睡眠前夜/ikkn.nemui
シシリーズのアルバム!
持続可能な精神エネルギーについて、あれこれと多面的に包括的に分析していきたいなぁ(仮)
書き綴りをファイリングしたものです。
『君はサブカルな雑文になりたい』全集と言っても過言では無い。サブ雑の決定版!
『芸術とは過程か結果か』全集
死出の羽衣 纏う出立ち 旅立ちさえも何も生まない 君を想えば儚く霞む だけど未だにこの胸にある 沈んだり浮かんだり回ったりして 美しく可憐な花は 誰に刈られることも無くに果てた だがその魂はずっとそうなることを望んでいた いつからだろう 未明の頃に見えなくなるまで そばにいるよと笑っていたい
雑学篇。造語?いやもしかしたらあるんじゃないかと、ファイアトルネードについて調べてみたところ、あった。ファイアトルネード治療法なるものもあるようだ。こちらは主にメンタルの回復を目的として行われるらしい。日常生活においての使用例として、「仕事ファイアトルネードしたわ。」等がある。
前はあったけれど、今はなくしてしまった。 そう思い込んでいるのか、事実そうなのか。 なりたいと思ったものが自分にもあった。 その挫折は、もう取り戻せない。 何をしていても、自分ではないと心の何処かで感じていて、誰とも通じ合うことがない。 いつしか何処を探しても、自分が見つからなくなった。 この道もその道も、あちらもそちらも、どこを進んでもあの日に途切れた道へは繋がらない。 どうせ才能など無かったのだし、いずれにせよ手放したのだと思わないでもない。 ふと、自分はど
他者肯定によって自分が満たされていれば良いのだけれど、そのようにならず、自分の存在に疑問を抱いていく。 そして、他者から充分な肯定を享受することの出来ずに、自分でなんとかしようと生み出した行為を自己肯定と仮定する。 そうして主体的な活動により自己肯定を得る。 もしくはこちらから他者を介して自己肯定感を得る。 または、それ以外の方法で得る。 といった方法が考え出された。 似たような言葉に承認欲求というものがある。 自己肯定感と承認欲求、どのような違いがあるのだろ
友達のとこで、メイドインアビスとチェンソーマンを今更ながら借りる。 漫画談義がしたいとのことなので、1日1冊は読んでいきたいと思います。なんか前にも呪術廻戦を読むとか言って読んでなかった気がするけど、、がんばります。 そういや、まなさん原作の感想文も途中で止まってた、、etc..
死にてぇとか、強い言葉を使うと多少、数字が伸びるようです。もしくはテーマが分かりやすくて読みやすいということなのですかね。でも、作品への表現方法としては、あまり上手くないのかなと思います。 とはいえ、グラビアから始めて女優を目指すようなアプローチもままある。感性を磨いていきます。
私の心に欠乏しているもの。 求めているものは、似た要素。 お互いにリスペクトし合う心とは、なんと素晴らしいものだろうか。 頼り甲斐のある仲間たち、尊敬できる師、慕ってくれる後輩、そんな人達に囲まれて生きていられたら、どんなに幸せだろう。 人に恵まれるってすごい奇跡だと思う。 好きな人がほぼいない自分からしたら、想像すら出来ない。 そんな世界を一度味わってみたい。 人の汚い面を見たら、自分の心も汚れてしまう。 キレイなものを見たい。 人の冷たさにさらされたら、温
投げたボールは何処へ消え 返るのを待ってた 誰に投げたかさえ よくわかっていなかったのに 今日が終わる その時に そっと閉じておしまい そうして明日が来なくてもいい だって意味が無いから 見つからないから 繰り返すことに疲れた そう 疲れた だから死にたい 死にたいと 僕も繰り返す 泣いて 泣いて 泣いて 切り替わったかい? 顔を上げれば 君が僕を見下ろしてる 君はいつでも凛々しい 僕もそんなふうになりたい 主人公には成すべきことがあるのに...
前鯖を抜けて、新鯖をオープン。正直、誰も来てくれないのではないかと、、前鯖の元鯖主の自分でさえ、そう思った。 リアルで繋がりのあるメンバーの1人に、深夜、他を探した方が良いと思うと、長文のLINEを書く、そして、送らずに削除した。自分らしか居なければそれはそれじゃないか。と、、 でも、違った。 抜けると言った時、昔からのメンバーがdiscoで話せる?と声をかけてきてくれた。 ネムイが何故、そうしたか、自分は何故、そうしなかったのか。 ネムイならそうなんじゃないかと思
前鯖を抜けて、新鯖をオープン。正直、誰も来てくれないのではないかと、、前鯖の元鯖主の自分でさえ、そう思った。 リアルで繋がりのあるメンバーの1人に、深夜、他を探した方が良いと思うと、長文のLINEを書く、そして、送らずに削除した。自分らしか居なければそれはそれじゃないか。と、、
虚しい。多分、そういう事なのだろう。 なので、書かずに寝れはしない。 まぁ何に空しさを感じたとは、事細かに言いはしないし、それに共感が欲しいわけでも無い。 ふと、空しさを感じたわけです。 生きていて様々なもの、事に空しさを感じている。 しなければいけない、やるべきこと、立場、年齢、、、何をしてるんだろうかと。 本気や本音、それらが置き去りで空洞になってしまっている。 だから、一人でこうして書いている。 最近、特に気になることは、「効率」である。 これがおれ
とりあえず、溜まっていたメモ書きを雑だが仕上げてまとめて投稿した。まだ、結構あるのだが、、、早めになんとかしたい。
温かい飲物が、じんとくる。 張り続けた糸を解いてくれる。 肉体と精神は、驚く程に一つである。 いつから人は心を持ったのだろう? 肉体には脳味噌があった。 それらは、寒さや暑さ、痛みや心地良さ、また、においや音、甘い苦い、美しさや醜さ、といったものを識別する。 そして、思考する。判断する。行動する。 この一連の流れの中に、心は必要なのだろうか? 受信と発信の境界面。 それが、心というユーザーインターフェース。 アップデートしないと、とても使い勝手の悪いのが
選択に迷う時、陰(影)を多めに入れれば解決に導くことが出来る場合が多いように思う。 要するに、人は善(無難)であろうとする。 特に問題なのが、他人を思い遣る気持ちである。 これは想像なのだ。 事実、そうであるかどうかは分からない。 自分が正しいと思うことをする時、誰かにとって、それは間違いなのだ。 そうまでいかなくても、迷惑に思われる程度のことはあるだろう。 自分が我を通せば、誰かを陰に追いやるのだ。 選択肢が目の前にある。 私がそれを形にしたいと願う時、
ついに幻覚を見た! いや、多分、事実だと思うのだが。 会社に着くと緑色の自転車が停めてあったのだが、もう一度見るとなくなっていた。 また、あれは何だろう?何かあるなと思い、後でよくよく見直すと跡形もなく無く消えている。 いや、緑の自転車と何かあったじゃん。 あった。確実にあった。 睡眠が足りてないのか?
最近、というわけでもないのだろうが、とりわけYouTubeなんかぼけぃとみていると、思う所がある。 例えばである。視聴中にも関わらずコメント欄を開いて読むということがままあるのだが、しょうもないいざこざが繰り広げらている。 そういう光景を目にする機会が増えたような気がする。 くだらない動画でくだらなく揉める。 (ちゃんとしたのでも) 非生産的ではなかろうか。 正した気になって、いい気になるのだろう。 承認欲求に飢えすぎではないのか? ほっとけばよいだろう? 相