東京

東京には空がない、といったのは智恵子だったか。

彼女が生きた約百年前のことは知らないが、令和のこの東京では、摩天楼に削られてはいるものの空はある。むしろ今の東京では、空よりも自分の口唇を晒して話せる場所の方が無い。

私が上京して、丸三年が経った。

このコロナ禍で有難いことに、なんとか自分の稼ぎで食っている。

社則上は九時から五時まで、実際はそれよりも数時間上乗せして働いて、なんとか女ひとり食っている。気付いたら数か月前に二十八になっていた。アラサーも大台に乗っているが、恐ろしい程に自覚はない。世間一般の時間と、私の中の時間がひどくズレている。

例えば女性誌。

書店に行けば平積みされているあの満艦飾の紙面で、気付けば年上を探す方が難しくなっていた。

モデルや女優はとても美しくて、立派に見える。正しくステップを踏んで生きて来た生き物の匂いがする。とても年下とは思えない。

例えば友人や同僚。

気付けばしっかり恋人や婚約者や夫や子供がいて、例えそういう存在がいなくても、資格やら職歴やら、ちゃんとしたものを持っている。

学生時代からずっと使っているよれよれのナイロンバッグを片手に、私には何があるっけと、最近頻繁に考える。無暗に手のひらを見てみる。寒さとアトピーでかさついている。

いつもそこには何も無くて、愕然としてしまう。

このコロナ禍でリモートが進んで、故郷へ帰る人が少なからずいる一方、狭量で偏見に満ちた田舎へは絶対に帰らない人もいると聞く。

多分私も後者だ。この東京によすがを持たない私には、ここは乾いていて、物価や家賃にさえ目をつぶれば生きやすい。

目を閉じて考えると、来し方のことが様々に去来する。

ここにはそれをを徒然なるままに書こうと思う。


そういえば私は、幼い頃から清少納言が好きだった。

定子サロンに憧れていた。

あの曇りなき才知溢れる空間と、それから主君の陰りは一切書かなかった、鼻っ柱の強い彼女のことが、千年の時なんか超えて好きだった。



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