カウンセリング記②

3回目のカウンセリングが終わった。
最初2回は過去の聞き取りに終始した。前回の最後に、先生から「次回は”安全地帯”を作りましょう」と言われていた。
(どうでもよいが、安全地帯と言うと、玉置●二と青◆典子の不倫を報じた週刊誌の見出し『危険な安全地帯!』が脳裏に浮かぶ。もちろん、先生が言っているのはこちらの安全地帯ではない。)
確かに、機能不全家族に育った私には、安全と思える場所が乏しい。

詳細は割愛するが、”安全地帯”の作成は少し不思議な体験だった。
先生の指示に従っていると、もう十年くらい思い出したことのない場所がヒョイッと出て来る。促されるままに浮かんだ情報を口に出していくと、段々とその場所が具体的になってくる。
姿を現し始めた私の安全地帯は、前述の記憶にある場所とは少し違う。あくまでも記憶をトリガーにした、私が想像した”安全地帯”だ。
明るくて天井が高くて、窓の外から明るい木々の葉が見えて、空調が緩く効いていて、少しだけ他人の気配がする図書室が、私の安全地帯らしい。
私はこの場所で、12歳くらいの姿で、机の上に上体を投げ出している。
とても気分が良くて、居心地最高で、染み入るような楽しさがみぞおちから背中へと広がっている。
今も楽しいし、明日もきっと楽しい。
確信の中で好きなだけ時間と空間を堪能している。
途中から、眉間から脳味噌にかけてジンジンとし始めた。
これはミサの聖体拝領のとき、神父様が祝福をくださったときの感覚だ!と思った。高校卒業以来、長く忘れていたものだった。
私は聖体拝領のときの祝福が、神父様の大きな手が軽く頭上に押し当てられる感覚が、幼い頃からとても好きだったのだ。
劇的な変化は起こらないと先生から前置きされていたが、この感覚が蘇っただけでも驚きだった。

この安全地帯に名前のようなものを付けたのだが、私だけのものなのでここでは書かないでおく。
なんか子供っぽい名前になっちゃったなと思いもするが、童心に返ったといえば、相応しいかもしれない。

まだまだトラウマとの格闘は続く予定です。


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