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マイファーザー

僕の父親はどうしようもない人間だ。酒とタバコに溺れ、その上多額の借金を抱えて家族全員に忌み嫌われている。自分に甘いし思い通りにならないとキレ散らかす最低な人間性。本当にどうしようもない人間。


そもそも父親は僕ら子どものことがあまり好きではない。僕には上に2人の兄がいるが、次男が誕生した時の父親の第一声が、


「これか。猿みてえだな」


だったらしい(母親談)。


僕が物心ついた時には酒をしこたま飲んでいた。父親の休肝日を今まで見たことがない。それくらい酒好きだ。


歩きタバコも普通にする。1日1箱ペースで吸うくらい愛煙家なくせに吸ってるタバコがキャスターの甘いやつ。ダサい。


長男にはやたら甘いくせに次男にはやたら厳しく、三男の僕には無関心。次男がサッカーの練習を仮病で休んだ時、顔面に酒をぶっかけたのは家族の中で伝説になっている。


理不尽に虐げられてきた次男は高校生くらいから精神的に強くなり、よく父親と衝突していた。


ある日の口論で徹底的に論破された父親は、今までの次男に対する所業を悔てか、次男に土下座をしたらしい。結果今では父親が一番苦手としているのが次男だ。


僕は父親にひどいことをされた覚えはないが、僕以外の家族に対する父親の言動をよく観察していたため、小学校高学年くらいから父親が心底嫌いだった。思えば家庭に居心地の悪さを感じ始めたのがその頃だ。


小学生の頃、父親の稼ぎがほとんどない月もあった。金銭的な余裕がなくなると家庭の空気は重くなる。母親と毎日のように口論し、止めることのできない非力な僕の心は毎日ズキズキしていた。


母親は風呂場で息を殺すように泣いていた。その姿を見て、僕は父親を恨むようになった。同時に、この状況を打開するだけの力がない自分を憂いた。僕は学校に行くのが大好きだったが、その理由は家にいたくなかったからなのかもしれない。


父親の稼ぎが少ないと知った僕は、極力我儘を言わないようにした。欲しい服、ゲーム、本、漫画。沢山あったが、家計の負担になりたくなかった。


「お母さん、これが欲しい」という一言をグッと喉の奥で堪えるのが、子どもの頃は何よりきつかった。


最初から貧乏な生活をしている人よりも、裕福な生活を経験して貧乏になった人の方が絶対精神的に苦しいと思う。僕が生まれたのは、当時その地域で一番高値だった14階建のマンションの10階に住んでいる、それはそれは裕福な家庭だった。


幼少期、見晴らしのいい広いベランダにブルーシートを敷いて、お昼時に母親と兄弟3人揃ってドーナツを食べるのが大好きだった。あの時間こそ真の幸せだったと思う


父親がキャリアアップを目指しておこなった転職が見事に失敗して、そこからは富裕層から貧困層への転落人生だった


父親は仕事のストレスを家庭にぶつけた。母親は泣いた。長男はサッカーしかしていなかった。次男は家庭で孤立した。僕は欲しいものを欲しいと言葉にできなくなった。家庭が崩壊していく音が聞こえた


借金も嵩み、ついに家を売り払うことになった。売り払ったところで借金は消えなかった。後日談だが、母親の人生最大の悲しみはあのマンションを手放したことらしい


父親の体調が急変したのは、今年の2月頃だった


昨年末に仕事をリストラされて以来、1年間ずっと家に引きこもってパソコンをいじっていたのだが、ダンゴムシのように丸まった背骨が神経を圧迫した事による激痛で意識を失いぶっ倒れた


幸い命に別状はなかったが、手術を行わなければ生活が困難であることを告げられた。それからは病院に行く日以外は自宅でほぼ寝たきりの状態が続いている


病院にはもちろん一人で行けないので、母親が車で連れていっているのだが、母親もパートをしているため行けない日がある。母親が行けない日は兄弟の誰かしらが仕事の休みを取って病院に連れていくことになった。


今日、僕は初めて父親を病院に連れて行った。前日は後半休をいただいて仕事を早めに上がり、実家に戻った。


「明日は診察の時間が11時30分だから、10時45分には家を車で出発してね」と母親に告げられていたので、10時には起きてテレビを観ていた。


一人暮らしを始めてから何回も実家には戻っているが、父親と会話をすることはなかった。それどころかその場にいても顔を見ようともしなかった。先日久々にチラッと顔を見たら、髪も髭も白髪だらけで、別人のように老けていた。


出発の5分前になったので、車を駐車場から家の前まで持ってこようかと思いソファから腰を上げると、弱々しい声で父親が言った。


「今日はありがとね。すまんね」


てっきり僕なんかに礼なんて言わないかと思っていたので驚いたが、僕は顔も見ず「あぁ」とだけ返事をして家を出た。


車を自宅の前まで回して待っていると、一歩一歩顔を顰めながら父親が車の方へ近づいくるのが見えた。片足を引き摺り、のそのそと歩く。ようやく車の後部座席へ乗り込み「すまん。お願いします」と言う。今度は返事をすることなく、病院へ向かって出発した。


道中、一言も交わさなかった。というか、何を話せばよいのか分からなかった。最新の楽曲を、音量をいつもより大きめで流しながら走った。時折後部座席から「痛てててて…」と小声が聞こえたが、無視した。


病院へ着きそうになって、駐車場を探す。どうにも分からないので父親に聞くことにした。


「どこに駐車すればいいの」


「そこの、右のタイムズ」


「あぁ」



車を停め、病院へ入る。初めて行った病院だったが、割と大きめのところだった。父親ののそのそとした歩みに合わせて僕も歩く。診察表を貰い、診察室の前の椅子に座る。僕は予め準備していた本を読みながら父親の名前が呼ばれるのを待っていた。


5分くらいして名前を呼ばれ、父親がまたのそのそと痛そうに診察室へ向かう。


10分後、父親が出てきた。


「あんなに唾液出したの人生で初めてだ」


「何が?」


「PCR」


「あ、今日PCR検査だったのか」


「そうだよ。痛てててて…。終わったから、帰ろう」



病院を出て車へ向かう途中、父親がまた口を開く。


「昼飯は食ったのか?」


僕はその言葉に、一瞬戸惑った。きっとこの言葉はお昼ご飯の誘いだ。


「いや、あぁ、朝食べたからお腹すいてない」


「まぁそうだよな。俺なんかと食べるより…」



歯切れの悪い返答をしてしまった。それに対する父親の返答もまた歯切れが悪かった。車に乗り込み、僕が言う。


「昼飯なんか食うより、さっさと家で休んだほうがいいだろ」


「そうだな。ありがとな」



駐車場を出て、自宅に向かって車を走らせる。しばらく無言だったが、行きの車中より話しやすい空気になっている気がした。


「今日はPCR検査で、来週が手術?」


「そう。来週の12日に入院して、13日に手術」



「13日はお母さんと一緒にまた行くことになってる。不安らしいから目が醒めるまでいてほしいって言われた」


「また来てくれるのか。すまんなぁ。ありがとね」


「あぁ」


車は自宅へ向かって走り続ける。


「最近、仕事はどうなんだ?」


「普通に働いてるよ」


「今の仕事初めて何年だ?」


「今年で3年目かな」


「もうそんな経ったのか」


「うん」


「順調か?」


「順調順調。それなりに生活できてますよ」


「そうか。それはよかった」


信号で止まる。


「お前も次男も家にいなくて、長男も最近帰ってこないから、手術が終わったらもっと小さい家に引っ越さないとなあ」


「長男は仕事が忙しすぎて会社で寝泊まりしてるらしい」


「え、そうなのか。てっきり彼女と同棲でもしてるのかと思った」


「彼女とかいねーよ。なんで一緒に暮らしてない俺の方が詳しいんだよ」


「なんも話してないからなぁ」



青になり、発進する。


「長男は結婚しないのかなぁ。あいつもういい歳だろう」


「今年29だけど、結婚しないとか言ってたぞ」


「え、そうなのか。知らなかった。長男が29ってことは次男が28で、お前は何歳になった?」


「今年で25」


「もう25か!はえ〜。あっという間だな」


また信号で止まる。ふと、父親に聞いてみたくなった。


「あのさ、結婚って、どうなの?」


「結婚か・・・」



父親はしばらく考えて、言った。


「自動車事故みたいなもんだな」


「自動車事故?」


「うん。出会い頭の事故。勢いで行かないとだめだ」


「あーそうなんだ」


「俺が結婚したのが26の時で長男が生まれたのが27の時だ。勢いそのものだ」


「26で結婚したのか!来年俺が結婚してるようなもんか」


「多分早い方がいいな。年老いてからだと育てるの大変だし。それに今もこうやって大変な時に子どもに助けてもらえてる」


「まぁ、そうか」


「そうだ」


青になり、発進する。上り坂の一本道を、スピードを上げて突き進む。車内には大瀧詠一の『君は天然色』が流れている。


「懐かし。大瀧詠一か。なんでこんなん聴いとるんや」


「最近70年代のシティポップが再熱してんのよ。はっぴいえんどとかな」


「へ〜!そうなのかぁ。知らんかった。痛てててて…」


家に着き、先に父親を降ろす。父親はのそのそと階段を登る。僕は車を駐車して、家に戻った。少しだけテレビを観たあと、帰り支度をしていると、父親に話しかけられた。


「今日は本当にありがとう。またよろしくね」


「あぁ。13日にまた来るから。お大事に」


「ありがとう」


家を出る時も礼を言われ、少しだけ違和感を覚えながら駅に向かった。人生で父親に感謝されたことなどほとんどなかった。きっと今日だけで今まで言われた「ありがとう」を超えたはずだ。


面と向かって話せたわけではないが、大袈裟じゃなく4、5年ぶりくらいに長々話した


父親に対する印象が変わったわけではない。酒飲みで愛煙家でだらしなくてどうしようもないクズ人間で大嫌いだ。次会っても今日みたいに話さないかもしれない。


死んでもどうにもならないので死なれても困るが「死んだら悲しいか」と問われれば正直際どい。ただ、死ぬ前に聞いておきたいことは山ほどある


そもそも大人になってから全然会話していないので、このまま死なれたら"父親"という存在が迷宮入りしてしまう。


僕は父親についてあまりにも知らなすぎる


何が好きで何が嫌いだったのか、どう生きてきてどう死にたいのか、何が嬉しくて何が悲しかったのか、どういう人間でどういう思考なのか。


親父。何も聞いてこなかったから、親父のこと何も知らないよ


聞きたいことがありすぎます


電車に乗って、永福町へ向かう。


車窓から空を見る。太陽は雲に隠されている。

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