうと思った記憶だけ残っている。春から秋にかけてのことだったのに、暑かったとか夏休みだったとか、そういう記憶がごっそりない。
最近「母という呪縛 娘という牢獄」(斎藤彩)を読んで、本に記載の親子LINEが、私の母からのLINEにそっくりだと思った。
お前は私の人生を踏みにじった、一生償え、お前には何かを楽しむ権利はない、なんて可哀想な私、というような憎悪と自己憐憫に溢れた内容がとても似ていたのだと思う。
医学部9浪の果てに母を殺した女性は、何かが少し違っただけの自分だと思った。
私も出来ることなら母も私も殺してしまいたかった。


二回目の就活で何とか内定を得た冴えない会社で働き、もう8年になる。
毎日が退屈で、何よりも愛社精神が全く湧かない環境が苦痛で、その他にも理由があって転職活動を始めた。
当たり前だが、転職というのは己の現実を突きつけられる。
年齢に対してお粗末なスキル、希望と現実の乖離、現状の方がまだマシなのではという未知の環境への怯懦。そういったものがいっぺんに襲い来る。
見事に私の精神は削られ、不安発作が頻発するようになった。
もうどうしようもなくなって精神科を受診し、抗不安薬を貰えたときは思わず泣いた。神でも仏でも薬でも何でもいい。誰かに助けて欲しかった。
でも結局、精神科でも出たのは薬だけだった。
薬はおそらく効いた。プラシーボかもしれないが、それでも何もないよりマシだ。財布に入れた小さく真っ白な錠剤を、不安発作の大波が来る前に急いで飲む。忍び寄る不安が私の足を掴む前に、縋るように飲む。だが、現実は何も変わらない。
私が不安に打ち勝って、何か行動を起こすまでは。


決断する自信も、失敗を恐れない強さもない自分に苦しむ度、思い出すエッセイがある。
内館牧子が連続テレビ小説「ひらり」を書いたときの話だ。
興味の赴くまま身軽に行動する妹のひらりに対し、姉のみのりはいつもグズグズして行動が出来ない。女性視聴者からの手紙はみのりに共感を寄せる内容が多かった、というものだった。
もうひとつ思い出すのは、社会学者の上間陽子の著作だ。
調査の傍ら、氏は沖縄で暴力や貧困に晒された女性のシェルターを運営している。そこでは茶碗に盛るご飯の量から始まり、どんな僅かなことでも女性本人が己で決めることを大事な方針としているそうだ。保護された女性たちは往々にして自己決定権を奪われ生きて来たので、小さなことから初めてきちんと自分で物事を決められるようにする、自分を取り戻す訓練なのだそうだ(著作が手元に無いので、詳細は間違っているかもしれない)。
私はお茶碗のご飯の量くらいなら決められる。
でもそれより大きな決断が出来ない。
まだまだ続く茫漠たる時間に、続くであろう日々に、疲れ果てている。
誰か私の人生を、私より上手に代理してくれないか。


ちなみに、前述の「ひらり」に登場するみのりは、ひらりを見習い大きな行動を起こす。
彼女が気付いたひらりの行動力の秘訣は、「恥をかくことを恐れない」、だそうだ。



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